風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

初代ジェームズ・ボンド死す

2020-11-03 00:10:45 | スポーツ・芸能好き
 ショーン・コネリー氏が、バハマ諸島の自宅で家族に囲まれて、眠りながら息を引き取ったという。享年90。
 言わずと知れた007シリーズ主人公ジェームズ・ボンドの初代を務め、1983年のワーナー制作『ネバーセイ・ネバーアゲイン』を含めて7作に出演した。ジェームズ・ボンドを演じたのは、他にロジャー・ムーア(7作)、ティモシー・ダルトン(2作)、ピアース・ブロスナン(4作)、ダニエル・クレイグ(5作)がいるが、私の中ではショーン・コネリーが一番だ。スマート過ぎず、精気に溢れた、やや武骨なところが性に合う(笑)。
 私が洋画に目覚めたのは中学三年の頃で、高校受験を控えてなお年間50本以上の洋画をテレビで見た(のを、両親はよくも黙って許してくれたものだと思う)。なけなしの小遣いで『スクリーン』という月刊誌を買い、オリビア・ハッセ―やジャクリーン・ビセットやキャサリン・ロスやリン・フレデリック(と言われても分からないかもしれないが、ピーター・セラーズの奥さん)といった美女をうっとり眺めて溜息をつきながら、ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーに憧れた(笑)。私の中で典型的イギリス人と言えば、今もなお、あの恰幅の良さで(どうやらボディービルで鍛えたらしい)、切れの良いアクションをこなし、蝶ネクタイなんぞをダンディーに着こなし、ウィットに富んだ会話で美女をたぶらかす、ジェームズ・ボンドのイメージそのままだ(笑)。もっとも、ご本人は、この役柄のイメージが強過ぎることがご不満だったようで、友人のマイケル・ケインは「その頃、親しい人たちは、彼の前でボンドの話を持ち出さないようにしていた。もっと上手い俳優なのに、彼にはすっかりジェームズ・ボンドのイメージが付いてしまったのだ。街を歩いていて、人に『あ、ジェームズ・ボンドだ』と言われるのが、彼はとりわけ嫌だったようだ」と語っている。
 因みに「ルパン三世」の作者モンキー・パンチさんも、日本で1963年に公開された記念すべき007第一作『ドクター・ノオ』(公開当時のタイトルは『007は殺しの番号』)は「強烈な影響を受けた映画」で、「シャレた大人の遊び心満載の007映画がなかったら、私の『ルパン三世』は生まれなかったかも知れない」とまで語っている。要は『007』と『怪盗ルパン』をミックスさせた漫画を描きたい!ということだったようだ。ルパン三世は007のジェームズ・ボンドの「泥棒版。クールで天才。そして『007』と同じく女好き(笑)。でも下品じゃなくて上品な色気を前面に出した漫画にしたい。さらにアクションあり、コミカルでユーモアのある読み物にしたいと思っていました。だから主人公のルパンは、できるだけ、わかりやすい性格のほうがいいかな、という感じ」 「長髪にするはずが締め切りに迫られ描きやすい短髪にした」とも語っている。当然のことながら、ボンドガールを基に描いたのが峰不二子で、「ボンドガールは作品ごとに違う人が出てくるでしょ?僕も毎回、違うルパンガールを出すつもりでいた。でも、それを毎週、考えるというのは大変でね(笑)。だからといって、同じ女性が毎週、出てくるのではつまらない。だったら同じ女性でも髪形やコスチューム、性格が違う、“謎の女”を毎回、出してみたらどうかと思ったわけです。“女性の本性はわかりにくい”という男の心理がありますから、不二子のような女性は、それにぴったり合うんじゃないか、と」 そして我らが永遠の小悪魔・峰不二子が誕生したわけだ。
 男としての憧れはジェームズ・ボンドかルパン三世か・・・迷うわけである(笑)。そんな初代ジェームズ・ボンドも、ご夫人によると、ここ数年は認知症で苦しんでいたという。人生の不条理を感じるが、私たちファンには最後までジェームズ・ボンドとして、とはご本人には不本意かも知れないが、極東の少年にも夢を与えてくれたことに感謝し、ご冥福をお祈りしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする