前回に続いて、アジア出張の落穂拾いです。
心理的な日本への近さ、ということで判断基準となるのは、日本食レストランがあるか、NHKや日本語新聞を見ることが出来るか、日本語ミニコミ誌があるか、といったところでしょう(逆に日本から遠い、あるいはアジア的と感じるのは、町並みや食の清潔さに乏しく、交通が乱雑で、怪しげな対面販売がまかり通ることと言えましょうか)。その意味では、海外在留邦人数の公式統計(外務省領事局政策課、2009年10月現在)通りで、バンコク(3.3万人、世界第4位)、シンガポール(2.3万人、同7位)、マニラ(1.0万人、同19位)の三都市は、居酒屋や日本人が経営するヘア・サロンまでありますし、ホテルのテレビでNHK衛星の日本語放送を見ることが出来ますし、朝、ホテルの部屋に日本語新聞が届けられていて、現地での生活に不自由は少ないだろうと思われます(同時にアジア的でもあります)。
しかしニューデリーは地理的な距離以上に日本から遠いようです。ホテルで見たNHKは英語放送だけでしたし、日本食レストランがほとんど無く、現地に長らく生活する駐在員ですらもしょっちゅう食中りをおこすほどの衛生環境で、今回も、現地会社の社長さんのお宅に呼ばれて晩飯をご馳走になるという、それこそ20年以上前に先進国で見られた駐在員生活が今なお続いています。今なお続いているという意味では、空港からホテル、ホテルからオフィスと、全ての移動を現地駐在員にアレンジしてもらって、外の空気に触れることはありませんでしたし、交差点で信号待ちしているところに、赤ん坊を抱いたお父さんが近づいて来て物乞いをするという、話には聞いていた光景も目の当たりにしました。特にこの光景には、日本人としては憐憫の情を催し、気が気でないわけですが、現地人運転手に言わせれば、金を与えたところで、オヤジが酒を飲んでしまうだけだと、冷静です。
他方、東南アジア最大の先進国と言っても良いシンガポールは、それだけ日本に近いかと言えば、必ずしもそうとは言えないのがアジア的な不思議さでしょう。東洋のイスラエルと呼ばれる、流浪の民・客家人の国で、明るい北朝鮮の異名をもつ監視社会でもあり、労働者党などの野党の存在は認められているものの野党候補が当選しようものなら中央から予算削減などの露骨な嫌がらせ受け、言論や集会・デモは厳しく制限され、報道規制についても「国境なき記者団」から強く批判され、ファイン・アンド・ファインとまで揶揄される清潔な街並みは、500万本ある街路樹の一本一本について、肥料を施した日や、開花や落実の時期などの細かい点に至る樹歴がコンピュータ管理されていると言われ、そういう意味での政治的安定と経済的自由を享受する代わりに、事実上の一党独裁で政治的自由は放棄している状況です(一部Wikipediaにも出ていますが、現地会社の社長も実感を込めて語ってくれました)。
こうして見ると、日本では、最大限の自由を享受できてなお、人々の行動には節度があり、街並みは美しく、規律ある社会を形成する国民の成熟度は、アジアという喧騒と混沌において特筆すべきものであることが分かります。
心理的な日本への近さ、ということで判断基準となるのは、日本食レストランがあるか、NHKや日本語新聞を見ることが出来るか、日本語ミニコミ誌があるか、といったところでしょう(逆に日本から遠い、あるいはアジア的と感じるのは、町並みや食の清潔さに乏しく、交通が乱雑で、怪しげな対面販売がまかり通ることと言えましょうか)。その意味では、海外在留邦人数の公式統計(外務省領事局政策課、2009年10月現在)通りで、バンコク(3.3万人、世界第4位)、シンガポール(2.3万人、同7位)、マニラ(1.0万人、同19位)の三都市は、居酒屋や日本人が経営するヘア・サロンまでありますし、ホテルのテレビでNHK衛星の日本語放送を見ることが出来ますし、朝、ホテルの部屋に日本語新聞が届けられていて、現地での生活に不自由は少ないだろうと思われます(同時にアジア的でもあります)。
しかしニューデリーは地理的な距離以上に日本から遠いようです。ホテルで見たNHKは英語放送だけでしたし、日本食レストランがほとんど無く、現地に長らく生活する駐在員ですらもしょっちゅう食中りをおこすほどの衛生環境で、今回も、現地会社の社長さんのお宅に呼ばれて晩飯をご馳走になるという、それこそ20年以上前に先進国で見られた駐在員生活が今なお続いています。今なお続いているという意味では、空港からホテル、ホテルからオフィスと、全ての移動を現地駐在員にアレンジしてもらって、外の空気に触れることはありませんでしたし、交差点で信号待ちしているところに、赤ん坊を抱いたお父さんが近づいて来て物乞いをするという、話には聞いていた光景も目の当たりにしました。特にこの光景には、日本人としては憐憫の情を催し、気が気でないわけですが、現地人運転手に言わせれば、金を与えたところで、オヤジが酒を飲んでしまうだけだと、冷静です。
他方、東南アジア最大の先進国と言っても良いシンガポールは、それだけ日本に近いかと言えば、必ずしもそうとは言えないのがアジア的な不思議さでしょう。東洋のイスラエルと呼ばれる、流浪の民・客家人の国で、明るい北朝鮮の異名をもつ監視社会でもあり、労働者党などの野党の存在は認められているものの野党候補が当選しようものなら中央から予算削減などの露骨な嫌がらせ受け、言論や集会・デモは厳しく制限され、報道規制についても「国境なき記者団」から強く批判され、ファイン・アンド・ファインとまで揶揄される清潔な街並みは、500万本ある街路樹の一本一本について、肥料を施した日や、開花や落実の時期などの細かい点に至る樹歴がコンピュータ管理されていると言われ、そういう意味での政治的安定と経済的自由を享受する代わりに、事実上の一党独裁で政治的自由は放棄している状況です(一部Wikipediaにも出ていますが、現地会社の社長も実感を込めて語ってくれました)。
こうして見ると、日本では、最大限の自由を享受できてなお、人々の行動には節度があり、街並みは美しく、規律ある社会を形成する国民の成熟度は、アジアという喧騒と混沌において特筆すべきものであることが分かります。