寺田寅彦氏「天災と日本人」(角川ソフィア文庫)から、以前、科学者の視点で天災と国防について語ったエッセイから印象に残った言葉を抜き書きしました。実は氏には、もう一つ、天災をはじめとする日本の気象や地理が日本人の民族性を形作っているとする視点でのエッセイもあります。この時期に、講談社学術文庫が「天災と国防」と題し、また角川ソフィア文庫が「天災と日本人」と題する、エッセイのアンソロジーを相次いで出版した所以でもあります。今日は日本の自然と日本人観について、印象に残った言葉を抜き書きします。
日本の自然、先ずは気候の特異性を説明されます。日本は温帯にあって、「最も寒い地方から最も暖かい地方までのあらゆる段階を細かく具備し包含している」こと、「そうした温帯の特徴は季節の年周期」にあること、熱帯も寒帯も、昼夜はあるが季節も天気もないことから、いろいろと予測しがたい変化をする『天気』という言葉自体も温帯でこそ意味を持つ言葉だと述べられます。さらに温帯の中でも、日本は他国と比べて特異性を持つ原因は、「日本が大陸の周縁であると同時にまた環海の島嶼であるという事実に帰することが出来る」と言います。一般に「大陸の西側と東側とでは大気並びに海流の循環の影響で色々の相違がある」ことが知られますが、とりわけ日本のように、「大陸の東側、大洋の西側の国は気候的に不利な条件にある」ということです。
気候に続いて重要なのは、土地の起伏水陸の交錯による地形的・地理的要素であるとして、先ず、「日本の土地が云わば大陸の辺境の揉み砕かれた破片である」こと、このことは「日本の地質構造、従ってそれに支配され影響された地形的構造の複雑多様なこと、錯雑の規模の細かいことと密接に連関」しており、「極めて複雑な地形の分布、水陸の交錯を生み出し」、それが「居住者の集落の分布やその相互間の交通網の発達に特別な影響を及ぼさないではおかない」のであり、このような地形は「漂泊的な民族的習性には適さず、むしろ民族を土着させる傾向をもつ」と述べられます。
こうした土地に固有な火山現象の頻出が更に一層その変化に特有な異彩を添え、「動かぬものの譬えに引かれる吾々の足下の大地が時として大いに震え動く、そういう体験を持ち伝えて来た国民と、そうでない国民とが自然というものに対する観念においてかなりに大きな懸隔を示しても不思議はない」ということになります。その一つの典型が、「人間の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科学の発達を促した」のに対して、「東洋の文化国日本にそれと同じような科学が同じ歩調で進歩しなかった問題」に表れており、日本では、“母なる大地”に象徴されるように「自然の慈母の慈愛が深くてその慈愛に対する欲求が満たされやすいために住民は安んじてその懐に抱かれることが出来る」と同時に「我々のとかく遊惰に流れやすい心を引き締める『厳父』としての役割を勤める」結果として、「自然の十分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を収集し蓄積する」ことに勤めて来たというわけです。こうして、以前、このブログの別の稿で触れたように、日本人は「科学」と言うより「技術」を発達させ、今もなお「科学」はさることながら「思想」で処理することすらも「技術」で克服する民族性が育まれたのだろうと、私は思います。
こうした「特異な環境に適応するように育て上げられてきて、何らかの固有の印銘を残していること」の一つに、かつてテレビCMで日本語で「風」を表現する言葉が多いことに触れたものがありましたが、寺田寅彦氏は、「春雨」「五月雨」「時雨」のように、雨の降り方も実に色々様々の降り方があり、それらを区別する名称がそれに応じて分化している点でも日本は恐らく世界随一ではないかと述べています。同じように、「花曇り」「霞」「稲妻」なども他国では見られない表現だと言います。
そのほか、衣食住をはじめとする日本の文化が、こうした日本の特異な自然環境に規定されるとして、いくつか事例が紹介されます。
