友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ああ、だから私よりも先に逝くなよ

2018年05月21日 17時34分10秒 | Weblog

  卒業生の男たちは貫禄が出ていた。女たちは高校生の時よりも美しくなっていた。この子たちと出会ったのは昭和45年だから、48年も前になる。今年で彼らも65歳を迎える。なのに、話していると全くあの時のまま、彼らも私も青春時代だった。3年間を同じ校舎、同じ教室で、戯れて過ごした。あの時から大人びていた生徒は今も大人っぽいし、あの時から子どもっぽい生徒は今も変わらない。

 高校生の時は社会研究部に居て、確か70年安保のデモが行われた集会で、彼はベ平連の隊列にいた。そんな彼が昨日は、「先生、国境を強化しなくてはダメです。憲法は改正して、負けない国にしないとやられてしまいます」と私に話しかけてきた。「いったい何を何から守るの?」と私は聞き返す。話は平行線だったが、ちょっと嬉しかった。60代になって、国家意識に燃える人になっていたが、何も考えないより良いと思った。

 女性の何人かが独身だった。一度も結婚しなかった人も2人いた。「男を好きにならなかったの?」と私が尋ねると、「それは違います。巡り合わせがうまくいかなかったんです」と言うので、「そうか、好きになった人は妻子持ちとか」と聞くと、「そんなところです」と答える。「じゃー、全く男を知らない訳ではないんだ」と言うと、「当たり前ですよ」と頬を膨らませる。「結婚だけが幸せの形ではないし、まだこれからだって、いい人との出会いはあるかも知れないし」と私が言うと、「ええ、期待しています」と笑う。

 好きな人と結婚したのに、離婚してひとりで生きている女性もいた。あんなにきれいで、未だにスタイルもよく、明るく笑顔が可愛いのに、どうして離婚に至ってしまったのか。4度結婚した男は最初の妻と友だち付き合いしていると言う。どうも私の方が形式にこだわっている。1次会に続いて2次会をパブで開いてくれたが、女性たちも参加し、大いに盛り上がった。さらに男たちは「3次会に行く」と言う。「先生の寿命はこの1年でしたよね」と私のブログを読んでいる男が言う。ああ、だから私よりも先に逝くなよ。

 

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神様は怒っている

2018年05月19日 18時09分08秒 | Weblog

  とんでもない日になった。昨夜の雨は上がり、明るい陽射しだったから、今日はルーフバルコニーで作業だと意気込んでいた。なのに、猛烈な北風が吹き回っている。なあーに、そのうち収まるだろうと思っていたが、ますます風は強くなる。南のバルコニーの植木鉢の花は微動だにしていないのに、西側のルーフバルコニーは強烈に北風が吹き抜けていくので、植木鉢のバラが悲鳴を上げているかのように見える。

 カミさんが心配して、「物が飛ばされない?」と言う。「大丈夫」と答えるが、重しに使っていた板が風に吹き飛ばされた。これはまずいとルーフバルコニーに出たら、風に煽られて吹っ飛ばされそうになった。瞬間風速は台風の時よりも強いかも知れない。南側は全く風がないので、ガラス戸を開けていたら、お客が来たから玄関ドアを開けようとしても風の力で開かない。急いで南側のガラス戸を閉め、やっとドアを開けることが出来た。

 天候が荒れると、「神様が怒っている」と昔の人は考えた。どこの国の神話や昔話にもそんな話が残っている。人の力ではどうしようもないものを恐れたからだろうが、人の側にそう考えるざるを得ない「うしろめたさ」があるからだろう。神様の心をイラつかせるようなことが起きているのだと。私は長女のダンナのお父さんが身体の具合が悪いのに、なかなか見舞いに行くことが出来ない。明日もみんなが集まるというのに、私は高校で担任をしたクラス会に出席するので出られない。

 ぼんやりと荒れるルーフバルコニーを眺め、風が収まってくれることを願いながら、残り少ない人生の最後に老いらくの恋を夢見ている。すべてを清算しようとしているのに、なんとまあ―極楽トンボなのかと呆れてしまう。いや、だからこそ生きてこられたのだと思い直す。明日の午前中はマンションの草取りがあり、クラス会は夕方5時から、8千円会費で行われる。ブログはどうするか、成り行き次第です。

