風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

10年前の事件の真相

2020-09-10 18:38:34 | 時事放談
 2010年9月7日、尖閣諸島沖の領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきたので、中国人船長を逮捕したが、中国から様々な圧力(人質をとられたり、レアアースの輸出を停められたり、今ならエコノミック・ステイトクラフトと呼ばれるもの)をかけられ、釈放した事件は、思い出すだにいまいましい(苦笑)。民主党(当時)政権の仙谷由人官房長官(当時)は、那覇地検の判断を諒とする、などと言ってカッコつけたが、政治判断が必要となるような場面で検察現場の判断を追認するかのように装ったのは如何にも奇異だった。この事件を巡って、前原誠司さん(衝突時は国交相で、船長釈放時は外相)のインタビュー記事が産経新聞に掲載され、逮捕した中国人船長を釈放したのは、那覇地検の判断ではなく、菅(かん)直人首相(当時)の指示だったことが判明した。菅(かん)直人さんご本人は「私が釈放を指示したという指摘はあたらない」とツイッターで否定されたが、長島昭久さんは仙谷官房長官から話を直接聞いたと証言された。以下は前原さん発言の抜粋(産経デジタル)である。

(引用)
 「下旬に米国で国連総会があり、出発直前にその勉強会で首相公邸に呼ばれた。佐々江賢一郎外務事務次官ら外務省幹部と行った。そのとき、菅(かん)首相が船長について、かなり強い口調で『釈放しろ』と。『なぜですか』と聞いたら『(11月に)横浜市であるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に胡錦濤(中国国家主席)が来なくなる』と言われた」
 「私は『来なくてもいいじゃないですか。中国の国益を損なうだけだ』と言ったが、『オレがAPECの議長だ。言う通りにしろ』ということで流れが決まった。仙谷氏に『菅(かん)首相の指示は釈放ということです』と報告した」
(引用おわり)

 福島第一原発で海水冷却を停めようとしたときのように、「イラ菅(かん)」と呼ばれた菅(かん)直人首相(当時)の姿が目に浮かぶ(笑)。政権慣れしていない民主党(当時)にあって、市民運動家として名を馳せても首相にはなれない資質が、残酷だがここでも露わになった。因みに、今の韓国が迷走するのは、文在寅大統領本人を含め市民運動家が大統領官邸を乗っ取っているからだと説明されることがあるが、菅(かん)直人政権を知っているだけに妙に納得してしまう(笑)
 さて、何故、いちいち「かん」と振り仮名をつけたかと言うと、今となっては、実質的に次の首相を決めることになる自民党総裁選で議員票の7割を押さえたと言われる菅(すが)官房長官と紛らわしいからだ(笑)。以下はあるコラムからの孫引き・・・ある中国人が、次の首相を巡り、噂を聞きつけて、「日本では菅(かん)直人が復活するのか!?」と、びっくりして尋ねて来たらしい。「いや、それは菅(かん)直人じゃなくて、安倍内閣の官房長官の菅(すが)義偉だ」 これぞ、あ~菅(かん)違い・・・
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