私たち日本人は(幸か不幸か)もはや殆ど「戦争を知らない子供たち」だ。その私たちに、ウクライナの戦争はどう映っているだろうか。
因みに、「戦争を知らない子供たち」は、北山修作詞、杉田二郎作曲で、ベトナム戦争まっさかりの1970年に発表された反戦歌だ。その翌年、北山修氏は同名の著書を出版され、私は高校一年の夏休みの宿題の読書感想文を書くために、夏目漱石や森鴎外ではなく、この書を選んだ。咎められた記憶はないが、今となっては何と大胆不敵だったことかと思う(そのときの国語教師は奈良女子大学出身の才媛で、希代の毒舌家だったが、さすがに言葉を失ったのだろうか 苦笑)。最近、北山氏は日経新聞夕刊にコラムを寄せておられるので、Wikipediaで調べたら、「日本の精神科医、臨床心理学者、作詞家、ミュージシャン」と紹介されている。元日本精神分析学会会長で九州大学名誉教授でもあらせられる。多才なお方だ。
閑話休題。日本人は、安保法制の国会論戦に見られたように、戦争と言えば今なお太平洋戦争当時のドンパチをイメージするのではないだろうか。そういう側面は勿論あって、此度のウクライナでも、首都キーウ陥落のために戦車や装甲車が攻め寄せた。他方、湾岸戦争における(特に当時のロシアや中国にとっては衝撃だっただろう)テレビゲームのような精密誘導のハイテク兵器による遠隔攻撃という相がある。さらに2014年のロシアによるクリミア併合のように、血を流さない非正規戦を交えた所謂ハイブリッド戦争という相もある。とりわけ情報戦、世論戦は、当事国のみならず、世界をも巻き込む。ウクライナのゼレンスキー大統領がG7をはじめ主要国議会で行った演説が、各国をマーケティングしてそれぞれの国民の心を掴んだとして評判なのは、まさに見事な国際世論戦である。
ところが、島国育ちの日本人は、私自身を含めて、地続きのユーラシア大陸で繰り返される異民族間の紛争の激しさを知らないせいか、ナイーブと言わざるを得ない。10日ほど前のことになるが、「ウクライナは降伏せよ」と主張されていた橋下徹氏とバトルを繰り広げていた平和構築の専門家・篠田英朗教授は、ロシア・ウクライナ戦争の深刻さが増す中で、日本では頓珍漢な紋切り型の議論が横行しているとして、5類型を挙げて、嘆いておられた(*1)。いずれも、多少なりとも身に覚えのある議論ではないだろうか(以下に抜粋)。
(1)「侵略者が来たら降伏しよう」論。降伏さえすれば、世界の問題は全て解決するといった話は全く現実とかけ離れている。(中略)憲法学者独裁主義体制下の日本の学校教育の弊害をあらためて痛感せざるを得ない。
(2)「世界に問題があるのはアメリカが解決していないからだ」という極度のアメリカの神格化にもとづく意味不明の糾弾。(後略)
(3)「プーチンにはプーチンの正義がある」論。タレントの太田光氏のテレビの発言が話題になった。プーチンにも利害や野心がある。だがそれは正義と呼べるようなものではないだろう。(後略)
(4)「人間には誰でも欠点はある」論。鈴木宗男議員が、「ウクライナにも責任はある、喧嘩両成敗がよい」といったことを国会で発言して、話題になった。(中略)百歩譲って、日本社会の中だけであれば、「いじめられる方も悪い」と呟いて事なかれ主義を貫くこともできるかもしれない。だが、国際社会でそれをやったら、日本は孤立する。
(5)「紛争当事者の一方に肩入れしてはいけない、中立が常に一番正しい」という思想。鳥越俊太郎氏らが、ゼレンスキー大統領の国会演説に反対するために、中立こそが常に絶対善、といった議論を展開して話題になった。(中略)日本国憲法も国連憲章も「正義(justice)」を追求し、そのために日本社会/国際社会全体が標榜すべき目的や原則も明らかにしている。それを一気にひっくり返して、「どれだけ悪い奴が原則や規則を蹂躙しようとも、とにかく常に中立を心掛けることだけが絶対的な善だ」と主張してみせるのは、反憲法的・反国際法的な困った態度である。
