風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

クラウド

2009-11-14 22:48:13 | 日々の生活
 最近「クラウド・コンピューティング」という言葉をよく聞きます。ネットワーク図でインターネットが雲の形で表現されることから、コンピュータ・サーバーやソフトウェアやデータをインターネットの向こう側に移し、どこにあるのかを意識することなく、必要に応じて利用する形態です。決して目新しいことを言っているわけではありませんが、言葉が新しいと、なんだか目新しさもあるような気がして、ちょっと気後れを感じたり、有り難味を感じたりもするから不思議です。
 私が会社に入った頃は、ホスト・コンピュータによる集中管理から、パーソナル・コンピューティングに移り変わる頃で、オフィスではせいぜい部単位で数台共有していたパソコンを、一人一台配布するという画期的な宣言を新鮮な驚きとともに歓迎したものでした。データを手元に置いて自分で処理するのが当たり前の時代になり、技術革新とともに取り扱うデータ量は劇的に増えます。初めは文字や数字が中心で、画像データや動画をディジタル情報にしてパソコンで扱うマルチメディア・コンピューティングは夢のまた夢と言われたものでしたが、テクノロジーの進歩は私たちの予想を遥かに越え、画像や動画はごく自然に私たちの生活の中に浸透して来ました。また、個々のパソコンがネットワークに繋がるネットワーク・コンピューティングの時代が到来するとも予想されましたが、それもごく自然に進展し、今やインターネットは水道や電気のように当たり前のインフラと見なされるようになりました。ここ数年、500ドル・パソコンに代表されるように、メールやネット接続を前提にした軽いパソコン、所謂ネット・ブックが、不景気のパソコン市場を牽引しています。この背景にあるのがクラウド・コンピューティングです。
 私はブログを始めてまだ3年にしかなりませんが、初めの頃は、通勤途上や会社で思いついたアイディアをWordに書き留めたり、昼休みにネットで見かけた面白い記事をコピー&ペーストしたものを、わざわざUSBメモリで持ち運び、自宅でブログを書くというような生活でした。しかし今はG-MailやYahoo Mailをメモ帳代わりにするので、USBメモリを持ち運ぶ必要はありませんし、使うパソコンの拘束を受けることもありません。今朝、NHKのある番組を見ていると、「超整理法」の野口悠紀夫さんも同じようなことを言われていました。自分の金を銀行に預けるように、自分のデータをネットの向こう側にあるデータセンターに一時的に預けるわけです。グーグルは発電所になると、梅田さんが「ウェブ進化論」の中で触れられていたのを記憶しますが、まさに電力ならぬITパワーを供給する巨大設備産業に成長しています。
 もっともセキュリティの課題はあります。誰が持とうがお金はお金で、預けるものそのものではなく、いくら預けているか、いくら持っているかが重要ですが、データは属人性があります。しかしNHKの同番組でグーグル日本法人の社長さんが、個人でデータを持っていてもリスクはあるのだと主張されるのは分からないではありません。パソコンや携帯だけではなく、今後、全てがネットに繋がるユビキタス・コンピューティングの時代には、そんなことにいちいち構っていられない(あるいはテクノロジーが解決してくれる?)のかも知れませんね。
 上の写真は本当のクラウド(雲)。晴れていたのに突然のスコールが、それこそバケツをひっくり返したような激しさで襲うのは、熱帯らしい。マレーシア・ペナンで。
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もう一つの20年

2009-11-14 00:36:43 | たまに文学・歴史・芸術も
 ベルリンの壁が崩壊した20年前は、平成の世が始まった年でもありました。あの時(1989年1月7日)、私は、独身寮の寮長室に詰めていました。その前々週にたった三時間の電話当番をサボったばかりに、その罰として、一日電話当番を言いつけられ、よりによって朝から晩まで昭和の歴史を振り返る特番を堪能し、昭和天皇崩御を悼んだのでした。
 昨日・今日と、天皇陛下ご即位20年の祝賀行事が行なわれました。テレビや新聞の報道を見ていると、災害被災地へのお見舞いや障害者や高齢者の施設訪問(即位後に両陛下が訪問された全国の施設はこれまでに170ヶ所!)などを通じて、常に国民に寄添い、日本国民並びに日本国の平和と安寧を願ってきた皇室のありようをあらためて思い知らされました。これは平成あるいは戦後に限った話ではありません。最近、読んだ阿川弘之さんの小説「米内光政」に、昭和天皇の次のようなエピソードが紹介されています。
 ・・・・・昭和20年9月27日、マッカーサー元帥はアメリカ大使館で天皇陛下と初めての単独会見をした。天皇陛下が命乞いに来ると思っていたマッカーサー元帥は、西欧のエンペラーともカイゼルとも感じの違う人がモーニング姿で現れて、「自分の一身なぞどうなってもいいから、国民を助けて欲しい」と言うのを聞き、「世界の歴史にかつてこのような君主がいたのを私は知らない」と、非常な感銘を受けたと伝えられている・・・・・・
 太平洋戦争へと突き進む昭和初期、昭和天皇は陸軍の暴走を懸念され、三国同盟を身体を張って阻止し終戦工作を陰で指揮した米内光政海軍大将のことをこの上もなく信頼されていたそうですが、もし昭和天皇が専制君主であったなら、先の戦争には至らなかったのではないかとさえ思います。これが2000年の皇室の歴史と伝統と言えるのかも知れません。それを今なお守り育てている今上天皇のご努力には頭が下がります。そんな皇室を戴いた日本人の幸福を思わないわけには行きません。
 上の写真は「日出るところの天子」ならぬ、場所はマラッカ海峡の日の出です。
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