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国際テロ組織アルカーイダの指導者ウサマ・ビンラーディン容疑者が殺害されました。イスラム武装勢力(パキスタンの)タリバン運動(TTP)報道官は「(パキスタンの)ザルダリ大統領と軍が第1の標的で、米国が第2の標的」と話しているそうで、テロの脅威はむしろ増大するとの見方が多く、これまで以上に警戒する必要があるのかも知れませんが、アメリカのテロとの長い戦いは、先ずは一つの節目を迎えたことは事実です。このニュースを最も待っていたであろう人物は、ビンラディン容疑者の殺害を「極めて大きな功績だ」と称え、「テロとの戦いは続く」と指摘した上で、「米国は、時間がかかろうとも正義はもたらされるという明白なメッセージを送った」との声明を発表しました。ブッシュ(ジュニア)前大統領です。
実は、先々週に出張したテキサス(ダラス)ゆかりの人として、このブッシュ・ジュニアのことをブログに書こうとしていました。というのも、ダラスのオフィスのあちらこちらで、彼のバッヂを見かけたからです。彼の写真の上に“Do you miss me yet?”という問いかけがあしらわれたものです。もとより現地人の誰に尋ねても「史上最低の大統領」と答えるだけで、懐かしむ者などいません。テキサス州知事(1995~2000年)のあと、第43代アメリカ合衆国大統領(2001年1月~2009年1月)として、いきなり同時多発テロという難局を迎え、支持率は、同時多発テロ直後に、ギャラップ社の調査で記録に残る過去最高の90%に達しながら、2008年2月2日には、記録に残る最低の19%にまで、まるでジェットコースターのように乱高下するという、これほど毀誉褒貶が激しい大統領も珍しい。
確かに泥沼化するイラク・アフガニスタン情勢は、ベトナム戦争を彷彿とさせ、ブッシュ・ジュニアの単独行動主義は世界を敵に回してしまい、甚だ評判がよろしくありませんでした。また、アメリカ経済を金融に特化させた結果、サブプライム・ローンから世界恐慌を招いた元凶だと、私たちは理解しています。しかし、中西輝政・京大教授は、ブッシュ・ジュニアの失敗はテロとの戦争、とりわけイラクの戦後統治に失敗したことだけだと言います。所謂「新・自由主義」から、市場経済万能のような考え方が出てきたのは、ブッシュ・ジュニアの時代ではなく、その前のクリントンの時代からだったと。
4月の一ヶ月間、日経新聞「私の履歴書」に連載された彼の手記は、勿論、回顧録として都合が悪いことは書かないで自己正当化に徹するという世間の相場から外れるものではありませんでした。そしてその最終回では、歴史の評価には時間がかかるものだと自論を展開し、彼自身の功績も後世の史家に委ねるとまで強がりました。しかし彼のそうした一見傲慢な態度はあながち間違いではないかも知れません(少なくとも全否定されているかのような現状は多少は改められるかも)。
共和党穏健派で知日派のアーミテージ元国務副長官(因みに彼は、今回、ビンラーディンを殺害したSEALsに所属しベトナム戦争に従軍しました)は、ブッシュ・ジュニアのことを、個人的な人間関係を好み、とてもチャーミングだったと形容しています。人は「イデオロギー色が強過ぎた」とか「付き合うのが難しかった」と言うけれども、と。因みにオバマ大統領のことは、全ての関係がビジネスライクで、人間関係を築こうとしないことに、非常に不安を覚えると述べています(「日米同盟vs中国・北朝鮮 アーミテージ・ナイ緊急提言」リチャード・アーミテージ、ジョセフ・ナイ、春原剛共著)。勿論、人が好いからと言って良い政治家とは限りませんが、優秀過ぎて自ら恃む人より、知性を疑われるような発言を何度も行おうと側近の意見に耳を傾けることの方が重要な素養だろうと思います。
そして、そうした人の好さを示すエピソードがWilipediaに出ています。大統領退任後に住んでいるダラスのとあるホーム・センターが、「ブッシュ前大統領殿 ようこそお戻りになりました!」との書き出しで始まる「お客様係募集」求人広告をジョークで掲載し、「時間に融通の利く、非常勤。ご自宅からも近距離で、一日体験も可能です」とメリットを列挙したうえで、「何年にも亘る外国要人との会談を通して、社交術を磨き上げてきたあなたが、このポジションの優れた候補者だと確信しています」と呼びかけたところ、ブッシュ本人が「仕事を探しているんだ」と突然来店し、店長に対して入社を丁重に辞退したうえで買い物をするというジョークで応じたため、居合わせた客らから喝采を浴びた・・・というものです。
