風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

年賀状の季節に

2017-12-26 23:24:43 | 日々の生活
 今年も年賀状を書く季節になった。プリントゴッコという画期的な道具が現れて、年賀状を取り巻く風景を一変、その苦労を一掃してくれた感動は今も忘れられないが、2008年に本体の販売が終了したのに続き、2012年には消耗品の販売も終了して力尽き、完全にパソコンとインクジェット・プリンタに時代を明け渡して久しい。そのパソコンで印刷する年賀状の枚数も、年々、減る一方で、このまま日本の伝統を廃れさせてもよいのか、やましさにやや胸が疼くのは、昭和を生きた世代のサガだろうか。子供達はあっさりしたもので、年賀状など見向きもしない。LineやFacebookで四六時中、繋がっていれば、年賀状を出す必要性など感じるはずがない。
 ・・・などと、答えを先に言ってしまったが、何故、年賀状を止められないか、ふと考え込んでしまった。昔は、人によっては出すのを止めて様子を見ていると、元日に貰って、慌てて返事を出し、翌年は心を入れ替えて元日に届くように出すと、今度は先方から数日遅れで届く、というようなすれ違いを繰り返して、なんとなく止められないワナに陥ることがよくあった。馬鹿馬鹿しい話である。それでも、子供の頃はともかく、大学進学や就職で地元を離れると、結婚式に呼んだり呼ばれたり、同窓会に呼んだり呼ばれたり、の目的で、年一回の居場所確認としてそれなりに意味があった。言わば同窓会名簿的な役割だ。ところが近年、強力な助っ人(見方によってはライバル)が現れた。年賀状の敵はFacebookである。「トモダチのトモダチは皆トモダチ」とはちょっと古いが、暇つぶしに友達探しをして、20年来、音信不通だった旧知の友とも繋がったりする。こうして年賀状はFacebookで繋がらない親戚のおじさん・おばさんや情報弱者の知人だけになってしまった。これから先細る一方である。
 フェルメールの時代、絵のモチーフとして手紙がよくとり上げられている。世界的な交易が始まった時代、何年も離れ離れになる恋人や連れ合いと連絡を取り合うのは簡単なことではなく、数ヶ月に一度、手にする手紙こそが唯一、心が触れあう瞬間だった。切々と手紙を読む、手紙を書く、その表情には万感の思いが溢れている。
 また、1990年代、トレンディドラマの先駆けとなった「東京ラブストーリー」には、外で待ち合わせをしたカンチとリカの一方が約束の時間に間に合わずにすれ違ったり、連絡できなくて気を揉むシーンが何度か出てくる。一家に一台の黒電話を知る世代は、好きな子の家に電話をかけることすら勇気が必要だった。一人一台の今の若い人には想像できない世界だろう。
 では、現代は便利になって感動が薄れているのかと言えば、そうではない。携帯メールやLineの一言にも心が揺れ動くことだろう。感動が薄れていると思うとすれば、それは齢を重ねただけなのかも知れない。年賀状に感傷的になることはなく、ただ時代の流れなのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする