アップル創業者のスティーブ・ジョッブズ氏が亡くなりました。昨晩、書きかけのまま寝入ってしまって、今、あらためて続きを書き加えています。
私自身は、パソコンを、仕事ではともかく、家庭で使い始めたのはほんのここ十数年のことで、アップルやマックへのこだわりはさほどありませんが、同時代を生きてきたビジネス・パーソンとしては、気になる存在であり続けました。これは同時代人の共通認識だろうと思います。私なりに英語風に今の気持ちを表現するならば、「同時代最高のアイコンが逝く(passed away)」。
56歳という早すぎる死を惜しむ声が各方面からあがりました。投資家のバフェット氏は「アメリカのビジネス史上、最も素晴らしい経営者であり発明者だった」とオーソドックスに語ったそうでうし、ビル・ゲイツ氏も「スティーブのように、何世代先にも深く影響を与えるような人物はめったに現れない。彼と働くことができたのは大変な名誉だった」と、多少大袈裟ながらも、秀才らしく穏当なコメントを寄せており、私たちにも納得感があります。ソフトバンクの孫正義さんに至っては、「芸術とテクノロジーを両立させた現代の天才だった。数百年後の人々は彼とレオナルド・ダビンチを並び称することであろう」と破格の賛辞を贈り、ブルームバーグNY市長も、「今夜、アメリカは、エジソン、アインシュタインと並んで我々の記憶に残るであろう天才を失った」とまで持ち上げたそうです。はなむけの言葉と割り引いてなお、私たちが直面した心の喪失感は、日に日に高まっているようです。
中でも私を驚かせたのは、彼の死を、ジョン・レノンが殺された時以来の衝撃で迎えたという声があがったことでした。スティーブ・ジョッブズ自身も、ジョン・レノンやボブ・ディランが好きだったようですが、どうやらこの三人は、年は離れていても同じ系列に属しているように見えます。一種のヒッピー文化の流れを引くというような。誰かがあるサイトで、ギター片手に生み出す作品が、ただのアルバムではなく彼ららしさを表すものとして愛されたように、スティーブ・ジョッブズが生み出す作品は、単なる機械を越えて強烈な彼らしさそのものであり、多くの人々を惹きつけたと語っているのを見て、私が、尊敬しながらも、自分とは違う雰囲気やニオイにやや距離を置いてきたのは、単に天才と凡人の差だけでなく、こうした世代という名のどうしても越えがたい溝なり、あるいは(ヒッピー)文化という壁があったせいかも知れないと思い至りました。
オバマ大統領は、「世界はひとりのビジョナリーを失った。彼の訃報を彼自身が生み出した機器でこれだけ多くの人が知ったという事実が、Steveに対する最大の賞賛かもしれない」と、やや皮肉な現実で哀悼の言葉を締めくくりました。レコードからCDへと受け継がれた伝統的な音楽産業を、「iTunes」で始めた音楽配信事業で突き崩したのは圧巻でした。複雑な権利関係で身動きが取れずとても不可能だろうと言われながら、大手レコード会社幹部や歌手を自ら口説き落として、あれよあれよという間にネット配信を実現させた話は語り草で、天晴れと言うほかありません。更に、タブレットPCは10年前にもありましたし、同じ10年位前に訪れた欧州の展示会CeBitではPDA(Personal Digital Assistance)がもてはやされたものでしたが、結局、鳴かず飛ばずだったのに、「iPhone」や「iPad」によって、自ら育てたパソコン産業までも切り崩すという、他の誰もが成し得なかったことをいとも簡単に成し遂げ、創造的破壊を地で行く手腕に、成功体験に埋没しがちな私たちシロウトは敬服します。
折しも彼の遺作となったiPhone 4Sの予約受付が始まりました。4SはFor Steveの意味だと噂されますが、都市伝説ではなく、その通りなのでしょう。Appleのホームページが白黒の彼の写真を載せて哀悼の意を表したのは当然としても、あのGoogleまでが、広告を頑なに拒む検索画面の下に「Steve Jobs 1955-2011」と小さく書き込んで最高の敬意を表していたのを見て、あらためて失われたものの偉大さを思いました。
