風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

小澤征爾の日

2020-09-12 09:13:04 | 永遠の旅人
 忘れない内に書き留めておきたい。小澤さんの誕生日である9月1日がSeiji Ozawa Dayに制定されたという、小さなニュースが流れた。
 ボストンから西にまっすぐ車で3時間ほど走ったところに、タングルウッドという、森に囲まれた田舎町がある。東西にひょろ長いマサチューセッツ州の西部バークシャー郡レノックス市にあり、南隣ニューヨーク州アルバニー空港からだと車で1時間くらいの、この辺鄙な町に、日本人の名を冠した音楽ホール(Seiji Ozawa Hall)があって、毎年夏になると、Tanglewood Music Festivalが行われる。23年前の7月のある日、私たち家族は、このホールの庭先と言うには余りに広大な芝生にレジャーシートを広げて、ピクニックを楽しんだ。BGMは小澤征爾さん率いるボストン・フィルである。入場料は一人僅か20ドルほどだった(芝生席の場合)。真夏とは言え、ボストン郊外ではエアコンが必要な日は殆どないほど、爽やかな陽気の昼下がり、あたりを見渡せば、同じようにピクニック気分の家族連れや若者たちもいれば、簡易イスに仲良く並んで腰かけてワインを傾けながら寛ぐ老夫婦の姿もある、今、思い起こしても、なんと優雅で贅沢な時間だろうか。
 私たちはボストン近郊で生活して僅か4年目だったが、小澤征爾さんは、ここボストンで、実に1973年から2002年まで、ボストン・フィルの音楽監督を務められ、その歴史的な経歴と功績をボストン市から評価されたわけだ。
 当時は、その後に続く日本人メジャーリーガー活躍の先鞭をつけた野茂英雄投手がドジャースに移籍し、実績を築きあげつつあった頃で、日本人の海外での活躍を“密かに”誇らしく思うような時代だった。しかし、小澤征爾さんは別格で、既にボストンの地に根を張ってご活躍され、私がタングルウッドの一日を満喫したのは、その晩年だったことになる。「ボストンで過ごした時間は、僕の人生にとって本当に大切なもので、どこに居ようとも、いつも僕の心の中にあります」とのコメントを寄せ、謝意を表されたというが、この言葉は、僅か4年ながら、初めての海外生活で、第一子を授かり、子育てに奮闘した私にとっても、同じ思いで、僭越ながら一人密かに悦に入っている(笑)。日本人として誇らしいだけでなく個人的にも嬉しい出来事で、誰であろうとも素直に功績を認めるアメリカの懐の深さを尊く思いながら、その偉業を寿ぎたい。
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