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指導者の責任の取り方

2018年05月18日 19時53分39秒 | Weblog

  日大の対応は、今の日本そのものだ。日大と関西学院大とのアメリフットの定期戦で、誰が見ても悪質な反則行為があった。日大の選手が、ボールを投げ終えた無防備な関学大の司令塔の選手に、まっしぐらに突入してタックルした。その後も明らかにケンカを売るような、ぶつかり合いと言うより、殴り合いのような行為をし、3度目の行為で退場処分となった。

 テレビで見る限りでは、最初の激しいタックルで関学大の選手が動けなくなると、日大チームはよくやったと言った雰囲気だったし、退場処分を受けて選手が戻って来ると、チームメートが肩や背中に手を回し、ねぎらっている様子だった。倒された関学大の選手は第2・第3腰椎棘間靱帯損傷と診断された

 関学大は日大に抗議し、なぜこのような行為が行われたのかと回答を求めたが、日大は「乱暴行為を行うことなどを選手へ教えることは全くございません」と、意図的な反則行為ではないとし、「厳しさを選手に求める際に、指導者による指導と選手の受け散り方に乖離が起きていた」と説明している。監督やコーチが「つぶせ」「壊せ」と指導したら、選手が本気でしてしまったという解釈である。

 ちょっと待て。関学大の選手が倒された時、日大のコーチは手をたたいていたし、もし、選手が勝手に違反行為を行ったのなら、なぜ、選手を戻して厳重に注意し無かったのかと思う。その後2度も悪質な行為を見過ごしたのも納得できない。それでいて、選手の受け止め方が間違っていたとは全く呆れる。どこかの国の大臣や首相にもみられるこの無責任さはどうしたことだろう。

 戦国時代の武将は敗戦が分かると、自分の首と引き換えに部下の助命を乞うた。それが指導者の立場、武士道であったのに、最近は部下に責任を負わせて自分は涼しい顔をしている。日大の監督は自分の指導のまずさを認めなくてはならない。国の指導者たちも、国民のために命を差し出す覚悟を見せて欲しい。でも、あの人たちは見せるだけになってしまうかな?

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その気になれば性格は変えられるはず

2018年05月17日 18時32分22秒 | Weblog

  何か事件が起きると、どういう家庭なのか、長男なのか末っ子なのかひとりっ子なのか、甘えて育ったのか厳しく育てられたのか、そんなことが話題になる。確かに子どもの頃の環境が与える影響は大きいと思う。しかし、それで全てが決まってしまう訳ではない。50歳になっているのに、性格を変えようとしても、弛まなく努力しなければ無理だろう。逆に、その気になれば性格はいつでも変えられる。その気にならなければ、当然だが、変えることは出来ない。

 私自身で言えば、小さい時は人前で大きな声が出なかった。「出来る人は手を挙げて」と先生に呼び掛けられても、手を挙げることはなかった。通知表にはいつも「もう少し積極性が欲しい」と書かれていた。6年生になって、自分の性格が嫌に思った。積極的になるためにはどうしたらよいのか、考えるようになった。そして、自信がないことが積極的になれない原因だと気付いた。予習も復習もやったことが無かったのに、予習だけはするようになった。

 初めて読む教科書ではないので、「ハイ」と手を挙げられるようになた。授業も面白くなり、受け身ではなくなった。引っ込み思案だったから、自ら進んで児童会長に立候補して、積極性に挑戦し性格の転換を目指した。中学の入ると、引っ張られる側ではなく、引っ張る側になっていた。そんな自分の経験から、その気になれば、性格は変えられると思った。自分の欠点はどこで、どう変えたいのか、そのためにどうするのか、が必要である。

 麻生財務大臣の失言癖は治らないだろう。麻生さん自身が欠点だとは思っていないから。年老いてから、自分の欠点を指摘されても、なかなか治せるものではないし、それも自分が納得できないのだから、治させるはずもない。私もそうだけれど、歳を重ねるとどうしてか頑固になってしまう。やっぱり相手の言うことが理解できていないから、言葉だけで取り繕うとしてまた失言してしまう。困ったものだ。

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なぜかイライラしていないか?