先ずは日本人の常食に関して、新鮮なものが手に入りやすいことから、余計な調味で味付けするのではなく、新鮮な材料本来の美味を、それに含まれる貴重なビタミンとともに、自然のままで摂取するほうが快適有効であることを知っていること、そして、食物の季節性に関しても、「はしり」を喜び「しゅん」を尊ぶ日本人は、「年中同じように貯蔵した馬鈴薯や玉葱をかじり、干物塩物や、季節にかまわず豚や牛ばかり食っている西洋人や支那人、あるいはほとんど年中同じような果実を食っている熱帯の住民」とは対照的だと述べます。
日本の家屋で木造が発達したのは良材が得やすいからに相違ありませんが、床下の通風を良くして土台の腐敗を防ぎ、庇(ひさし)と縁側を設けて日射と雨雪を遠ざけるというように、日本の気候に適応した設計を施していますし、障子は、光を弱めずに拡散する効果があり、風の力を弱めてしかも適宜な空気の流通を調節する効果をもち、「存外巧妙な発明だ」と述べています。
住居に付属する庭園もまた、西洋人と日本人とで格好の対照をなし、「西洋人は自然を勝手に手製の鋳型にはめて幾何学的な庭を造って喜んでいるのが多いのに対して、日本人はなるべく山水の自然を害うことなしに住居の傍に誘致し自分はその自然の中に抱かれ、その自然と同化した気持ちになることを楽しみとする」と言います。盆栽・活け花のごときも、また花見遊山も、月見や星祭までも、日本人にとっては庭園の延長(圧縮あるいは庭を山野にまで拡張するもの)であり、床の間に山水花鳥の掛け軸をかけるのもまたそのバリエーションと考えられなくもない、と言います。
最後に、話は日本人の精神生活に及びます。「単調で荒涼な砂漠の国には一神教が生まれ」、「日本のような多彩にして変幻きわまりなき自然をもつ国で八百万の神々が生まれ崇拝され続けて来たのは当然」であろう、「山も川も樹も一つ一つが神であり人でもある」のである、と。また、「仏教が遠い土地から移植されてそれが土着し発育し持続したのはやはりその教義の含有する色々の因子が日本の風土に適応したためでなければなるまい」、「思うに仏教の根底にある無常観が日本人のおのずからな自然観と相調和するところのあるのもその一つの因子ではないかと思う」と述べていて、慧眼だと思います。本書の解説の中で、山折哲雄氏は、和辻哲郎氏の「風土―人間学的考察」が、寺田寅彦氏の「日本人と自然観」と同じ年にまとめられながら、和辻氏が、西欧の牧場的風土、中東やアフリカの砂漠的風土に対して、日本のモンスーン的風土を対比して論じているだけで、地震的性格について何一つ触れられていないのが不思議だとしつつ、台風的契機を重視して「慈悲の道徳」に着目したのに対し、寺田寅彦氏は地震的契機を取り出して「天然の無常」という認識に到達した、その対照性に無類の知的好奇心を覚える、と結んでいます。
寺田寅彦氏の論考の一つひとつが、今となっては私たち日本人には既に馴染みのことと思います。それを敢えて引用したのは、環境問題やエネルギー政策を考える時に、日本の風土が世界でも類まれな存在であること、こうした私たち日本人の置かれた環境をあらためて振り返ることも、無駄ではないだろうと思ったからです。
(追記)2011/10/23
和辻哲郎氏の「風土」は、学生時代に本を買ったまま後生大事にしまいこんで、いまだに読んでいなかったなあと思いだしたところへ、「梅棹忠夫 語る」(日経プレミアシリーズ)を読むと、和辻哲郎氏のことを批判する言葉がぽろぽろ出てくるので、ますます読みたくなりました。「和辻さんという人は大学者にはちがいない。ただ『風土』は間違いだらけの本だと思う。(中略)自分の眼で見とらんからです。(ヨーロッパが)何かもう非常に清潔で、整然たるものだと思い込んでいる。(中略)見せかけに騙されるのならまだいい。それと違うな。あれは思い込みや。」このあたりは、同じ書で「私は自分で見たものしか信用しないし、他人の繰り返しは出来ないのや。」と言い放つ、フィールドワークを生涯をかけてベースとされてきた氏のあるいは京都学派の面目でしょうか。梅棹氏には「文明の生態史観」という名著があり、これも氏は「足で発想した」と言い、「日本はヨーロッパと同じや」「インドが東洋なら日本は東洋ではない」などと過激なことを言われ、こちらの本もまた再読したくなりました。
