蓮舫女史が民進党の党代表を辞任する。「どうすれば遠心力を求心力に変えられるか熟考した。私自身をもう一度見つめ直さなければいけないと思った」「多様な議員の声を一つにまとめ、統率する力が不足していた。いったん退き、より強い民進党を新執行部で率いてもらうのが最善策だ。安倍政権の受け皿となる民進党をつくり直すことが国民のためになる」と殊勝に語っているが、安倍首相も同じ見立てで、逆に蓮舫女史が党代表を続けることを(その限りにおいては民進党が浮上しそうにないことから)望んでいたようだ。もっともこれは内閣支持率が落ち込む以前の総理とその周辺の思惑だった。その意味では、民進党は都議選で惨敗して追い詰められたとは言え、蓮舫女史には所謂「安倍一強」に対して一矢報いたとの思いが強いかも知れない。「安倍政権を追い詰める動きに水を差してはいけないし、空白を作ってはいけない」「安倍政権を苦しい立場に追い込んでも、私たちが広く認識してもらわなければ政治不信が広がるだけで、国民にとって不幸だ」と語ったあたりに本音がよく表れているように思う。
しかしそこにあるのは政治家として何を実現するかという政策ではなく、如何に敵対勢力の足を引っ張るかという政局でしかない。
なお、国籍問題は今回の辞任の判断に入っておらず、全く別次元の問題だと彼女自身は語っているが、反省が全く見えないのが気になる。「戸籍公開はプライバシー問題だけでなく、在日韓国・朝鮮人や被差別出身者が経験してきた差別の歴史からいって、絶対に受け入れてはならない重要な人権問題」(民進党の有田芳生参院議員)とか「戸籍の記載が差別などを引き起こすことがある。開示請求はおかしい」(社民党の福島瑞穂副党首)などといった援護射撃の意見が仰々しく出ているが、一般人と公人の違いを無視し、かつ多国籍を前提としないドメスティックな発想によるものばかりで、何より国籍に関する蓮舫女史の説明が二転三転して信用されなくなったことに問題があることは閑却している。二重国籍は珍しくない移民国家オーストラリアでは議員の二重国籍は憲法で禁じられており、最近も、二重国籍と知らずに過去9年間、議員活動をしていたとして、野党・緑の党の議員が辞職しているくらいだから、日本の法制度は後れていると言うべきだ。二重国籍が孕むいかがわしさについては、自衛隊の最高指揮官である総理大臣を目指さない議員はいないだろうに、トランプ大統領が(経済的に)利益相反と言われていたのとは次元が違う深刻な(安全保障上の)利益相反の事態があり得ることをちょっと想像してみればいい。
前置きが長くなったが、タイトルに言う「魔女狩り」のターゲットにされていると思うのは、もとより蓮舫女史のことではなく、安倍首相のことだ。朝鮮半島危機のこの五ヶ月もの間、もり・かけ蕎麦騒動に明け暮れ、「改憲が具体的に政治日程に載りそうになると、「倒閣」と「改憲潰し」の動きが本格化した」(八木秀次麗澤大学教授)と見えるのは、とても尋常とは思えない。さすがの安倍首相も、都議選の惨敗を受けて、周囲に「護憲勢力の力を改めて思い知ったよ」と漏らしているらしい。
メディア報道、と言っても、私は日刊紙として紙媒体の日経新聞と電子版の産経(単に無料で過去検索までできるから、なのだが)しか知らないが、10日に開かれた衆参両院の閉会中審査では、「加計学園誘致を進めた当事者の加戸守行・前愛媛県知事が行った(歪められた行政が正された、などの)証言について、翌11日付の朝日新聞と毎日新聞の朝刊は、一般記事中で一行も取り上げなかった」(産経電子版)という。「安倍政権の対応を批判する前文部科学事務次官の主張と真っ向から食い違うため、都合が悪いと棄てたのだろう」(同)と解説するが、残念ながらその通りなのだろう。25日の参院予算委員会では、自民党の青山繁晴氏が10日の閉会中審査について、朝日新聞や毎日新聞などが加戸氏の発言を殆ど報じなかった経緯を踏まえて「加戸さんがいなかったが如く扱われた。メディアや社会の様子をどう考えるか」と加戸氏に質したのに対し、加戸氏は「メディア批判をして勝った官僚、政治家は誰一人いない。詮無いことだ」とした上で「報道しない自由があるのも有力な手段、印象操作も有力な手段。マスコミ自体が謙虚に受け止めて頂くしかない」と淡々と話したという(同)。
これに関連して、そもそも森喜朗・元首相は私の中では甚だ存在感が薄いのだが、最近、産経新聞が行ったインタビューでは、案外、真相を衝いていたように思う(以下、産経電子版から)。
