風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

国会は大本営?

2015-07-08 23:12:56 | 時事放談
 前回ちらっとご登場頂いた日本大学の百地章教授は、憲法学界では珍しく保守派の論客として知られるのは、数年前、ある講演会で拝見して以来、存じ上げていた。その百地教授は、こんなことを言われたようだ。「憲法学者の中に護憲論者が多いことは否定できない。憲法の条文だけを眺め、現実離れした『机上の空論』に終始する風潮があるが、私に言わせれば思考停止だ。国際情勢など、現実的な大局を踏まえようとしていない」「問題なのは、こうした空気が憲法学界を支配し、モノを言いにくくなっていることだ。『改憲論者です』などと言おうものならもう終わり、という雰囲気すらある」と。
 こうしたリベラルな雰囲気は、良いとか悪いとかの価値判断はとりあえず脇に置いて、歴史学界あたりにも共通するように思う。憲法に対する現実的な解釈は、憲法学者からはまず出て来なくて、国際政治学者だったりするというのが前回のブログの話だったが、所謂東京裁判史観を批判する現実的な声は、歴史学者からはまず出て来なくて、よその分野、たとえば西洋史学者(西尾幹二氏)だったり英文学者(渡部昇一氏)だったりする(というのは、極端な例を挙げ過ぎか・・・笑)。古くGHQの戦後統治で戦前の保守派が一掃されGHQリベラル派の提灯持ちばかりが生き残った名残りであろうか、それが世間一般にも伝染して、リベラルこそインテリみたいな空気が、つい最近まで、それこそ冷戦崩壊で共産主義に対する幻滅がようやく目の前に突き付けられるまで、疑われることなく(私は自慢じゃあないけど、20歳の頃から疑っていたが)ごく一般的だった。私の父は、田舎者の自民党支持者でどう見ても保守だが、つい最近まで朝日新聞と岩波とNHKを見ていた。
 と、前置きが長くなってしまったが、どうもこのテーマは言い足りないことがいろいろあって困る。今日は、日本は法治国家であればこそ、集団的自衛権にしても安保法制にしても、しっかり法制化してもらわないと、現場が動けなくて困るんじゃなかろうか、といった話を思いつきで独りごちたい。
 海外に派遣される日本の自衛隊員の任務を規定する実施要領が、世界の常識に反してポジティブ・リスト方式であるのは有名な話で、やっていいことを限定列挙するだけなので、それ以外のこと、たとえば実際にあった話でその筋では有名だと思うが、カンボジアで負傷者を助けることすら、実は命令違反で処罰される可能性があった(その後、ポジティブ・リストが追加されたが、それでも「これだけはやっちゃダメ」式のネガティブ・リストに比べれば裁量の余地が狭いのは自明)。また、東日本大震災のとき、米軍から空母(ロナルド・レーガンだったかな)を派遣するから護衛して欲しいと頼まれて、当時は集団的自衛権が認められていかったために、受けるわけにいかず、さりとて断るわけにも行かなくて、空母の周囲で演習をする名目にしたというのも、その筋では有名な笑えない話である(あるいはただの都市伝説か)。ある自衛隊OBの方の話によると、集団的自衛権を発動すると、当然、他国軍を指揮するかその指揮下に入ることになる・・・と言われればそういうものかと素人の私もなんとなく納得するが、そういった議論は国会の場ではついぞ出てこない。日・米の力関係で言うと、間違いなく自衛隊が米軍の指揮下に入ることになるだろうから、ただでさえ米国の戦争に巻き込まれるのではないかと警戒するリベラルの手前、口が裂けても言えないのだろう(まあ、そんな世界で抜きんでた米軍と共同行動できるだけのスキルがあるだけでも、自衛隊は大したものだと褒めるべきところだと思うのだが)。
 本当は憲法改正すべきだと思う。そして「普通の国」として、有事法制を整理した方が余程すっきりすると思う。しかし日本人はいまだにナイーブで、そんな日本人が私は大好きで、日本にいる限りはそれでも十分に生きていけるのだが、ちょっと海外に出たらアブナイ人がいっぱいいて、騙されてタクシー代を倍取られるくらいならいい方で、身ぐるみ剥がされたり命まで奪われかねないのが現実でハラハラするのに、相変わらず日本人は、隣近所にスネ夫のような虚言癖やジャイアンのような暴れん坊が住んでいようが争いごとはイケナイ、世界は一家、人類は皆兄弟、仲良きことは美しき哉、マッチ一本火事の元と言って、リベラルな自国メディアの耳障りの良い話や隣近所の世論操作(があるかどうか知らないが、あればの話)に従順で、とても憲法改正は覚束ないのが現状だ。ならば現実的に解釈するしかないではないか(そもそも憲法「解釈」の変更とか見直しと言うからおかしな話になるので、私自身は、憲法の枠内で、政府「方針」を変えただけと思っているのだが、変人扱いされそうなので、やめておく)。
 私たちは戦前の大本営のことを笑うことは出来ないのかも知れない。現場から遠く、乖離している、という意味において。そんなことをくよくよ心配するのだが、杞憂に過ぎず、もっとリベラルのように大らかに生きるべきなのかも知れない。
コメント
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