この日は、暫くは記憶に留められるエポック・メイキングな日になることだろう。新型コロナウイルスの変異株は、感染症法上の分類が「5類」となり、それで感染力や重症化のリスクが上がった変異株が出ない保証はないし、尾身茂さんのような専門家は、「波の高さはともかく、第9波が来ることを想定した方がよい」と言われ、警戒を続けるよう求めておられるのはよく分かるが、世の中は変わった。
8日付の朝日新聞は、街行く人でマスクを外す人の比率が4割近いと伝え、その後も、私の乏しい経験からも、もはやマスクを外す人が目立つようになった気がする。隔世の感がある。オフィスでも、即日、執務フロアからも食堂からも会議室からもアクリル板パーティションが取り外された(食堂の密を避けるための時差昼休みは継続中だが)。象徴的な動きを、恐らく会社としても率先したいのだろう。
思えば3年前、突然の原則在宅勤務が宣言されて、先が見通せない状況の中で、どのような条件が揃えばコロナ禍が収束したと言えるのかという、当時としては途方もない儚い夢でしかないような議論があった。それは世間がコロナウイルスを恐れなくなったときだと述べた方がおられたのは、まさに慧眼で、もう一つ付け加えれば、同調圧力が強い日本人社会の動きは遠慮がちで、「5類」に分類されたことをキッカケに、待っていましたとばかりに世間の動きが変わったことからすれば、「宣言」のような象徴的な号令が必要なのだと、あらためて思った。
私は・・・と言えば、当初2年間はほぼ9割方、在宅勤務していたが、この一年はほぼ9割方、出社し、運動不足解消のための強制的な散歩ではなく、出退勤途上の街をそぞろ歩く楽しさを取り戻していた。最近は職場の同僚と合意の上で、喋るとき以外はマスクを外していた。ほぼ時を同じくして、外出時もマスクを外していた(花粉症の季節は、逆行してマスクを着用したが)。季節は移ろい、今あらためて解放感に浸っている。マスクを外して、人の表情を読めることが、なんだか懐かしくも嬉しくもある。
こうした個人的な経験はともかくとして、社会としてはどうだろうか。甚だ気になるところである。尾身さんはインタビューに次のように答えておられる(5月8日付 東京新聞)。
「2009年の新型インフルエンザの流行で、いろいろなことを学んだ。次のパンデミックに備えようと、関係者が時間を費やして議論して提言書を国に出した。その中では、PCR検査体制や保健所機能、医療体制の強化、国と専門家の関係のあり方などコロナで課題が指摘された問題の多くについて具体的な提言が書かれていた。これは私の個人的な考えだが、その後、政権交代や(東日本大震災などの)自然災害などがあり、政府は集中的にこれを実行することができなかった。」
「重症急性呼吸器症候群(SARS)や新型インフルエンザなどの時も大変だったが、これだけの大変な思いをしたのは少なくとも私の人生ではなかった。100年に1度の感染症だったといえる。一言で言えば、感染症という危機に対応する準備が不足していた。これだけの経験をしたのだから、やはり次の感染症の流行に備える上では、新型インフルの時のように提言はまとめたものの実行されないということを繰り返してはならない。今こそ第三者も含めて政治、行政そして専門家集団が何を(文書として)書き、言い、したか、事実ベースでの検証が求められる。」
しかし、水に流すことが得意な日本人は、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのだろうか。島国で、地震・雷・火事・台風以外に深刻な(例えばパンデミックだけでなく異民族の侵略のような)脅威に直面する経験に乏しい、良くも悪くも人が好い日本人を自覚する私としては、「大変だったね」と言いながら、このまま日本人らしく流されるのだろうか。
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