風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

安保法制

2015-09-24 00:22:38 | 時事放談
 安全保障関連法が成立したが、結局、安全保障論議は深まらなかったような空しさが残る。民主党の党首が国会前デモを煽るという、国会での論議をさしおいて何の沙汰かと俄かに目を疑う光景はさておいて、相変わらずの足を引っ張るばかりの国会論戦は、傍目には税金の無駄遣いと思われても仕方ない。野党側にも、まともな問題提起がなかったわけではない。その一つは、安倍内閣は「抑止」ばかりにはやるが、紛争に至らない外交的努力も重要だというような意見である。それはその限りでその通りで、東アジア外交において「抑止」と「対話」の両輪がまさに重要と思う。しかしこの問題提起自体は「抑止」の議論ではない。
 そもそもこの国はどんな安全保障政策をとるのか、どんな国際貢献を目指すのか、といった出発点の議論さえ戦われることなくコンセンサスを得られることもなかった。江戸時代のように国内で自給自足できた時代には鎖国という政策もあり得たが、現代文明の文脈では資源小国で、なるほど一時期自称した加工貿易もすっかり姿を変え、輸出依存(対GDP)は減っているが、エネルギーをはじめ消費財についても今では多くを輸入し、自由な航行と国際流通に頼る日本にとって、地域や世界の安定は生存に不可欠のはずである。世界第三の経済大国でありながら、地域や世界の安全保障をアメリカに依存するとは、何と脆弱な国か・・・というのがあるアメリカの戦略家の見立てであるが、そういった映し鑑の自画像を、日本人自ら冷静に考える必要があるように思う。もし、それに明瞭に反論できるのであれば、一国平和主義を主張するのも構わないと思うが・・・果たしてどうであろうか。
 たとえばペルシャ湾の機雷封鎖に対して掃海艇派遣の事例を時代錯誤だと呼び、首相も撤回したようだが、イラン情勢はどうなるかまだ予断を許さない。想定外を外してしまうと安全保障は成り立たない。野党にしても国会前のデモにしても戦争法案と決めつけているが、それこそ時代錯誤に聞こえる。軍の役割は、戦争を行うよりも、治安維持派遣を通した地域の安定の方に圧倒的にシフトしているのが現実である。
 アメリカは内向きのサイクルに入っている。戦力投射を控える方向にあるのは、何より財政がこれまでの米軍の活動を支え切れないからであるが、ISILに対して空爆はしても、米軍の被害が予想される地上軍の派遣は手控えているのは、イラクやアフガニスタンでの長い戦いに疲弊したアメリカ国民が、これ以上の国民の被害を求めないからで、それは自由・民主主義社会の常であり、日本だけのことではない。その分、当事国の役割が求められることになる。このあたりは、ベトナム戦争からの撤退をスローガンにして当選したニクソン大統領が確かハワイで行った演説に似て、歴史は繰り返すのである。そして当時と今が違うのは、東アジアの戦略環境で、当時、ソ連に対抗するために米国と日本はイデオロギーが違う中国とも手を組んだが、今はその中国が台頭しているのだ。
 オーストラリア・シドニー近郊のストラスフィールド市で、今年8月、中国や韓国系の団体が求めていた従軍慰安婦像の設置計画案を阻止するのに中心的な役割を果たされた山岡鉄秀氏(AJCN代表;Australia-Japan Community Network)の論考が「正論」10月号に掲載されているのを、産経Webでも読むことが出来る(http://www.sankei.com/politics/news/150923/plt1509230001-n1.html)。中・韓反日団体が市長を抱き込み、あの手この手で攻勢を仕掛ける中で、氏は、AJCNという日・豪混成チームを作り、「中・韓反日団体」対「全ての住民」という構図を作り、コミュニティのために戦い、コミュニティのために勝利した、それは飽くまで、反日団体を論破しようとなどせず、良識の輪を広げることに注力したからだ、と総括されている。その結論部分の一節を引用する。

(引用)
 これは民主主義の勝利だろうか? 民主主義とは、自らの権利を守るために、戦う手段を提供するシステムのことだと学んだ。自存自衛の決意無き正義など、フェンスの無い花畑のごとく、踏み荒らされてしまう宿命なのだと痛感した。相手の善意に自らの安全を託していたら、命がいくつあっても足りはしない。それが国際社会の現実なのだ。
(引用おわり)

 安保法制論議の中でも、憲法前文(・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・)は破綻しているのだから・・・という議論があった。今回の論議に限らず、日本人を分断している安保問題の根源は、この前文をどう捉えるかにかかる、古くて新しいテーマなのだろう。
コメント
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