私自身は、パソコンを、仕事ではともかく、家庭で使い始めたのはほんのここ十数年のことで、アップルやマックへのこだわりはさほどありませんが、同時代を生きてきたビジネス・パーソンとしては、気になる存在であり続けました。これは同時代人の共通認識だろうと思います。私なりに英語風に今の気持ちを表現するならば、「同時代最高のアイコンが逝く(passed away)」。
56歳という早すぎる死を惜しむ声が各方面からあがりました。投資家のバフェット氏は「アメリカのビジネス史上、最も素晴らしい経営者であり発明者だった」とオーソドックスに語ったそうでうし、ビル・ゲイツ氏も「スティーブのように、何世代先にも深く影響を与えるような人物はめったに現れない。彼と働くことができたのは大変な名誉だった」と、多少大袈裟ながらも、秀才らしく穏当なコメントを寄せており、私たちにも納得感があります。ソフトバンクの孫正義さんに至っては、「芸術とテクノロジーを両立させた現代の天才だった。数百年後の人々は彼とレオナルド・ダビンチを並び称することであろう」と破格の賛辞を贈り、ブルームバーグNY市長も、「今夜、アメリカは、エジソン、アインシュタインと並んで我々の記憶に残るであろう天才を失った」とまで持ち上げたそうです。はなむけの言葉と割り引いてなお、私たちが直面した心の喪失感は、日に日に高まっているようです。
中でも私を驚かせたのは、彼の死を、ジョン・レノンが殺された時以来の衝撃で迎えたという声があがったことでした。スティーブ・ジョッブズ自身も、ジョン・レノンやボブ・ディランが好きだったようですが、どうやらこの三人は、年は離れていても同じ系列に属しているように見えます。一種のヒッピー文化の流れを引くというような。誰かがあるサイトで、ギター片手に生み出す作品が、ただのアルバムではなく彼ららしさを表すものとして愛されたように、スティーブ・ジョッブズが生み出す作品は、単なる機械を越えて強烈な彼らしさそのものであり、多くの人々を惹きつけたと語っているのを見て、私が、尊敬しながらも、自分とは違う雰囲気やニオイにやや距離を置いてきたのは、単に天才と凡人の差だけでなく、こうした世代という名のどうしても越えがたい溝なり、あるいは(ヒッピー)文化という壁があったせいかも知れないと思い至りました。
オバマ大統領は、「世界はひとりのビジョナリーを失った。彼の訃報を彼自身が生み出した機器でこれだけ多くの人が知ったという事実が、Steveに対する最大の賞賛かもしれない」と、やや皮肉な現実で哀悼の言葉を締めくくりました。レコードからCDへと受け継がれた伝統的な音楽産業を、「iTunes」で始めた音楽配信事業で突き崩したのは圧巻でした。複雑な権利関係で身動きが取れずとても不可能だろうと言われながら、大手レコード会社幹部や歌手を自ら口説き落として、あれよあれよという間にネット配信を実現させた話は語り草で、天晴れと言うほかありません。更に、タブレットPCは10年前にもありましたし、同じ10年位前に訪れた欧州の展示会CeBitではPDA(Personal Digital Assistance)がもてはやされたものでしたが、結局、鳴かず飛ばずだったのに、「iPhone」や「iPad」によって、自ら育てたパソコン産業までも切り崩すという、他の誰もが成し得なかったことをいとも簡単に成し遂げ、創造的破壊を地で行く手腕に、成功体験に埋没しがちな私たちシロウトは敬服します。
折しも彼の遺作となったiPhone 4Sの予約受付が始まりました。4SはFor Steveの意味だと噂されますが、都市伝説ではなく、その通りなのでしょう。Appleのホームページが白黒の彼の写真を載せて哀悼の意を表したのは当然としても、あのGoogleまでが、広告を頑なに拒む検索画面の下に「Steve Jobs 1955-2011」と小さく書き込んで最高の敬意を表していたのを見て、あらためて失われたものの偉大さを思いました。