なかなか決まらないアメリカ大統領選にかまけている間も(当たり前だが)世の中は動いている(笑)。マクロンさんのイスラーム過激派との戦いも気掛かりの一つだが、日本人としては、中国の一挙手一投足を気にしないわけには行かない。
二週間ほど前の日経夕刊に、「豪産ロブスター 中国で通関遅れ」という小さな記事が出たのが、なかなか衝撃的だった。まだやるのか、ここまでやるのか、と。中国は、4月にモリソン豪首相が新型コロナ・ウイルスに関する独立した調査を求めたことに反発し、5月に豪産食肉の輸入を一部停止したほか、大麦には80%超の追加関税を課した。10月には、中国で豪産石炭の通関手続きに遅れが出たほか、中国政府が国内紡績工場に対して豪産綿花の利用中止を求めたことも判明しているという(以上、日経夕刊11/1付)。豪紙によると、豪州のロブスター輸出の9割超が中国向けだという。豪州のような中小国が超大国・中国に歯向かうとこうなるという、見せしめであろう。なんとも露骨な中国のエコノミックス・ステイトクラフトの発動であるが、中国への過度の依存が招く悲劇として関係諸国の警戒心を呼ぶことになろうことなど気にしないほど、自らの威信を保つことに汲々としているように見えて、却って心配になる。世にデカップリングと言われるが、それを招いているのは「中国製造2025」以来の中国である。
時事(10/31付)は、「中国依存強め威嚇能力持て 世界の産業チェーンで習主席指示」と題する記事を配信し、中国の舞台裏を伝えた。習近平国家主席が4月10日の党中央財経委員会で行った演説(共産党理論誌「求是」がホームページに掲載)によると、「産業の質を高めて世界の産業チェーンのわが国への依存関係を強め、外国に対し供給停止が強力な反撃・威嚇力を形成する」よう要求したということだ。今朝の日経も、RCEP署名に絡めて「中国 高まる存在感」と題する記事の中で、このときの習近平国家主席の発言を、よりこなれた和訳で取り上げている。曰く、「国際的なサプライチェーン(供給網)を我が国に依存させ、供給の断絶によって相手に報復や威嚇できる能力を身につけなければならない」と。
コロナ禍の当初、中国製造のマスク等の医療品が入りにくくなって、世界中が大騒ぎしたことが念頭にあったのだろう。これを機に、日・米・欧は中国への過度の依存を問題視するようになった。安倍政権はその支援策として2200億円の補助金を用意したし(その後、増額を検討と伝えられる)、日・米・豪・印のQuadの目的の一つは、需要逼迫する資源(レアアースなど)や生産品目の相互融通にある。大紀元という法輪功系のメディアは10/28付で、「中国の外資系企業『7割近く』が工場移転を検討」と報じた。英スタンダード・チャータード・グループが実施した調査によると、43%が米中貿易戦争とパンデミックの影響で生産能力の移転をより積極的に検討中、25%近くはその他の理由で移転を検討中だという。
中国は、アヘン戦争以来の日・欧からの屈辱的な仕打ちに対する民族の怨念を晴らすというストーリーによってナショナリズムを焚きつけ、求心力を高めようとしていると言われるが、その行動特性もあの帝国主義の時代に回帰しているかのようだ。中国流のレトリックなのだが、時代錯誤も甚だしく、かつ危険極まりない。このあたりの中国のマインドセットは先ずは環境問題で明らかになったものだった。欧米諸国はかつて二酸化炭素を排出して経済成長し近代化を成し遂げたのに、発展途上の中国が今、それをやって何が悪いと開き直って見せたのだった。同様に、欧米諸国がかつて植民地支配を通して「搾取」したことを、今や大国となった中国がやって何が悪いと開き直っているのであろうか。しかし、人類は進歩しないと言われながらも、ポリティカル・コレクトネスとして歴史は確実に前進し、二度の戦禍を潜り抜けて、欧米諸国はポスト・モダンの時代認識のもとに変わろうとして来た。いくら歴史に学ぶ中国とは言え、逆行するのは賢明とは思えない。