日本の自然、先ずは気候の特異性を説明されます。日本は温帯にあって、「最も寒い地方から最も暖かい地方までのあらゆる段階を細かく具備し包含している」こと、「そうした温帯の特徴は季節の年周期」にあること、熱帯も寒帯も、昼夜はあるが季節も天気もないことから、いろいろと予測しがたい変化をする『天気』という言葉自体も温帯でこそ意味を持つ言葉だと述べられます。さらに温帯の中でも、日本は他国と比べて特異性を持つ原因は、「日本が大陸の周縁であると同時にまた環海の島嶼であるという事実に帰することが出来る」と言います。一般に「大陸の西側と東側とでは大気並びに海流の循環の影響で色々の相違がある」ことが知られますが、とりわけ日本のように、「大陸の東側、大洋の西側の国は気候的に不利な条件にある」ということです。
気候に続いて重要なのは、土地の起伏水陸の交錯による地形的・地理的要素であるとして、先ず、「日本の土地が云わば大陸の辺境の揉み砕かれた破片である」こと、このことは「日本の地質構造、従ってそれに支配され影響された地形的構造の複雑多様なこと、錯雑の規模の細かいことと密接に連関」しており、「極めて複雑な地形の分布、水陸の交錯を生み出し」、それが「居住者の集落の分布やその相互間の交通網の発達に特別な影響を及ぼさないではおかない」のであり、このような地形は「漂泊的な民族的習性には適さず、むしろ民族を土着させる傾向をもつ」と述べられます。
こうした土地に固有な火山現象の頻出が更に一層その変化に特有な異彩を添え、「動かぬものの譬えに引かれる吾々の足下の大地が時として大いに震え動く、そういう体験を持ち伝えて来た国民と、そうでない国民とが自然というものに対する観念においてかなりに大きな懸隔を示しても不思議はない」ということになります。その一つの典型が、「人間の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科学の発達を促した」のに対して、「東洋の文化国日本にそれと同じような科学が同じ歩調で進歩しなかった問題」に表れており、日本では、“母なる大地”に象徴されるように「自然の慈母の慈愛が深くてその慈愛に対する欲求が満たされやすいために住民は安んじてその懐に抱かれることが出来る」と同時に「我々のとかく遊惰に流れやすい心を引き締める『厳父』としての役割を勤める」結果として、「自然の十分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を収集し蓄積する」ことに勤めて来たというわけです。こうして、以前、このブログの別の稿で触れたように、日本人は「科学」と言うより「技術」を発達させ、今もなお「科学」はさることながら「思想」で処理することすらも「技術」で克服する民族性が育まれたのだろうと、私は思います。
こうした「特異な環境に適応するように育て上げられてきて、何らかの固有の印銘を残していること」の一つに、かつてテレビCMで日本語で「風」を表現する言葉が多いことに触れたものがありましたが、寺田寅彦氏は、「春雨」「五月雨」「時雨」のように、雨の降り方も実に色々様々の降り方があり、それらを区別する名称がそれに応じて分化している点でも日本は恐らく世界随一ではないかと述べています。同じように、「花曇り」「霞」「稲妻」なども他国では見られない表現だと言います。
そのほか、衣食住をはじめとする日本の文化が、こうした日本の特異な自然環境に規定されるとして、いくつか事例が紹介されます。