(引用)
安倍晋三首相への逆風が厳しいね。僕が首相だったときもそうだったけどマスコミの印象操作は相変わらずひどいな。最初から結論を決めて「安倍が悪い、安倍が悪い」と連日やられたら、そりゃ支持率も下がるよ。(中略) 石破茂さんは、こういう政局になると後ろから弓を引くような発言ばかりして愚かだなと思うけど、安倍首相はこれを逆手に取って「大変な状況なのでぜひ入閣してほしい」と国民に見えるように頭を下げたらいいんだよ。それでも「受けない」と言うならば大っぴらに批判すればいい。「あの人は国のことより自分のことが優先なんですね」とね。ただ、自民党も人材が枯渇してるな。こういうときにしっかり踏ん張れる実力派が本当に少ない。玉石混交どころか石石混交だよ。甘利明さんもまだ禊が終わっていないしな。中堅・若手も育っていない。中選挙区制から小選挙区比例代表並立制になって20年余りたつけど当時危惧されたことが現実になったと思うね。(中略)「加計学園」の獣医学部新設をめぐる風当たりは相変わらず強いな。あの真相を一番知っているのは愛媛県の加戸守行前知事だ。僕は文教族だったから彼が文部官僚だったころからよく知っているんだよ。彼は国会でもいろいろと重要な証言をしてるんだけど、産経新聞を除いてマスコミはほとんど報じないね。どうしてかな? 昭和40年代後半に獣医学部を4年制から6年制に変えることになったんだが、あわせて国立大学の獣医学部を地域ブロックごとに1つにまとめる構想が持ち上がったんだ。これに元総務庁長官の江藤隆美さんたちが「不届き者め!」と猛反発してね。日本獣医師会と結託して威嚇と恫喝を繰り返し、文部省に二度と私立大学の獣医学部を作らせないことをのませたんだな。そうでなかったら半世紀も獣医学部が新設されず、定員も増やさないなんてことがあるわけないだろ。これを知っている国会議員はもうほとんどいない。文科省の文書記録にも残っていないだろうけど、これが真相だよ。(後略)
(引用おわり)
繰り返すが、加計問題では、「行政が歪められた」と主張する前川・前文部科学事務次官に対し、「(強烈な岩盤に穴が開けられ)歪められた行政が正された」と加戸・前愛媛県知事が真っ向から反論する。どうにも、前事務次官の登場は、既得権益を守りたい文科省の抵抗と反撃の構図にしか見えない。これに対し、国会あるいはそれに準じる場では、安倍首相がそのプロセスに不当に関与したのか否か、結果、そのプロセスを歪めたのか否かを追及するジャーナリスティックなアプローチよりも(そして一部メディアはそれに便乗して真相究明する検察を装いながら、野次馬的に安倍政権への疑念を広めダメージを与えるワイドショーにすら見えてしまう)、むしろ国家戦略特区の趣旨に沿って政治として結果を出したか否かという尺度が評価軸となるべきではないかと思う。何より政治は結果責任だ。お友達であるかどうかの契機は、確かに「怪しい」「疑問は消えない」「悪いことをしているに違いない」との疑念が残るのは理解するが、違法ではないとすれば、そこに拘泥するより、端的に政治の結果、つまり獣医師会という抵抗勢力を排して感染症対策などの日本の将来に向けた大きな議論がなされていたかどうか、そして岩盤に穴を開けたかどうか、が重要と思う。
日本的リーダーは伝統的な村長(ムラオサ)に代表されるように飽くまでコミュニティ・リーダーであって、コミュニティ内の利害を調整し、村(ムラ)の掟(としての憲法)を守ることこそ重要で、それが時代に合わないからといって変えようとか、隣ムラや近隣ムラとの関係が緊迫するから対外的な(一国の首相であれば外交・安全保障的な)リーダーシップを発揮しようとしても、評価されることはなく、従って強いリーダーシップは要らないし、むしろ敬遠される、ということなのだろうか。それを国民は真に望んでいると、野党や一部メディアは思っているのだろうか。
実のところ、野党や一部メディアにとって、権力集中は戦前のイメージ(それが事実として正しいかどうかは別にして)を思い出させてよほど気に食わないのか、八木秀次氏が言うように、日本人の時代劇イメージに訴えるかのように「安倍内閣=悪代官」といった印象操作を狙っているとしか思えない。
