前回、言ったことに続けて、あらためて指摘したいのは、日本、米国、欧州、中国、ロシアという主要プレイヤーにおける時代相の違いである。
最近、ヨーロッパのことが気になって仕方がない(笑)。18世紀までは中国が先進国と言われていた(結果として眠れる獅子だった)が、ルネッサンスや宗教改革を経て、ヨーロッパ(と言っても西欧)に近代科学や近代思想・哲学が起こり、啓蒙思想とそれに基づく市民革命を経て、19世紀にはその地位が逆転する。挙句に、EUという形で主権国家の主権の一部を放棄する地域連合までが現出し、更にそこから主権を回復するべくイギリスが離脱するという、常に時代の最先端(?)を切り開き続けている。
そもそもヨーロッパが、ルネッサンスという形で古代ギリシャやローマの文明に目覚めた(復興した)のは、イスラーム世界を経由してのことであった。その意味では、ある時期までイスラーム世界が文化的に古代ギリシアやローマを継承し、ヨーロッパ(西欧)より進んでいたと言えなくはない。ところがイスラーム世界は、古代ヨーロッパと近世ヨーロッパの単なる架け橋となっただけで、自らは停滞(という言い方が正しいのかどうか疑問ではあるが)したままなのが、謎である。
恐らく、古代、中世、近世、近・現代と、世界は直線的に「進化」するものだという古い観念に囚われて歴史を眺めているせいだろう。そもそも中世を暗黒時代と思い込んでいること自体が古臭い(笑)。こうした囚われの心を少し虫干しして、ちょっと新鮮な目でイスラーム世界を眺めれば、象徴的なのは、ISという異形のテロ組織が現出したことで、その発想自体はイスラームの一種の原理主義であって、理解できないわけではないし、それだけに脅威が高まった。中東地域では、近世から近代へと、西欧の帝国主義に蹂躙され、まがりなりにも西欧的な主権国家体制を既得権益として維持している国が多いから誤解を招きやすいが、トルコやイラクやシリアや更にはイランの混迷を見るにつけ、本来あるべきイスラーム法の世界に外形的な西欧主権国家体制が持ち込まれ、無理をしているだけのことではないかと感じる。アラブの春がうまく行かなかったのも、民主化という歴史的な経験が乏しいせいだ。他方、中国を眺めてみても、中国共産党という言わば王朝による支配は、古代のまま、変わらずに健在だという感覚をあらたにする。ここでも、その本質は古代か、せいぜい中世のままで、それが良いとか悪いとかいう価値判断は留保しなければならないのだろう。さらにプーチンが独裁的な権勢を誇る(しかし、さすがに最近は翳りが見える)ロシアを眺めてみても、共産主義・ソ連が崩壊したときこそ、民主化する期待が高まったが、その本質は古代かせいぜい中世的な世界のまま健在なのだと思わざるを得ない。
逆に言うと、歴史的に自由・民主主義の革命的な変化を経験したヨーロッパ世界(米国と日本を含む)だけが特別なのであって、世界は必ずしも一直線に「進化」しているわけではないのだ。
日本は、その地理的な特性・・・すなわち東洋的専制の大陸から適度な距離をおき、山がちで統一権力が支配しにくいという西欧に似た特性により、徳川270年の安定政権と言っても、所詮は列藩連合の頭(カシラ)の支配に過ぎず、東洋でもなければ西洋でもない、独特の歴史を歩んできた。実際に藩主は「キング」であり徳川政権は「エンペラー」だと、当時、西欧からは呼ばれていたのだ。そして幕末の動乱期にあっても、徳川を中心とする軍事政権が支配してきたお陰で、帝国主義の時代を植民地に堕することなく生き抜き、東洋で唯一、西欧的な自由・民主主義体制「もどき」を築き上げた。「もどき」と言ったのは、1980~90年代の日米構造協議に見られるように、西欧社会とは異なる体質を残しているからで、東洋でもなければ西洋でもない、しかしOECDやG7メンバーとして、極東と言うより極西とでも言うべき特殊な地位を保持している。ちょっと大目に見て、米国や西欧とともに、近代あるいはポスト近代に向かっていると言えなくはない。
こうして、現状維持を当然と見做す近代あるいはポスト近代の西欧や米国や日本と、現状変更を厭わない古代政権のままのロシアや中国が対峙する世界構造が見て取れる。近代とは、広く世界を眺めれば、必ずしも「進化」した時代相ではなく、単に特殊な発展を遂げただけだという見方をすれば、昨今の米・中における体制を巡る争い、秩序を巡る争いという言い方こそ、本質的なものであることが分かるのである。難しい時代になったものだが、これこそ、冷戦時代というイデオロギー支配を脱し、しかも「世界」がせいぜい西欧と米国を中心としたものから、ロシアや中国を含めた全世界的なものへと拡大した時代の実相なのだろう。
