添谷芳秀氏の著作を読んでいると、学生時代に聞いた懐かしい話が出て来た。「フォーリン・アフェアーズ」1947年7月号に、当時、国務省政策企画室にいたジョージ・ケナンが、匿名Ⅹとして「ソ連の行動の源泉」と題する論文を発表したという話である。そのとき彼は、「ソ連の拡張主義的行動は自国の安全保障に対する本能的な不安感から生じているのであり、ソ連に通常の外交交渉による譲歩を求めることがそもそも不可能であることを論じ、アメリカ国民に、長期的で辛抱強い対ソ『封じ込め』が必要であることを説いた」(同氏)のだった。
あらためて言うまでもないが、中国も、普通に外交交渉で何とかなる相手とは言えそうにない。そんなことを思わせる、相変わらずのニュースがあった。「中国では当局に批判的な人権派弁護士が逮捕されることはあるが」「中国の公安当局が9日から11日にかけて、北京、河北省、広東省など全国各地で、人権派弁護士やその関係者を30人以上拘束」「弁護士仲間やその家族らが明らかにした」「未確認情報を含めれば、今回の拘束者は60人前後に達する」「これだけ大規模な一斉拘束は珍しい」と報じられた(産経Web)。
そもそも外交は国内問題の延長という命題は、例えば内なる憤懣を対外的に敵を作り上げることによって解消する事例を思い浮かべれば、古今東西、枚挙に暇がない。かつて外交が職業外交官という専門家に担われた閉じた世界だった時代もそうだったし、20世紀以降の大衆社会で外交もオープンであることが求められる時代も、選挙で選ばれる政治家は多かれ少なかれ世論を意識した外交を心掛けざるを得ない。そして政治家が選挙で選ばれるわけでもない中国で、これがまた顕著なのである。過去、中国の歴代王朝は、民衆の心が離反し、ひっくりかえった。内政不安が高まっている最近の中国ではなおのことであり、ある中国専門家によると、中国共産党が最も恐れているのは、内憂(江沢民派などの政敵)でもなければ、外患(世界の軍事大国アメリカや日本)でもなく、民衆の心だという。
習近平国家主席がやっていることは、人権派弁護士や学者やメディア関係者だけでなく、外国人と親しい関係にあったり、欧米の価値観に共感を持ったりする知識人そのものに対する直接の、またネットを見張ることによる間接の、言論統制を通して批判を封じ込めた上で、反腐敗の権力闘争を仕掛け、大向こうを唸らせつつ、対立派閥を弱体化する、権威主義的な手法だ。そして今、彼が民衆の支持を得ているのは、もはや毛沢東以上ではないかと論じる中国専門家もいる。そのあたりの実感はよく分からない。しかし、そう言われれば、江沢民以来、反日の歴史教育を一種のプロパガンダとして利用するのは相変わらずのようで、我々からすれば自ら行動範囲を狭める自縄自縛の政策と言わざるを得ないのだが、対外的に反日のポーズをとるのが、最近、落ち着いているのは、勿論、対米接近などの対外関係の環境変化も影響していようが、問題を抱えつつも中国の内情を反映していると言えなくもない。ことほどさように、中国の対外姿勢(とりわけ我が国に対して)は揺れ動く。それに対して、善隣外交、つまり隣近所は仲良くした方が良いだろうと、庶民の生活感覚を持ち込むと、話はややこしくなる。そうではなく、かつての戦略的互恵関係のように、過去には両国関係でいろいろ問題があったし、今もなお利害が一致しないことが多いけれど、協力できるところは協力していくオトナの対応を基本として、急がず、余り期待することなく、是々非々で冷静に対処するのがいい。
他方、韓国も似たようなものであるが、反日は国是と言ってもいいくらい教条的であり、もはや理解に苦しむ。安倍首相周辺の話によると、安倍首相は、韓国のことは放っておけ、というスタンスらしい。中国と韓国の国力の違い(ひいては影響力の違い)もさることながら、自縄自縛の政策はもはや妥協の余地なく、まともに相手をしていられないと言うべきなのであろう。
あらためて言うまでもないが、中国も、普通に外交交渉で何とかなる相手とは言えそうにない。そんなことを思わせる、相変わらずのニュースがあった。「中国では当局に批判的な人権派弁護士が逮捕されることはあるが」「中国の公安当局が9日から11日にかけて、北京、河北省、広東省など全国各地で、人権派弁護士やその関係者を30人以上拘束」「弁護士仲間やその家族らが明らかにした」「未確認情報を含めれば、今回の拘束者は60人前後に達する」「これだけ大規模な一斉拘束は珍しい」と報じられた(産経Web)。
そもそも外交は国内問題の延長という命題は、例えば内なる憤懣を対外的に敵を作り上げることによって解消する事例を思い浮かべれば、古今東西、枚挙に暇がない。かつて外交が職業外交官という専門家に担われた閉じた世界だった時代もそうだったし、20世紀以降の大衆社会で外交もオープンであることが求められる時代も、選挙で選ばれる政治家は多かれ少なかれ世論を意識した外交を心掛けざるを得ない。そして政治家が選挙で選ばれるわけでもない中国で、これがまた顕著なのである。過去、中国の歴代王朝は、民衆の心が離反し、ひっくりかえった。内政不安が高まっている最近の中国ではなおのことであり、ある中国専門家によると、中国共産党が最も恐れているのは、内憂(江沢民派などの政敵)でもなければ、外患(世界の軍事大国アメリカや日本)でもなく、民衆の心だという。
習近平国家主席がやっていることは、人権派弁護士や学者やメディア関係者だけでなく、外国人と親しい関係にあったり、欧米の価値観に共感を持ったりする知識人そのものに対する直接の、またネットを見張ることによる間接の、言論統制を通して批判を封じ込めた上で、反腐敗の権力闘争を仕掛け、大向こうを唸らせつつ、対立派閥を弱体化する、権威主義的な手法だ。そして今、彼が民衆の支持を得ているのは、もはや毛沢東以上ではないかと論じる中国専門家もいる。そのあたりの実感はよく分からない。しかし、そう言われれば、江沢民以来、反日の歴史教育を一種のプロパガンダとして利用するのは相変わらずのようで、我々からすれば自ら行動範囲を狭める自縄自縛の政策と言わざるを得ないのだが、対外的に反日のポーズをとるのが、最近、落ち着いているのは、勿論、対米接近などの対外関係の環境変化も影響していようが、問題を抱えつつも中国の内情を反映していると言えなくもない。ことほどさように、中国の対外姿勢(とりわけ我が国に対して)は揺れ動く。それに対して、善隣外交、つまり隣近所は仲良くした方が良いだろうと、庶民の生活感覚を持ち込むと、話はややこしくなる。そうではなく、かつての戦略的互恵関係のように、過去には両国関係でいろいろ問題があったし、今もなお利害が一致しないことが多いけれど、協力できるところは協力していくオトナの対応を基本として、急がず、余り期待することなく、是々非々で冷静に対処するのがいい。
他方、韓国も似たようなものであるが、反日は国是と言ってもいいくらい教条的であり、もはや理解に苦しむ。安倍首相周辺の話によると、安倍首相は、韓国のことは放っておけ、というスタンスらしい。中国と韓国の国力の違い(ひいては影響力の違い)もさることながら、自縄自縛の政策はもはや妥協の余地なく、まともに相手をしていられないと言うべきなのであろう。