先ずは日本人の常食に関して、新鮮なものが手に入りやすいことから、余計な調味で味付けするのではなく、新鮮な材料本来の美味を、それに含まれる貴重なビタミンとともに、自然のままで摂取するほうが快適有効であることを知っていること、そして、食物の季節性に関しても、「はしり」を喜び「しゅん」を尊ぶ日本人は、「年中同じように貯蔵した馬鈴薯や玉葱をかじり、干物塩物や、季節にかまわず豚や牛ばかり食っている西洋人や支那人、あるいはほとんど年中同じような果実を食っている熱帯の住民」とは対照的だと述べます。
日本の家屋で木造が発達したのは良材が得やすいからに相違ありませんが、床下の通風を良くして土台の腐敗を防ぎ、庇(ひさし)と縁側を設けて日射と雨雪を遠ざけるというように、日本の気候に適応した設計を施していますし、障子は、光を弱めずに拡散する効果があり、風の力を弱めてしかも適宜な空気の流通を調節する効果をもち、「存外巧妙な発明だ」と述べています。
住居に付属する庭園もまた、西洋人と日本人とで格好の対照をなし、「西洋人は自然を勝手に手製の鋳型にはめて幾何学的な庭を造って喜んでいるのが多いのに対して、日本人はなるべく山水の自然を害うことなしに住居の傍に誘致し自分はその自然の中に抱かれ、その自然と同化した気持ちになることを楽しみとする」と言います。盆栽・活け花のごときも、また花見遊山も、月見や星祭までも、日本人にとっては庭園の延長(圧縮あるいは庭を山野にまで拡張するもの)であり、床の間に山水花鳥の掛け軸をかけるのもまたそのバリエーションと考えられなくもない、と言います。
最後に、話は日本人の精神生活に及びます。「単調で荒涼な砂漠の国には一神教が生まれ」、「日本のような多彩にして変幻きわまりなき自然をもつ国で八百万の神々が生まれ崇拝され続けて来たのは当然」であろう、「山も川も樹も一つ一つが神であり人でもある」のである、と。また、「仏教が遠い土地から移植されてそれが土着し発育し持続したのはやはりその教義の含有する色々の因子が日本の風土に適応したためでなければなるまい」、「思うに仏教の根底にある無常観が日本人のおのずからな自然観と相調和するところのあるのもその一つの因子ではないかと思う」と述べていて、慧眼だと思います。本書の解説の中で、山折哲雄氏は、和辻哲郎氏の「風土―人間学的考察」が、寺田寅彦氏の「日本人と自然観」と同じ年にまとめられながら、和辻氏が、西欧の牧場的風土、中東やアフリカの砂漠的風土に対して、日本のモンスーン的風土を対比して論じているだけで、地震的性格について何一つ触れられていないのが不思議だとしつつ、台風的契機を重視して「慈悲の道徳」に着目したのに対し、寺田寅彦氏は地震的契機を取り出して「天然の無常」という認識に到達した、その対照性に無類の知的好奇心を覚える、と結んでいます。
寺田寅彦氏の論考の一つひとつが、今となっては私たち日本人には既に馴染みのことと思います。それを敢えて引用したのは、環境問題やエネルギー政策を考える時に、日本の風土が世界でも類まれな存在であること、こうした私たち日本人の置かれた環境をあらためて振り返ることも、無駄ではないだろうと思ったからです。
(追記)2011/10/23
和辻哲郎氏の「風土」は、学生時代に本を買ったまま後生大事にしまいこんで、いまだに読んでいなかったなあと思いだしたところへ、「梅棹忠夫 語る」(日経プレミアシリーズ)を読むと、和辻哲郎氏のことを批判する言葉がぽろぽろ出てくるので、ますます読みたくなりました。「和辻さんという人は大学者にはちがいない。ただ『風土』は間違いだらけの本だと思う。(中略)自分の眼で見とらんからです。(ヨーロッパが)何かもう非常に清潔で、整然たるものだと思い込んでいる。(中略)見せかけに騙されるのならまだいい。それと違うな。あれは思い込みや。」このあたりは、同じ書で「私は自分で見たものしか信用しないし、他人の繰り返しは出来ないのや。」と言い放つ、フィールドワークを生涯をかけてベースとされてきた氏のあるいは京都学派の面目でしょうか。梅棹氏には「文明の生態史観」という名著があり、これも氏は「足で発想した」と言い、「日本はヨーロッパと同じや」「インドが東洋なら日本は東洋ではない」などと過激なことを言われ、こちらの本もまた再読したくなりました。