風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

追悼・川島なお美さん

2015-09-26 00:08:49 | スポーツ・芸能好き
 川島なお美さんの突然の訃報には驚かされた。別に彼女のファンだったわけではなく、実際、彼女がソムリエで「私の体はワインでできているの」みたいなことを口走ったこと以外に彼女のことはよく知らない。ただ、同時代を生きてきた同世代の者として、早過ぎる死は誠に痛ましい。
 個人的なことになるが、私は中学生の頃から、ラジオを聞きながら、だらだらと気紛れに勉強する所謂「ながら族」で、「バチョン」「ヤングタウン」「ヤングリクエスト」「オールナイトニッポン」「歌うヘッドライト」などの深夜放送をよく聞いたものだった。そんな番組の一つ、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン 」で、彼女を初めて知った。Wikipediaによると、彼女がそのアシスタントだったのは1979年とある。どうやらデビュー直後だったようで、19歳という若さがコロコロと掌からこぼれ落ちるような青山学院大学・学生だった。鶴光を相手に、物怖じすることなく、むしろ垢抜けた、あっけらかんとした話振りで、今思えば、その時に既に青学のイメージが出来上がったと言ってもよいかも知れないし、その後の彼女の生き様をも予感させる・・・つまり最初から彼女らしい芯の強さを感じさせるものだったように思う。彼女が出演した映画もドラマも特に記憶にないので、彼女との接点は後にも先にも殆どそれだけだったと言ってもよい。
 さらにこれも個人的なことになるが、大学受験のとき、彼女が通う青山学院大学ではなく、紺野美沙子さんが通う慶應義塾大学文学部をすべり止め受験しようと願書まで取り寄せたのも(結局受験しなかったが)、彼女との接点(と言うよりはすれ違いと言うべきか)にはならなかった。調べてみると、二人は同い年で(それぞれ1960年11月10日生まれと9月8日生まれ)、どうでもいいことだが、彼女は「フランスの四大ワイン産地から騎士号を授与されている唯一のアーティスト」(Wikipedia)なのに対して、紺野美沙子さんは「日本吟醸酒協会名誉吟の騎士」というのも、何かの因縁だろうか!?
 昨晩、彼女のオフィシャル・ブログを見ると、降板したミュージカル「パルレ~洗濯~」や、11月5日に20年振りに開催する予定だったソロライブ(Birthday Live)や、毎冬恒例だったらしいミュージカル「クリスマス・キャロル」のポスターがまだ掲載されていた。最近、彼女の激ヤセ振りをテレビのニュースで見て、ビックリしたものだったが、一週間前まで舞台に立っていたといい、人の命のあっけなさを、まざまざと見せつけられた思いで、彼女の気持ちは如何ばかりだったろうかと、自分に引きつけてなおのこと胸が締め付けられる思いになる。
 心よりご冥福をお祈りしたい。
コメント (1)
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