また、3・4・5番目の点をひっくるめて、見るに見かねた細谷雄一教授も4日前、「ロシアもウクライナも両方悪い」とする主張は不適切だとツイッターで指摘された(*2)。
日本経済新聞社とテレビ東京が3/25~27日に実施した世論調査によれば、岸田内閣の支持率は61%、ロシアのウクライナ侵攻を巡る日本政府の取組みを「評価する」67%、「評価しない」22%との回答だったので、両教授のご懸念は飽くまで一部の意見に対して向けられたものではある。日頃から、情報戦や世論戦を仕掛けられる時代であり、ただでさえ安全保障や戦争学に無意識に拒否反応を示しがちな日本人としては、何が本質なのか、留意したいものだと思う。
なお、戦況はウクライナに有利に傾きつつあるのか、ロシアは、第一段階の目標は概ね達成されたとして、首都キーウや北部チェルニヒウでの軍事活動を縮小し、東部ドンバスなどでの作戦に集中しつつあるとの報道がある。一刻も早い停戦合意を望むところだが、戦況の有利・不利が停戦協議のポジションに影響するため、プーチン氏は劣勢挽回を図りたいところだろう。そのため、東部・南部では却って戦闘が激化するかも知れない。
かかる状況において、米・英政府が、プーチン大統領の側近がウクライナ侵攻の実情を大統領に伝えるのを恐れている(そのため都合のいい情報しか上がっておらず、プーチン氏は真実を知らされていない可能性がある)と主張し牽制したのに対し、ロシア大統領府は否定しているが、今の狂気じみたプーチン氏のもとでは大いにあり得る話のように思われる。その意味で、米英が、極秘を解除して情報公開するのは、プーチン政権の偽情報対策であるとともに、プーチン氏本人に(側近による情報の壁を越えて)実情を認識させ、停戦協議を誤らせないためでもあるのだろう。
こうして、ウクライナの想定外の奮闘は、NATO諸国から対戦車ミサイル(ジャベリン)や携帯式防空ミサイル(スティンガー)やドローンといった装備品が提供されるだけでなく、米・英から情報(公開されるものだけでなく、ウクライナ政府のみに伝えられるものも含めて)が提供されるのも、強力な支援になっていることだろう(さらにゼレンスキー大統領の暗殺を阻止し、あるいはウクライナ軍に対して武器使用や狙撃や破壊工作などの訓練を施すなど、米・英の特殊部隊の暗躍も伝えらえる)。
戦争のあり方は随分変わったものだと思う。私たちが目にする戦争は、ウクライナとロシアとの直接の対峙のほかに、価値を巡る(すなわち力による現状変更を許さず、武力侵攻するロシアに得をさせない)西側とロシアとの間接的な(西側からの経済や情報による)攻防という、二重構造になっている。そこでは既に日本は他人事ではなく、当事者の一人だ。
(*1)https://agora-web.jp/archives/2055685.html
(*2)https://www.huffingtonpost.jp/entry/ukraine-russia_jp_6243c3fae4b0e44de9bab752
因みに、「戦争を知らない子供たち」は、北山修作詞、杉田二郎作曲で、ベトナム戦争まっさかりの1970年に発表された反戦歌だ。その翌年、北山修氏は同名の著書を出版され、私は高校一年の夏休みの宿題の読書感想文を書くために、夏目漱石や森鴎外ではなく、この書を選んだ。咎められた記憶はないが、今となっては何と大胆不敵だったことかと思う(そのときの国語教師は奈良女子大学出身の才媛で、希代の毒舌家だったが、さすがに言葉を失ったのだろうか 苦笑)。最近、北山氏は日経新聞夕刊にコラムを寄せておられるので、Wikipediaで調べたら、「日本の精神科医、臨床心理学者、作詞家、ミュージシャン」と紹介されている。元日本精神分析学会会長で九州大学名誉教授でもあらせられる。多才なお方だ。