2018年05月16日 18時43分41秒 | Weblog

  介護施設に姉を見舞いに行ってきた。玄関で私たちを迎えてくれた姪っ子が、「薬を飲まないから、困っちゃう」と言う。「『90歳までは生きなきゃー』と言ったところ、『そんなに長生きせん』と言うので、『あと2年だから、ちゃんと薬飲んで頑張ってよ』と言うと、『2年なら、頑張る』と言うのに、なんで薬飲んでくれんのだろう」と話す。今日の姉はみんなの話を穏やかに聞いていた。帰り際に、「薬、飲んでいないんだって」と私がそっと聞くと、うなずいて「飲まん」と言う。

 腰を動かすことが出来ないので、同じ姿勢が長時間続くと「お尻が痛い」と言い出す。何を言われても、どうすることも出来ない。天命を待つしかない。姉が私を見て、「あんたも髪の毛が白くなったね」と心配してくれる。もう、74歳だ。父親や母親よりも20年も長生きした。一番早く死ぬだろうと言われた姉が最も長生きしているのだから不思議だ。神様がどのような考えからそうされているのか、私には知る余地もない。

 「最近、子どもを殺す悲惨な事件が多いね」と義理の弟が言う。新潟の小2の女の子殺害や、義理の弟が姉家族に刃物を振りかざして6歳の女の子を刺し殺したり、流れてくるニュースはそんな陰惨な事件ばかりだ。エルサレムへ大使館を移したアメリカに抗議して、パレスチナの人々がデモを行い、イスラエル軍が実弾で暴徒を抑え込み、何十人も死者が出ている。抗議だけなら整然と行えばいいのに、暴動化すればむしろ餌食になってしまう。

 大きな戦争はないけれど、紛争は途絶えることがないし、平和と思われる都市でも自爆テロや殺傷事件が繰り返されている。こんなに平和なのに、なぜか分からないが、人々はイライラしている、そんな感じがする。人間は穏やかに、のんびりと、相手を受け入れることが出来ない動物なのだろうか。情けない。

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社会人2年目の孫娘とデートする

2018年05月15日 18時11分09秒 | Weblog

  社会人2年目の孫娘が、「ねえ、お昼はどういう予定?」と電話してきた。一緒に食べようということなので、「もちろん、付き合うよ」と答えた。「あのさ、うどんが食べたいだけど」と言うので、うまいと評判の店の名をあげると、「そういう有名店でなくて、丸亀正麺の牛とろ玉うどんが食べたいの。ああいう所って、ひとりでは行き辛いじゃん」と言う。「分かった、いいよ」と返事をする。「夜勤明けだから、そちらに着くのは1時間以上はかかるけど、大丈夫?」と聞くから、「パパちゃんもルーフバルコニーで仕事しているから、近くになったら電話して」と言う。

 午後1時近くになって連絡が入り、孫娘の車でうどん店へ行く。牛とろ玉うどんを2つ頼み、私がエビ、孫娘はイモのてんぷらを皿に取る。レジで孫娘が、「ここは働いてる私が払う」と言うので甘えることにした。そういえば久しぶりにふたりで食べる。私はモスバーガーが好きだが、どうしてもひとりでは行けなくて、孫娘を誘い、書店経由でモスへ行くのが定番だった。モスバーガーに入れば孫娘が注文してくれるから、迷うこともない。社会人になった孫娘はササッと食べられて、しかも安い店が好みになっているようだ。

 食事が終わり、話していても構わないのだろうが、なんとなく申し訳ない気がして、「じゃー、喫茶店へ行く?」と聞いてみる。「ウン」と言うので、長居してもよい店を案内する。「ケーキ、食べる?」と今度は私が聞く。「女の子と一緒の時でなければ、食べられないから」と私は言い、ケーキセットを2つにしてもらう。母親と同じナースの道に進み、2年目となって、新人のケアを担当することになったことなど、職場の体験をいっぱい話してくれた。「ここはパパちゃんが払う」とレジへ、うどんよりも高くついた。

 長女は神経質なところがあるが、孫娘はあっけらかんとしているから、この子の明るさに職場の人たちも助かっていると思う。「でもさ、ママ見てると、新生児だけじゃなくて、お年寄りの介護も出来るじゃん。私も小児科だけでなく、もっといろいろやった方がいいのかな」と言うので、「まだまだ、駆け出しさんなのだから、まず小児科をマスターすることが先なんじゃーないの」とジイジは説教してしまう。娘たちも孫たちも、やっぱり親を超えていくだろう。楽しみだ。

