風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

南の独善

2017-12-23 22:35:00 | 時事放談
 中韓関係は微妙だ。韓国の文在寅大統領が就任後、初めて中国を訪問し、国賓として迎えられたのに“礼”遇ならぬ“冷”遇だったと、韓国世論と言うより韓国メディアが「外交慣例を無視」「国賓に対する欠礼」「冷遇を超えた無礼」「無礼を超えた侮辱」「傲慢」「高圧的」「意図的かつ悪意ある態度」「納得し難い事態」「暴力的な本性」「見せしめか」「飼い慣らし」・・・(具体的にどのメディアの発言なのかチェックした方がよいのだが)およそ日本では考えられないような口汚い批判が飛び交ったらしい。日本人からすれば、韓国の日本に対するご都合主義に対して同じ言葉を差し上げたいくらいだが(特に韓国人の口から「外交慣例を無視」といった言葉が出てくるのには笑ってしまう)、ご本人たちはまるで気にしないようだ。それでもまがりなりにも関係修復できたと思っていたら、中国は韓国向け団体旅行を再び禁止したと報じられた。アメリカの信用を(何も今に始まったことではないが)失っている上に、中国からもソデにされては立つ瀬がない。
 同情の余地は勿論ある。そもそも中原と呼ばれる平原は、さして山や川で分断されることがなく、巨大な権力が生まれやすい場所で、漢民族(が2000年の歴史の中で今なおどこまでピュアに存在しているのか疑問だが)をはじめとして周辺諸民族が巨大な権力を求めて争ってきた地だ。豊臣秀吉だって、血迷っていたと言われようが、そこに参戦する意思があった。貧しい朝鮮半島はその辺縁部にへばりつき、中原の権力や、さらには北方ロシアの権力の圧迫に常に苛まれて来た。朝鮮民族の事大主義(大につかえる)は生き残りの知恵なのだろう。その点、日本海という荒波に隔てられた日本列島は幸運だったと言うべきかも知れない。そして、今なお彼らは北朝鮮と停戦状態にあって、戦争はまだ終わっていない。日本人は普段、気にしないし、恐らく想像するに余りあることだと思う。
 今回の文在寅大統領の訪中で、空港で出迎えたのは遥かに格下(ドゥテルテ比大統領以下)の中国外務次官補で、三泊四日の間に10度の食事の機会があったにも関わらず、中国共産党指導部との会食は習近平国家主席との晩餐会と重慶市党委員会書記との昼食会の2度だけで放ったらかし、共同記者会見もなく、おまけに中国人警備員が韓国メディアに暴行を働いたと報じられた。他方、米軍のTHAADをめぐる“制裁”解除も、また習国家主席の平昌五輪出席も、さらに北朝鮮問題では「戦争を容認しない」原則を打ち出されるなど、得るところはなかったようだ。中国におもねり、北京大学での講演で「中国と韓国は近代史の苦難をともにへて克服した同志だ」「これを土台に今回の訪中が両国関係をさらに発展させる出発点になることを望む」などとアピールしたのにこのザマでは哀しいが、昨今の戦略環境や、韓国の実力や日頃の言動を考えれば、やむを得ない現実なのだろう。
 その後、韓国の康京和外相が来日し、安倍首相を平昌五輪に招待した。以前、平昌五輪に日本人が来なければ東京五輪に韓国人は行かせないなどと脅した韓国の政治家がいて、それもいいと私なんぞは思ったものだが、今回も、まあ、厚かましいがおめでたいことだし、北朝鮮問題によって五輪が歪められるとすれば却って禍根を残すことになりかねないので、これはこれでよしとしよう(安倍首相が受けるべきかどうかは別問題である)。また康外相直属の作業部会で行っている、慰安婦問題を巡る日韓政府間合意の締結に至った過程の検証作業結果を、27日の発表に先立って打診し、日本側の反応を探りに来たとも報じられている。五輪を控えて微笑み外交に転じているとは言え、それほどうろたえるのであれば、検証作業などしなければよかったのにと思うが、韓国はこの検証作業をあろうことか「民間組織」によるものとし、検証結果は韓国政府の政策と一致するわけではないなどと苦しい言い訳をしている。日本のような近隣国との外交を国民感情に従属させないで欲しいとつくづく思うが、相変わらず場当たり的で見苦しい。
 そんな日韓関係について、今年6月、読売新聞と韓国日報が発表した日韓共同世論調査によると、今後の日韓関係について「良くなる」と答えた人は、日本では僅か5%にとどまったのに対し、韓国では56%にも上ったらしい。韓国の国民というよりメディアや活動家にこそ問題があるので、分からなくもないが、韓国という国の唯我独尊ぶりが如実に表れている。
 折木良一さんの「戦略の本質」を読んでいると、かつてオランダの比較文化学者であるヘールト・ホフステッドが、IBMの世界40ヶ国11万人の従業員に対し、行動様式と価値観に関するアンケート調査を行い、1980年に各国の文化と国民性を数値で表すことが出来る「ホフステッド指数」を開発し、1988年にはブルース・コグートとハビール・シンが「国民性分析」という論文を発表したという話が出てくる。それによると、日本人と価値観や行動様式が最も近い国はハンガリー、次いでポーランドで、韓国(39位)や中国(47位)は、欧州のドイツ(8位)やフランス(28位)よりも離れているらしい。飽くまで一つの分析手法に過ぎないし、私自身、ハンガリーには一度行ったきりで、感覚的に東欧のことはよく分からず、同意も異論も差し挟めないが、なんとなく象徴的なように思う。その昔、生態学者・民族学者の梅棹忠夫氏の「文明の生態史観」でも、伝統的な東洋・西洋の区分ではなく、第一地域と第二地域と呼び、日本は西欧と同じ第一地域に区分されていた。ユーラシアに興亡する巨大権力から文化的な影響を受けながら、政治的には離れていたという意味で、なんとなく感覚的に納得したものだった。
 例えば、中国にしても韓国にしても、歴史認識とは、飽くまで現代の自分たちの価値基準で当時の歴史を認識したものであって(中国はプロパガンダとして、韓国はファンタジーとして、歴史を利用)、当時の人々の認識ではないところが、日本や西欧の実証主義とは全く異なる。呉善花著「生活者の日本統治時代-なぜ『よき関係』のあったことを語らないのか」(三交社)の中で、韓国の弁護士協会会長を務めた朴鐘植氏は、当時を振り返って次のように言っているらしい。「日本人に対して特別な不満はなく、日本人と朝鮮人の間のトラブルもあまり聞いたことがない」「もし日本人が嫌なことをやったら朝鮮人がだまってはいなかった」「だから日本人から差別されたなどの問題もなかった」と。何をかいわんや、であろう。困った隣人である。
 上の写真は今週の東京タワー(先週と変わりないが・・・)。
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