いや、逆行しているのではなく、この地球上には、ポスト・モダンを生きる日・米・欧のような先進国とともに、今なおモダン(帝国主義の時代を含む)を生きる中国やロシアのような権威主義体制の国々が併存するというのが現実なのであろう。北朝鮮も同様で、核開発を凍結するという、一部の核保有国の優位をも凍結することになる苦渋の決断をした日・米・欧をはじめとする国際社会の神経を逆撫でする。コロナ禍への対応で、権威主義体制の国の強さが際立つと言われるが、国内統治に限れば、民主主義という歴史的経験、すなわち民衆の成熟がなく、強権に頼るのは統治の脆弱性を抱えて戦々恐々としていることの裏返しに他ならない。日本や欧米諸国の課題は、モダンの中国を如何にしてポスト・モダンの世界へとソフトランディングさせるか、そして飽くまでも国際社会に包摂していくことであろう。
そして、経済的に中国に依存するオーストラリアが足元を見られて、さんざん中国に苛められていることからすれば、日本は、中国経済への依存を減らし、自らにパワー(中国にない先進技術などの付加価値)を備えることが、中国から軽んじられることなく、モダンとポスト・モダンの間の仲裁の立場になり得る重要な要素だと思う。折しもEUは、復興基金や中期予算計画の中で、「デジタル(=欧州デジタル単一市場)」、「グリーン(=欧州グリーンディール)」とともに「レジリエンス」というキャッチフレーズを謳い、医療やヘルスケア分野のサプライチェーン強化や、技術・インフラ等の保護を進めようとしている。他方、中国は先の5中全会で、米中対立が続くことを見越して、「双循環」なる方向性を公式に宣言した。「内循環」(=国内循環)を主とし、「外循環」(=貿易や対外開放)を従とした政策、言わば自力更生路線を打ち出したのである。日本企業のサプライチェーンも、中国生産は中国市場に限定するものと割り切り、多少コストがかかっても「世界の工場」機能は国内回帰(リショア)やASEAN・インドなどの第三国への分散によって「レジリエンス」を高めていくべきだろう。言うは易し、行うは茨の道だが・・・
上の写真は、かれこれ10年前になるが、シドニー駐在時にお世話になったDarling HarbourにあるNick’sというシーフード・レストランでの、ややシュールな豪産ロブスターのお尻(と言うより背中)の数々。
二週間ほど前の日経夕刊に、「豪産ロブスター 中国で通関遅れ」という小さな記事が出たのが、なかなか衝撃的だった。まだやるのか、ここまでやるのか、と。中国は、4月にモリソン豪首相が新型コロナ・ウイルスに関する独立した調査を求めたことに反発し、5月に豪産食肉の輸入を一部停止したほか、大麦には80%超の追加関税を課した。10月には、中国で豪産石炭の通関手続きに遅れが出たほか、中国政府が国内紡績工場に対して豪産綿花の利用中止を求めたことも判明しているという(以上、日経夕刊11/1付)。豪紙によると、豪州のロブスター輸出の9割超が中国向けだという。豪州のような中小国が超大国・中国に歯向かうとこうなるという、見せしめであろう。なんとも露骨な中国のエコノミックス・ステイトクラフトの発動であるが、中国への過度の依存が招く悲劇として関係諸国の警戒心を呼ぶことになろうことなど気にしないほど、自らの威信を保つことに汲々としているように見えて、却って心配になる。世にデカップリングと言われるが、それを招いているのは「中国製造2025」以来の中国である。
時事(10/31付)は、「中国依存強め威嚇能力持て 世界の産業チェーンで習主席指示」と題する記事を配信し、中国の舞台裏を伝えた。習近平国家主席が4月10日の党中央財経委員会で行った演説(共産党理論誌「求是」がホームページに掲載)によると、「産業の質を高めて世界の産業チェーンのわが国への依存関係を強め、外国に対し供給停止が強力な反撃・威嚇力を形成する」よう要求したということだ。今朝の日経も、RCEP署名に絡めて「中国 高まる存在感」と題する記事の中で、このときの習近平国家主席の発言を、よりこなれた和訳で取り上げている。曰く、「国際的なサプライチェーン(供給網)を我が国に依存させ、供給の断絶によって相手に報復や威嚇できる能力を身につけなければならない」と。