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反体制と判官びいき

2018年05月14日 18時34分32秒 | Weblog

  夏の日差しなのに風が強く吹いていて、ルーフバルコニーには出られなかった。満開のバラが強風に煽られ、倒れそうなくらい揺れている。昨夜、長女が小3の娘を連れてやってきた。食事の後、ケーキを食べながら談笑する。小3の孫娘はこのところ身体が大きくなったばかりか、垣間見せるしぐさが大人びてきた。長女の小学校時代のアルバムを見せると、食い入るように見ていたが、その表情も長女に似ている。

 小3の孫娘は長女に、長女はカミさんに、「いつもありがとう」と言った。3人を眺めてみると、共通するものがある気がする。それが何とまでは分析できないが、血が通っているのだから当然だろう。次女の保育園の時からの友だちは、考え方や感性が私と似ているが、彼女の方が何十倍も物事に積極的である。先の選挙でウグイスをやってもらった時、ちょうど遠方に住む母親から電話があった。「いま、選挙の応援をしているの」と彼女が伝えると、「エライねえ」とお母さんは言う。

 このポジティブさを娘の彼女は受け継いでいる。決して否定的に考えず、いつも前向きだ。そんな彼女が「私はいつも反体制だった」と言う。私たちの世代の、物事を考えるグループに共通する価値観である。「反体制」は文字通り、体制に反対する政府批判はあるだろうが、私はそこに「判官びいき」があるように思う。少数派というか体制に属せない人々に肩入れしたい気持ちである。

 義経や西郷が本当はどういう人だったのか分からないが、体制から弾き飛ばされたということから、なんとなく応援したくなる。それが戦後の民主主義を支えるエネルギーになってきたように思う。少数派がこの世に存在しないとなると、それは恐ろしい社会だろう。「多様な社会」と言いながら、絶対的な多数しか認めないのは矛盾である。こういう私たちの価値観が子どもたちにどのような影響を与え、今の社会の背骨を担っているのか、世界はそんな風に、子どもたちや孫たちへと課題を与えていくのだろう。

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京大の自治会も教授会もダンマリなのか?

2018年05月13日 17時25分50秒 | Weblog

  中学の同級生から電話が入り、「8月26日にクラス会やるから空けておいて」と言う。「高校の同窓会が、毎年その頃だが大丈夫か?」と聞くので、「オレは出たことなくて」と答える。日頃は「私」と表現しているのに、親しくなった友だちなどは「ボク」と言ったりするが、「オレ」と言ってしまったのは中学時代に戻ったためだろう。

 今日は「母の日」。中学生になったばかりの頃、国語の先生が「君たちは中学生だ。まだ、カアチャンとかオッカチャンと呼んでいるなら、お母さんと呼ぶようにしなさい」と言われた。私は確か、カアチャンと呼んでいたので、そうかこれからはお母さんと呼ぶことにしようと決めた。電車賃も小学生までは子どもだが、中学生からは大人扱いになる訳だから、大人らしく振舞う決意だった。

 けれど、中学生は子ども扱いだった。転校していく女の子からリコーダーを貰っただけなのに、職員室に呼び出され、長時間に亘って立たされた。先生の中には私をチラッと見て、「こういうおとなしい子が一番問題なんだ。大きくなると何するか分からんから」と小声で話す人もいた。「女の子とイチャイチャしてると、成績が落ちるぞ」と言う先生もいたが、私には悪いことをした意識がなかった。

 高校生の時、夏の制服で学校ともめた。先生たちは、「校則は君たちが守る規則だ」と言う。「誰が決めたのですか?自分たちで決めていないのに、なぜ守らなくてはならないのですか?」と反論すると、「君たちのためにあるからだ」と言われる。生徒を管理しておいて、「自主性」を口にするのはおかしいと反発したが、結局は学校の支配下にあった。

 今朝、京大の吉田キャンパスの立て看板が撤去された。京都市の景観条例に反するとして大学が強制撤去したのだ。京大の立て看板は京都の文化だったのに、「法律は守るもの」という訳である。京大の自治会も教授会もダンマリなのだろうか。そういう時代になってきた証なのか。上野千鶴子さんはどう言うのだろう。