最近、ヨーロッパのことが気になって仕方がない(笑)。18世紀までは中国が先進国と言われていた(結果として眠れる獅子だった)が、ルネッサンスや宗教改革を経て、ヨーロッパ(と言っても西欧)に近代科学や近代思想・哲学が起こり、啓蒙思想とそれに基づく市民革命を経て、19世紀にはその地位が逆転する。挙句に、EUという形で主権国家の主権の一部を放棄する地域連合までが現出し、更にそこから主権を回復するべくイギリスが離脱するという、常に時代の最先端(?)を切り開き続けている。
そもそもヨーロッパが、ルネッサンスという形で古代ギリシャやローマの文明に目覚めた(復興した)のは、イスラーム世界を経由してのことであった。その意味では、ある時期までイスラーム世界が文化的に古代ギリシアやローマを継承し、ヨーロッパ(西欧)より進んでいたと言えなくはない。ところがイスラーム世界は、古代ヨーロッパと近世ヨーロッパの単なる架け橋となっただけで、自らは停滞(という言い方が正しいのかどうか疑問ではあるが)したままなのが、謎である。
恐らく、古代、中世、近世、近・現代と、世界は直線的に「進化」するものだという古い観念に囚われて歴史を眺めているせいだろう。そもそも中世を暗黒時代と思い込んでいること自体が古臭い(笑)。こうした囚われの心を少し虫干しして、ちょっと新鮮な目でイスラーム世界を眺めれば、象徴的なのは、ISという異形のテロ組織が現出したことで、その発想自体はイスラームの一種の原理主義であって、理解できないわけではないし、それだけに脅威が高まった。中東地域では、近世から近代へと、西欧の帝国主義に蹂躙され、まがりなりにも西欧的な主権国家体制を既得権益として維持している国が多いから誤解を招きやすいが、トルコやイラクやシリアや更にはイランの混迷を見るにつけ、本来あるべきイスラーム法の世界に外形的な西欧主権国家体制が持ち込まれ、無理をしているだけのことではないかと感じる。アラブの春がうまく行かなかったのも、民主化という歴史的な経験が乏しいせいだ。他方、中国を眺めてみても、中国共産党という言わば王朝による支配は、古代のまま、変わらずに健在だという感覚をあらたにする。ここでも、その本質は古代か、せいぜい中世のままで、それが良いとか悪いとかいう価値判断は留保しなければならないのだろう。さらにプーチンが独裁的な権勢を誇る(しかし、さすがに最近は翳りが見える)ロシアを眺めてみても、共産主義・ソ連が崩壊したときこそ、民主化する期待が高まったが、その本質は古代かせいぜい中世的な世界のまま健在なのだと思わざるを得ない。
逆に言うと、歴史的に自由・民主主義の革命的な変化を経験したヨーロッパ世界(米国と日本を含む)だけが特別なのであって、世界は必ずしも一直線に「進化」しているわけではないのだ。
日本は、その地理的な特性・・・すなわち東洋的専制の大陸から適度な距離をおき、山がちで統一権力が支配しにくいという西欧に似た特性により、徳川270年の安定政権と言っても、所詮は列藩連合の頭(カシラ)の支配に過ぎず、東洋でもなければ西洋でもない、独特の歴史を歩んできた。実際に藩主は「キング」であり徳川政権は「エンペラー」だと、当時、西欧からは呼ばれていたのだ。そして幕末の動乱期にあっても、徳川を中心とする軍事政権が支配してきたお陰で、帝国主義の時代を植民地に堕することなく生き抜き、東洋で唯一、西欧的な自由・民主主義体制「もどき」を築き上げた。「もどき」と言ったのは、1980~90年代の日米構造協議に見られるように、西欧社会とは異なる体質を残しているからで、東洋でもなければ西洋でもない、しかしOECDやG7メンバーとして、極東と言うより極西とでも言うべき特殊な地位を保持している。ちょっと大目に見て、米国や西欧とともに、近代あるいはポスト近代に向かっていると言えなくはない。
こうして、現状維持を当然と見做す近代あるいはポスト近代の西欧や米国や日本と、現状変更を厭わない古代政権のままのロシアや中国が対峙する世界構造が見て取れる。近代とは、広く世界を眺めれば、必ずしも「進化」した時代相ではなく、単に特殊な発展を遂げただけだという見方をすれば、昨今の米・中における体制を巡る争い、秩序を巡る争いという言い方こそ、本質的なものであることが分かるのである。難しい時代になったものだが、これこそ、冷戦時代というイデオロギー支配を脱し、しかも「世界」がせいぜい西欧と米国を中心としたものから、ロシアや中国を含めた全世界的なものへと拡大した時代の実相なのだろう。
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