風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

冷戦と民主党

2009-11-08 21:15:06 | たまに文学・歴史・芸術も
 ベルリンの壁は、パンドラの箱のようでした。壁崩壊によって、それまで東西(左右)という単純で固定化された対立構図の中で抑え込まれていた様々な矛盾や問題が解き放たれたと言えます。ハンチントン教授が「文明の衝突」を書いたのはその象徴でしたが、日本の政治状況においても、左派勢力はようやくマルクス・レーニン主義のくびきから解き放たれ、新たな政治状況(政権交代が実現する体制)を模索する動きが生まれ得たのでした。このあたりの状況を、山口二郎氏の「政権交代論」(岩波新書)から拾って見てみます。
 最初の動きは1993年7月の総選挙で起こります。日本新党、新生党、新党さきがけが躍進し、非自民勢力で過半数を獲得した結果、細川連立政権が誕生しました。しかし、政治改革を実現するという一つの目標を共有していただけで、本格的な政策転換を推進する体制からは程遠く、僅か10ヶ月で崩壊することになります。こうした野党勢力の混迷状況は、1996年9月に、社会党右派とさきがけを中心として結成された旧・民主党でも、また1997年末に新進党が解体し、そこから分かれた諸政党や、旧・自民系、旧・民社系、かつての日本新党所属議員が合流する形で結成された現在の民主党でも、変わりませんでした。2003年9月には、小沢さん率いる自由党と合併し、保守層からも支持を得て、野党第一党としての地位を明確にしますが、諸勢力を糾合した政策的な曖昧さが、政権政党に脱皮するための足かせになっていました。実際に、小泉さんが構造改革を叫んだ時、当時の鳩山さんは小泉改革に賛同し、自民党が妨害するなら民主党とやろうと応えたことがあり、山口氏は同書の中で、見当違いなこととして一蹴しています(私にはそうは思えませんが)。このあたりの事情を、山口氏は同書の中で、改革論の方向性の違いとして、市場化のベクトルと市民化のベクトルとの二つの軸に分けて、鮮やかに整理されています。
 市場化のベクトルとは、公共政策の領域を縮小し、市場原理を拡大することによって、政治・行政システムを変革するもので、橋本さんの財政構造改革や小泉さんの構造改革路線にあたります。法の解釈権をもって官僚が恣意的・選択的に市場に介入することが市場の効率化を阻害し、行政の腐敗を招くという発想から、官僚の裁量権力・規制権限を廃絶して規制緩和を進め、市場に全てを任せる方向性をとります。これを表現するキャッチフレーズとして「官から民へ」や「小さな政府」があります。
 これに対し、市民化のベクトルとは、民主主義を徹底することによって、政策形成のひずみを是正する方向の運動のベクトルです。これは、民主的な参加によって政策を市民・生活者向けに切り替えることを目指すもので、公共セクターの政策の領域事態を縮小することが政治の浄化と生活者の利益実現という双方の目的に適うと考える市場化のベクトルとは、明確に異なります。
 1990年代は、改革が巨大官僚組織と戦うことを意味したため、市場化と市民化がある程度まで共闘できたと言います。そして結党当初の民主党も、非自民・改革という曖昧な看板だけで、構成議員の雑居状態を反映して、民主党の性格は市場化と市民化が雑居状態で、政策的な基軸がありませんでした。その結果、小泉さんが掲げる改革との間で明確な対立軸を打ち出せなかったことを反省されています。
 ところが、2005~06年頃、マンションの耐震強度偽装事件、ライブドアの粉飾決算事件、米国産牛肉の安全性を巡る議論、格差・貧困問題など、自由放任や規制緩和がもたらした弊害が相次いでメディアに取り上げられ世論の関心を煽った上、民主党内で政治力学が変化する事態が発生します。所謂堀江メール問題で、当時の国会対策委員長・野田さんに続いて前原さん自身も代表を辞任し、党内で市場化ベクトルを志向する松下政経塾出身の若手議員が押しなべて発言力を失った結果、民主党として市場化ではなく市民化ベクトルを採る改革者の路線が明確になって行きました。前原さんの後を継いだ小沢さんは、憲法や安全保障政策は争点とせず、社会保障や雇用を中心として国民の生活を支える社会経済政策を追求するという形で、自民党との二極的対立の構図を明確にしたのでした。小沢さんらしい現実的な政治感覚のなせる技でしょうか。
 このあたりの論考は、民主党の結党に関わり、その後も民主党を間近で見て来られた山口氏ならではの迫真性を感じ、面白く拝読しました。しかしながら、小泉改革を単純に新自由主義的構造改革と決め付け、新自由主義のもとでは経済効率と利益追求のあまり人間をモノと同じように扱うと断罪し、その新自由主義的改革は破綻したと軽くいなし、民営化は「安かろう悪かろう」の質の低下傾向をもたらすと非難するなど、物事を単純化し、市場に信を置かない偏り加減は、左派あるいは社会民主主義者を自認する氏らしく、私自身は容易に相容れないものを感じてしまいます。
 いずれにしても、冷戦終結によって崩壊したのはソ連型社会主義であって、マルクス主義そのものではなく、資本主義に対する批判精神は一つのアンチテーゼとしてアウフヘーベンされ、現にイギリスやドイツなどでは第三の道と呼ばれて政権を担っています。日本でも、シュレジンジャー氏が言うような三十年の周期的変化が起こり、理想主義と現実主義の間を揺れ動きながら、民主主義が成熟していくのでしょうか。
 上の写真は、壁は壁でも、オーストアリア・キャンベラの戦争記念館にある壁です。もとは第一次大戦の戦没者を追悼する目的で設立されたもので、建物の中心に追悼ホールがあり、この回廊の壁にはオーストラリアの全ての戦没者の名前が刻まれています。
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