彼は大の野球ファンとして有名で、1989年からテキサス・レンジャーズの共同オーナーを務めました。上の写真は本拠地レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントン。
実は、先々週に出張したテキサス(ダラス)ゆかりの人として、このブッシュ・ジュニアのことをブログに書こうとしていました。というのも、ダラスのオフィスのあちらこちらで、彼のバッヂを見かけたからです。彼の写真の上に“Do you miss me yet?”という問いかけがあしらわれたものです。もとより現地人の誰に尋ねても「史上最低の大統領」と答えるだけで、懐かしむ者などいません。テキサス州知事(1995~2000年)のあと、第43代アメリカ合衆国大統領(2001年1月~2009年1月)として、いきなり同時多発テロという難局を迎え、支持率は、同時多発テロ直後に、ギャラップ社の調査で記録に残る過去最高の90%に達しながら、2008年2月2日には、記録に残る最低の19%にまで、まるでジェットコースターのように乱高下するという、これほど毀誉褒貶が激しい大統領も珍しい。
確かに泥沼化するイラク・アフガニスタン情勢は、ベトナム戦争を彷彿とさせ、ブッシュ・ジュニアの単独行動主義は世界を敵に回してしまい、甚だ評判がよろしくありませんでした。また、アメリカ経済を金融に特化させた結果、サブプライム・ローンから世界恐慌を招いた元凶だと、私たちは理解しています。しかし、中西輝政・京大教授は、ブッシュ・ジュニアの失敗はテロとの戦争、とりわけイラクの戦後統治に失敗したことだけだと言います。所謂「新・自由主義」から、市場経済万能のような考え方が出てきたのは、ブッシュ・ジュニアの時代ではなく、その前のクリントンの時代からだったと。
4月の一ヶ月間、日経新聞「私の履歴書」に連載された彼の手記は、勿論、回顧録として都合が悪いことは書かないで自己正当化に徹するという世間の相場から外れるものではありませんでした。そしてその最終回では、歴史の評価には時間がかかるものだと自論を展開し、彼自身の功績も後世の史家に委ねるとまで強がりました。しかし彼のそうした一見傲慢な態度はあながち間違いではないかも知れません(少なくとも全否定されているかのような現状は多少は改められるかも)。
共和党穏健派で知日派のアーミテージ元国務副長官(因みに彼は、今回、ビンラーディンを殺害したSEALsに所属しベトナム戦争に従軍しました)は、ブッシュ・ジュニアのことを、個人的な人間関係を好み、とてもチャーミングだったと形容しています。人は「イデオロギー色が強過ぎた」とか「付き合うのが難しかった」と言うけれども、と。因みにオバマ大統領のことは、全ての関係がビジネスライクで、人間関係を築こうとしないことに、非常に不安を覚えると述べています(「日米同盟vs中国・北朝鮮 アーミテージ・ナイ緊急提言」リチャード・アーミテージ、ジョセフ・ナイ、春原剛共著)。勿論、人が好いからと言って良い政治家とは限りませんが、優秀過ぎて自ら恃む人より、知性を疑われるような発言を何度も行おうと側近の意見に耳を傾けることの方が重要な素養だろうと思います。
そして、そうした人の好さを示すエピソードがWilipediaに出ています。大統領退任後に住んでいるダラスのとあるホーム・センターが、「ブッシュ前大統領殿 ようこそお戻りになりました!」との書き出しで始まる「お客様係募集」求人広告をジョークで掲載し、「時間に融通の利く、非常勤。ご自宅からも近距離で、一日体験も可能です」とメリットを列挙したうえで、「何年にも亘る外国要人との会談を通して、社交術を磨き上げてきたあなたが、このポジションの優れた候補者だと確信しています」と呼びかけたところ、ブッシュ本人が「仕事を探しているんだ」と突然来店し、店長に対して入社を丁重に辞退したうえで買い物をするというジョークで応じたため、居合わせた客らから喝采を浴びた・・・というものです。
彼は大の野球ファンとして有名で、1989年からテキサス・レンジャーズの共同オーナーを務めました。上の写真は本拠地レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントン。
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