しかし、あらためて過去10年を振り返ってみるべきだ。毎年、首相が交替して、挙句に安全保障(所謂「抑止力」)を理解しない首相まで登場して、国力を切り崩した当時からすれば、「安倍一強」と揶揄されるほどの安定政権は隔世の感がある。今や主要国でメルケルに次ぐ長期政権で、トランプ大統領のように超大国のリーダーであるにも係らず国際秩序の理念を語らず自国の国益に傾斜し過ぎる異分子を国際社会に受け入れ、リベラルな(日本的な意味合い、つまりサヨク的な、という意味ではない字義通りの自由・民主主義的な)国際秩序を守るために期待されるだけに、惜しい話である。
しかしそこにあるのは政治家として何を実現するかという政策ではなく、如何に敵対勢力の足を引っ張るかという政局でしかない。
なお、国籍問題は今回の辞任の判断に入っておらず、全く別次元の問題だと彼女自身は語っているが、反省が全く見えないのが気になる。「戸籍公開はプライバシー問題だけでなく、在日韓国・朝鮮人や被差別出身者が経験してきた差別の歴史からいって、絶対に受け入れてはならない重要な人権問題」(民進党の有田芳生参院議員)とか「戸籍の記載が差別などを引き起こすことがある。開示請求はおかしい」(社民党の福島瑞穂副党首)などといった援護射撃の意見が仰々しく出ているが、一般人と公人の違いを無視し、かつ多国籍を前提としないドメスティックな発想によるものばかりで、何より国籍に関する蓮舫女史の説明が二転三転して信用されなくなったことに問題があることは閑却している。二重国籍は珍しくない移民国家オーストラリアでは議員の二重国籍は憲法で禁じられており、最近も、二重国籍と知らずに過去9年間、議員活動をしていたとして、野党・緑の党の議員が辞職しているくらいだから、日本の法制度は後れていると言うべきだ。二重国籍が孕むいかがわしさについては、自衛隊の最高指揮官である総理大臣を目指さない議員はいないだろうに、トランプ大統領が(経済的に)利益相反と言われていたのとは次元が違う深刻な(安全保障上の)利益相反の事態があり得ることをちょっと想像してみればいい。
前置きが長くなったが、タイトルに言う「魔女狩り」のターゲットにされていると思うのは、もとより蓮舫女史のことではなく、安倍首相のことだ。朝鮮半島危機のこの五ヶ月もの間、もり・かけ蕎麦騒動に明け暮れ、「改憲が具体的に政治日程に載りそうになると、「倒閣」と「改憲潰し」の動きが本格化した」(八木秀次麗澤大学教授)と見えるのは、とても尋常とは思えない。さすがの安倍首相も、都議選の惨敗を受けて、周囲に「護憲勢力の力を改めて思い知ったよ」と漏らしているらしい。
メディア報道、と言っても、私は日刊紙として紙媒体の日経新聞と電子版の産経(単に無料で過去検索までできるから、なのだが)しか知らないが、10日に開かれた衆参両院の閉会中審査では、「加計学園誘致を進めた当事者の加戸守行・前愛媛県知事が行った(歪められた行政が正された、などの)証言について、翌11日付の朝日新聞と毎日新聞の朝刊は、一般記事中で一行も取り上げなかった」(産経電子版)という。「安倍政権の対応を批判する前文部科学事務次官の主張と真っ向から食い違うため、都合が悪いと棄てたのだろう」(同)と解説するが、残念ながらその通りなのだろう。25日の参院予算委員会では、自民党の青山繁晴氏が10日の閉会中審査について、朝日新聞や毎日新聞などが加戸氏の発言を殆ど報じなかった経緯を踏まえて「加戸さんがいなかったが如く扱われた。メディアや社会の様子をどう考えるか」と加戸氏に質したのに対し、加戸氏は「メディア批判をして勝った官僚、政治家は誰一人いない。詮無いことだ」とした上で「報道しない自由があるのも有力な手段、印象操作も有力な手段。マスコミ自体が謙虚に受け止めて頂くしかない」と淡々と話したという(同)。
これに関連して、そもそも森喜朗・元首相は私の中では甚だ存在感が薄いのだが、最近、産経新聞が行ったインタビューでは、案外、真相を衝いていたように思う(以下、産経電子版から)。
(引用)