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何だかよく分からない

2018年05月12日 19時10分29秒 | Weblog

  もちろん今日は、天気もよく風もなかったし、カミさんの応援もいただいたから、一日中ルーフバルコニーで作業をした。昨日の疲れが残っていたが、「よいお天気じゃない」と、励まされてはサボるわけにはいかない。カミさんは「じゃーガンバってね」と言って、スポーツジムへ出かけて行った。ひとりで黙々と作業をしながら、倉橋由美子さんの『大人のための残酷童話』に倣って、ストーリーを考えてみるがまだまとまらない。

 学校の運動場からは、元気な野球少年たちの声が聞こえてくる。いつも思うことだが、野球をしているのになぜ、「ワーショイ」と掛け声をかけるのだろう。子どもたちが黙々とプレーしていると、コーチが「声が出ていないぞ」と注意する。チームプレ―の競技だから、一丸となるためにもみんなで声を出すのは理解できるが、どうして「ワーショイ」なのだろう。

 「ワーショイ」はお神輿を担ぐ時に、バラバラにならないように発する掛け声だ。「和して背負う」からの掛け声だと言われている。いかにも本当らしい説明だが、きっとそうなのだろう。韓国語の「ワッソ(来たの意味)」が語源という説や、ヘブライ語が語源という説まであるそうだ。「元祖はうち」と誰でも言いたがるが、そんなことは言語学者か言語の歴史学者に任せておけばいい。

 野球少年たちがなぜ「ワーショイ」と言うのか、コーチは何故黙認しているのか、その方が興味深い。インターネットでのニュースは今や、いろんな会社というか個人というか、発信元も様々なようだ。そんな中に、「安倍首相が不在なのに官邸前でデモをしている」と報じたものがあった。どうもこの発信者はどこかの記者らしいが、「どうせマスコミ受けを狙ったデモで、『安倍やめろ』と叫ぶ連中なのだ」と見下げていた。この記者はデモをした経験がないばかりか、デモを敵視していることがよく分かる。

 「ワーショイ」の語源は興味深いが、デモをこんな風に見る記者の存在は情けない。

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右肩上がりでなくていい

2018年05月11日 19時20分11秒 | Weblog

  久しぶりに一日中ルーフバルコニーで作業したら、身体がどっと疲れてヘトヘトになってしまった。最近、朝起きると両手首が痛い。左手首は鉄パイプで打ち砕かれた後遺症だろうが、右手は中指が骨折したものの手首までは傷つかなかったのに、どういうことだろう。頭の左側が筋肉が突っ張るような痛みが時々あり、心臓の辺りの筋肉がピクピクッと動いて痛む時もある。この1年でこの世を去る予定なのだから、別に気にしないというより歓迎すべきことなのかも知れない。

 先日も身体のあちらこちらに症状があり、いくつかの病院に罹っていると言う人がいたが、年齢を重ねる限り避けられないことだ。あたふたせずに、運命を受け入れる訓練が要る。街に出れば目につくのは年寄りばかりだ。喫茶店もスーパーも若い人に出会うことがない。老人が多くなったというか、老人が目立っている。

 自民党の派閥の席で衆議院議員が、結婚式では「子どもを3人以上産み育てていただきたい」とスピーチしていること、若い女性には「結婚しなければ子どもが生まれないから、人様の子どもの税金で老人ホームに行くことになる」と説教していると、得意気に発言してまたしても批判を浴びている。人口減が社会の衰退になるからと、いつまでも右肩上がりの社会を追い求めるのは馬鹿げている。

 子どもを産むか否かは、他人が口にすることではない。何が幸せかも、他人が決めることでもない。現実の社会の中で、みんなが困らない仕組みを作るのが政治の役割である。人口減にふさわしい社会の在り方を求めていくことが、政治にかかわる人の責務である。右肩上がりの社会が本当に幸せな社会なのかと考えることも必要だろう。

 身体のあちこちが痛む老人たちも今を充分に生きることだ。明日に希望があれば、人は動くし、元気でいられる。明日も天気は良さそうだから、また朝からルーフバルコニーでチューリップの球根を抜き取り、土を入れ替え、夏の花を植える準備をしなくてはと思う。こんなことでも、明日の活力になるから不思議だ。

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