風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

安保法制論議(下)

2015-07-06 22:30:41 | 時事放談
 今朝の日経新聞「核心」コーナーで、論説委員長・芹川洋一氏が「憲法と国際政治のはざま」と題する論説でユニークな視点を呈示していた。
 集団的自衛権の行使について、早稲田大学の長谷部恭男教授は衆院憲法審査会で「・・・違憲である。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかないし、法的な安定性を大きく揺るがすものである」と発言し、さらに「95%を超える憲法学者が違憲だと考えているのではないか」とも述べておられたのは記憶に新しい。実際にテレビ朝日の報道ステーションが、憲法判例百選の執筆者198人にアンケートを実施し、返信があった151人分のデータを集計したところ、「今回の安保法制は、憲法違反にあたると考えますか?」と質問したのに対し「違反にあたる」と答えたのは127人に達し、「憲法違反の疑いがある」が19人、「憲法違反の疑いはない」が3人、「回答なし」は僅かに2人だった、と報じられた。また、「一般に集団的自衛権の行使は日本国憲法に違反すると考えますか」に対して132人が「憲法に違反する」と回答したらしい。さすが憲法学者らしい生真面目さだ。
 他方、解釈変更に踏み出すお墨付きを与えたのは安倍首相の私的諮問機関の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)で、顔ぶれを見ると、座長代理をつとめた政治学者の北岡伸一国際大学長(東京大学名誉教授)のほか、田中明彦国際協力機構理事長(東京大学東洋文化研究所教授、元東京大学副学長)、中西寛京都大学教授、細谷雄一慶応大学教授・・・錚々たるメンバーがずらりと並んでいると言い(なお( )内は私が勝手に補足)、引っ張ったのは、国際政治に精通した学者だった、と言うわけである。
 こうして、芹川洋一氏は、違憲・合憲の議論を、憲法学と国際政治学の認識の違いに還元し、佐々木毅東京大学名誉教授のご発言としての「規範性を重んじる憲法学と、権力運用論の国際政治学では、学問としての立ち位置に違いがあって不思議ではない」「ローマ時代から、必要に応じて規範を相対化する議論は山のようにある。こんどの問題が規範と権力の関係だとすれば歴史に深く根ざしたものと言える。ある程度の緊張関係があるのは健全でもある」を引用し、「規範に立つのか、権力運用に身を寄せるのか・・・両者を止揚する学問はない」と言いつつも、「憲法解釈の変遷があって、国際環境の変化があって、そしてすぐに憲法は変えられない。ここはリアリズムで考えたいと思うがどうだろうか」と結んでいる。
 この議論に、我が身を振り返り、大いに納得した次第。なにしろ中学・高校の若いミソラでは、自衛隊は違憲ではないかと真剣に悩み、大学に入って、いや自衛権は主権国家のもつ固有の権利としてそれを保持することを憲法は否定しない、自衛隊は戦力に当たらない(従い、空母も爆撃機も持たず、健気な努力を続けている)という苦しい言い訳を知り、私の心は心置きなく憲法学から離れて行ったのだった。そして、法学部に籍を置きながら、卒業に必要な単位は、法律系の科目はカタチばかり、政治系の科目を稼いで卒業し、目出たく法学士となったクチであり、まさに「権力運用に身を寄せる」立場をごく自然に支持するわけである。実際に、件の三人の憲法学の先生方のお名前は恥ずかしながら存じ上げず、他方、ここに挙げられた安保法制懇メンバーは、いずれの方もさまざまな講演会やシンポジウムでお馴染みで、その著作はそれぞれ1冊ならず親しんでいる。
 もっとも憲法学者の中にも、百地章日本大学教授や西修駒沢大学名誉教授のように、わざわざ日本記者クラブで「憲法と安保法制」をテーマに講演し、安全保障関連法案は「合憲」と主張された勇気ある、ある意味でさばけた先生方もおられるし、井上武史九州大学大学院法学研究院准教授のように、同じように「憲法には、集団的自衛権の行使について明確な禁止規定は存在しない。それゆえ、集団的自衛権の行使を明らかに違憲と断定する根拠は見いだせない」と言い、さらに「集団的自衛権の行使禁止は政府が自らの憲法解釈によって設定したものであるから、その後に『事情の変更』が認められれば、かつての自らの解釈を変更して禁止を解除することは、法理論的に可能である」とまで言い、しかし「政府は、新たな憲法解釈の『論理的整合性』を強弁」したのが「戦略的に誤り」で、「『事情の変更』に基づく解釈変更であると言い切っていれば(つまり、初めから従来解釈からの断絶を強調していれば)、従来解釈との整合性が問われる余地はなく、その後において実質的な政策論議が展開されたかもしれない」と言い切っておられる方もいて、なかなか傾聴に値する。
 これに対し、日本人は、規範性を重んじる国民性を特徴とするから、集団的自衛権と言わず自衛隊そのものを「違憲」とする主張そのものに傾きやすいのは容易に想像できる。だからと言って、法は法として、法に依らないで生きて行く、ある意味でさばけた現実感覚を併せもつのもまた日本人の特徴であり、事実、自衛隊を許容して来たわけで、今回も、総論反対を叫びながら、結果、自民党が強行採決に至ると、一時的には反発しても、いずれ仕方ないなあと受け止めるのではなかろうか。否、誤解を恐れずに言えば、20/80の法則ではないが、リベラルな20%は飽くまで「違憲」を主張し続け、保守の20%は飽くまで「合憲」を信じ、残りの60%は状況に応じて、つまり「政府の説明が足りない」と思えば、リベラルの20%に付いて80%もの高率を叩きだす一方、いつのまにか保守の20%に付いて80%の高率で事実としての自衛隊を受け止める・・・という塩梅だと思うが、どうだろうか。
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