安倍晋三首相への逆風が厳しいね。僕が首相だったときもそうだったけどマスコミの印象操作は相変わらずひどいな。最初から結論を決めて「安倍が悪い、安倍が悪い」と連日やられたら、そりゃ支持率も下がるよ。(中略) 石破茂さんは、こういう政局になると後ろから弓を引くような発言ばかりして愚かだなと思うけど、安倍首相はこれを逆手に取って「大変な状況なのでぜひ入閣してほしい」と国民に見えるように頭を下げたらいいんだよ。それでも「受けない」と言うならば大っぴらに批判すればいい。「あの人は国のことより自分のことが優先なんですね」とね。ただ、自民党も人材が枯渇してるな。こういうときにしっかり踏ん張れる実力派が本当に少ない。玉石混交どころか石石混交だよ。甘利明さんもまだ禊が終わっていないしな。中堅・若手も育っていない。中選挙区制から小選挙区比例代表並立制になって20年余りたつけど当時危惧されたことが現実になったと思うね。(中略)「加計学園」の獣医学部新設をめぐる風当たりは相変わらず強いな。あの真相を一番知っているのは愛媛県の加戸守行前知事だ。僕は文教族だったから彼が文部官僚だったころからよく知っているんだよ。彼は国会でもいろいろと重要な証言をしてるんだけど、産経新聞を除いてマスコミはほとんど報じないね。どうしてかな? 昭和40年代後半に獣医学部を4年制から6年制に変えることになったんだが、あわせて国立大学の獣医学部を地域ブロックごとに1つにまとめる構想が持ち上がったんだ。これに元総務庁長官の江藤隆美さんたちが「不届き者め!」と猛反発してね。日本獣医師会と結託して威嚇と恫喝を繰り返し、文部省に二度と私立大学の獣医学部を作らせないことをのませたんだな。そうでなかったら半世紀も獣医学部が新設されず、定員も増やさないなんてことがあるわけないだろ。これを知っている国会議員はもうほとんどいない。文科省の文書記録にも残っていないだろうけど、これが真相だよ。(後略)
(引用おわり)
繰り返すが、加計問題では、「行政が歪められた」と主張する前川・前文部科学事務次官に対し、「(強烈な岩盤に穴が開けられ)歪められた行政が正された」と加戸・前愛媛県知事が真っ向から反論する。どうにも、前事務次官の登場は、既得権益を守りたい文科省の抵抗と反撃の構図にしか見えない。これに対し、国会あるいはそれに準じる場では、安倍首相がそのプロセスに不当に関与したのか否か、結果、そのプロセスを歪めたのか否かを追及するジャーナリスティックなアプローチよりも(そして一部メディアはそれに便乗して真相究明する検察を装いながら、野次馬的に安倍政権への疑念を広めダメージを与えるワイドショーにすら見えてしまう)、むしろ国家戦略特区の趣旨に沿って政治として結果を出したか否かという尺度が評価軸となるべきではないかと思う。何より政治は結果責任だ。お友達であるかどうかの契機は、確かに「怪しい」「疑問は消えない」「悪いことをしているに違いない」との疑念が残るのは理解するが、違法ではないとすれば、そこに拘泥するより、端的に政治の結果、つまり獣医師会という抵抗勢力を排して感染症対策などの日本の将来に向けた大きな議論がなされていたかどうか、そして岩盤に穴を開けたかどうか、が重要と思う。
日本的リーダーは伝統的な村長(ムラオサ)に代表されるように飽くまでコミュニティ・リーダーであって、コミュニティ内の利害を調整し、村(ムラ)の掟(としての憲法)を守ることこそ重要で、それが時代に合わないからといって変えようとか、隣ムラや近隣ムラとの関係が緊迫するから対外的な(一国の首相であれば外交・安全保障的な)リーダーシップを発揮しようとしても、評価されることはなく、従って強いリーダーシップは要らないし、むしろ敬遠される、ということなのだろうか。それを国民は真に望んでいると、野党や一部メディアは思っているのだろうか。
実のところ、野党や一部メディアにとって、権力集中は戦前のイメージ(それが事実として正しいかどうかは別にして)を思い出させてよほど気に食わないのか、八木秀次氏が言うように、日本人の時代劇イメージに訴えるかのように「安倍内閣=悪代官」といった印象操作を狙っているとしか思えない。
しかし、あらためて過去10年を振り返ってみるべきだ。毎年、首相が交替して、挙句に安全保障(所謂「抑止力」)を理解しない首相まで登場して、国力を切り崩した当時からすれば、「安倍一強」と揶揄されるほどの安定政権は隔世の感がある。今や主要国でメルケルに次ぐ長期政権で、トランプ大統領のように超大国のリーダーであるにも係らず国際秩序の理念を語らず自国の国益に傾斜し過ぎる異分子を国際社会に受け入れ、リベラルな(日本的な意味合い、つまりサヨク的な、という意味ではない字義通りの自由・民主主義的な)国際秩序を守るために期待されるだけに、惜しい話である。