風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

失われた正月の風景

2012-01-11 03:07:14 | 日々の生活
 別に今年に限ったことではないので、わざわざ書くほどのことではありませんが、あらためて、正月に帰省する道すがら、子供の頃から数えてせいぜい三~四十年しか経っていないのに、失われた風景が多いことに思いを馳せておりました。
 例えば正月の各家庭の玄関口に国旗が飾られなくなりました。かくいう私の実家も飾っていないので、何故かと尋ねたら、右翼と思われたくないからだと言います。年取って面倒なだけだろうと思うのですが、今どき、ネット右翼は盛んでも、国旗を見て右翼を連想されるよりむしろ酔狂と思われるのが関の山です。国旗を見て不自然だと思わないのは、もはや天皇陛下がいらっしゃる風景、たとえば一般参賀のような場だけになってしまいました。国柄が違うとは言え、国旗や国歌に忠誠を誓うことが出来るアメリカをちょっぴり羨ましく思います。
 象徴的な道具に成り果てたという意味では、餅つきはその最たるものではないでしょうか。お餅もお節も買うのが相場になってしまいました。杵と臼はともかく、かつて餅つき機なるものもありましたが、モーターに餅が入り込んでメンテナンスが大変で、そこまでして、つきたての餅が美味いのは事実ですが自分がつくことにこだわる必要はありません。元旦でもスーパーやレストランが営業するようになれば、食べ飽きられることが分かっていながら寒い中を我慢して料理を作り置きすることもありません。
 凧揚げもすっかり見なくなりました。ましてや独楽回しや羽子板はなおのこと。凧揚げの場所がないと言われて久しく、それが原因とは思えません。欲望は尽きることがなく、もはや素朴な遊びでは飽き足らず、テレビや携帯ゲームに席巻されただけのことです。
 こうして正月の風景の多くはすっかり変わり果てましたが、初詣だけは、多くの人でごった返すのは、惰性とは言え、相変わらずです。実は初詣が習慣化したのは、京阪神の電鉄会社が沿線の神社仏閣をてんでんばらばらに宣伝し始めた明治時代中期以降のこととされていますが(Wikipedia)、新年を迎えて、来し方を振り返りつつ、心も新たに行く末の平安を祈るのは、悪いことではありません。江戸時代に大晦日と言えば借金の回収(借金の返済)に駆けずり回るのが風物詩とまで言われました。そういう意味で、年末年始のカタチは変わりましたが、心の持ちようが変わらないことには、ちょっと心強いものがあります。この歳になったからかも知れませんが、アメリカやオーストラリアのような文明社会の衣で覆われるのは味気ない。サメ肌も興ざめです。きめ細やかな文化の肌合いにこそ、心ときめくものだと思いますし、末永く大切にしたいと思います。
コメント
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