コロナ禍の当初、中国製造のマスク等の医療品が入りにくくなって、世界中が大騒ぎしたことが念頭にあったのだろう。これを機に、日・米・欧は中国への過度の依存を問題視するようになった。安倍政権はその支援策として2200億円の補助金を用意したし(その後、増額を検討と伝えられる)、日・米・豪・印のQuadの目的の一つは、需要逼迫する資源(レアアースなど)や生産品目の相互融通にある。大紀元という法輪功系のメディアは10/28付で、「中国の外資系企業『7割近く』が工場移転を検討」と報じた。英スタンダード・チャータード・グループが実施した調査によると、43%が米中貿易戦争とパンデミックの影響で生産能力の移転をより積極的に検討中、25%近くはその他の理由で移転を検討中だという。
中国は、アヘン戦争以来の日・欧からの屈辱的な仕打ちに対する民族の怨念を晴らすというストーリーによってナショナリズムを焚きつけ、求心力を高めようとしていると言われるが、その行動特性もあの帝国主義の時代に回帰しているかのようだ。中国流のレトリックなのだが、時代錯誤も甚だしく、かつ危険極まりない。このあたりの中国のマインドセットは先ずは環境問題で明らかになったものだった。欧米諸国はかつて二酸化炭素を排出して経済成長し近代化を成し遂げたのに、発展途上の中国が今、それをやって何が悪いと開き直って見せたのだった。同様に、欧米諸国がかつて植民地支配を通して「搾取」したことを、今や大国となった中国がやって何が悪いと開き直っているのであろうか。しかし、人類は進歩しないと言われながらも、ポリティカル・コレクトネスとして歴史は確実に前進し、二度の戦禍を潜り抜けて、欧米諸国はポスト・モダンの時代認識のもとに変わろうとして来た。いくら歴史に学ぶ中国とは言え、逆行するのは賢明とは思えない。
いや、逆行しているのではなく、この地球上には、ポスト・モダンを生きる日・米・欧のような先進国とともに、今なおモダン(帝国主義の時代を含む)を生きる中国やロシアのような権威主義体制の国々が併存するというのが現実なのであろう。北朝鮮も同様で、核開発を凍結するという、一部の核保有国の優位をも凍結することになる苦渋の決断をした日・米・欧をはじめとする国際社会の神経を逆撫でする。コロナ禍への対応で、権威主義体制の国の強さが際立つと言われるが、国内統治に限れば、民主主義という歴史的経験、すなわち民衆の成熟がなく、強権に頼るのは統治の脆弱性を抱えて戦々恐々としていることの裏返しに他ならない。日本や欧米諸国の課題は、モダンの中国を如何にしてポスト・モダンの世界へとソフトランディングさせるか、そして飽くまでも国際社会に包摂していくことであろう。
そして、経済的に中国に依存するオーストラリアが足元を見られて、さんざん中国に苛められていることからすれば、日本は、中国経済への依存を減らし、自らにパワー(中国にない先進技術などの付加価値)を備えることが、中国から軽んじられることなく、モダンとポスト・モダンの間の仲裁の立場になり得る重要な要素だと思う。折しもEUは、復興基金や中期予算計画の中で、「デジタル(=欧州デジタル単一市場)」、「グリーン(=欧州グリーンディール)」とともに「レジリエンス」というキャッチフレーズを謳い、医療やヘルスケア分野のサプライチェーン強化や、技術・インフラ等の保護を進めようとしている。他方、中国は先の5中全会で、米中対立が続くことを見越して、「双循環」なる方向性を公式に宣言した。「内循環」(=国内循環)を主とし、「外循環」(=貿易や対外開放)を従とした政策、言わば自力更生路線を打ち出したのである。日本企業のサプライチェーンも、中国生産は中国市場に限定するものと割り切り、多少コストがかかっても「世界の工場」機能は国内回帰(リショア)やASEAN・インドなどの第三国への分散によって「レジリエンス」を高めていくべきだろう。言うは易し、行うは茨の道だが・・・
上の写真は、かれこれ10年前になるが、シドニー駐在時にお世話になったDarling HarbourにあるNick’sというシーフード・レストランでの、ややシュールな豪産ロブスターのお尻(と言うより背中)の数々。