閑話休題。日本人は、安保法制の国会論戦に見られたように、戦争と言えば今なお太平洋戦争当時のドンパチをイメージするのではないだろうか。そういう側面は勿論あって、此度のウクライナでも、首都キーウ陥落のために戦車や装甲車が攻め寄せた。他方、湾岸戦争における(特に当時のロシアや中国にとっては衝撃だっただろう)テレビゲームのような精密誘導のハイテク兵器による遠隔攻撃という相がある。さらに2014年のロシアによるクリミア併合のように、血を流さない非正規戦を交えた所謂ハイブリッド戦争という相もある。とりわけ情報戦、世論戦は、当事国のみならず、世界をも巻き込む。ウクライナのゼレンスキー大統領がG7をはじめ主要国議会で行った演説が、各国をマーケティングしてそれぞれの国民の心を掴んだとして評判なのは、まさに見事な国際世論戦である。
ところが、島国育ちの日本人は、私自身を含めて、地続きのユーラシア大陸で繰り返される異民族間の紛争の激しさを知らないせいか、ナイーブと言わざるを得ない。10日ほど前のことになるが、「ウクライナは降伏せよ」と主張されていた橋下徹氏とバトルを繰り広げていた平和構築の専門家・篠田英朗教授は、ロシア・ウクライナ戦争の深刻さが増す中で、日本では頓珍漢な紋切り型の議論が横行しているとして、5類型を挙げて、嘆いておられた(*1)。いずれも、多少なりとも身に覚えのある議論ではないだろうか(以下に抜粋)。
(1)「侵略者が来たら降伏しよう」論。降伏さえすれば、世界の問題は全て解決するといった話は全く現実とかけ離れている。(中略)憲法学者独裁主義体制下の日本の学校教育の弊害をあらためて痛感せざるを得ない。
(2)「世界に問題があるのはアメリカが解決していないからだ」という極度のアメリカの神格化にもとづく意味不明の糾弾。(後略)
(3)「プーチンにはプーチンの正義がある」論。タレントの太田光氏のテレビの発言が話題になった。プーチンにも利害や野心がある。だがそれは正義と呼べるようなものではないだろう。(後略)
(4)「人間には誰でも欠点はある」論。鈴木宗男議員が、「ウクライナにも責任はある、喧嘩両成敗がよい」といったことを国会で発言して、話題になった。(中略)百歩譲って、日本社会の中だけであれば、「いじめられる方も悪い」と呟いて事なかれ主義を貫くこともできるかもしれない。だが、国際社会でそれをやったら、日本は孤立する。
(5)「紛争当事者の一方に肩入れしてはいけない、中立が常に一番正しい」という思想。鳥越俊太郎氏らが、ゼレンスキー大統領の国会演説に反対するために、中立こそが常に絶対善、といった議論を展開して話題になった。(中略)日本国憲法も国連憲章も「正義(justice)」を追求し、そのために日本社会/国際社会全体が標榜すべき目的や原則も明らかにしている。それを一気にひっくり返して、「どれだけ悪い奴が原則や規則を蹂躙しようとも、とにかく常に中立を心掛けることだけが絶対的な善だ」と主張してみせるのは、反憲法的・反国際法的な困った態度である。
また、3・4・5番目の点をひっくるめて、見るに見かねた細谷雄一教授も4日前、「ロシアもウクライナも両方悪い」とする主張は不適切だとツイッターで指摘された(*2)。
日本経済新聞社とテレビ東京が3/25~27日に実施した世論調査によれば、岸田内閣の支持率は61%、ロシアのウクライナ侵攻を巡る日本政府の取組みを「評価する」67%、「評価しない」22%との回答だったので、両教授のご懸念は飽くまで一部の意見に対して向けられたものではある。日頃から、情報戦や世論戦を仕掛けられる時代であり、ただでさえ安全保障や戦争学に無意識に拒否反応を示しがちな日本人としては、何が本質なのか、留意したいものだと思う。
なお、戦況はウクライナに有利に傾きつつあるのか、ロシアは、第一段階の目標は概ね達成されたとして、首都キーウや北部チェルニヒウでの軍事活動を縮小し、東部ドンバスなどでの作戦に集中しつつあるとの報道がある。一刻も早い停戦合意を望むところだが、戦況の有利・不利が停戦協議のポジションに影響するため、プーチン氏は劣勢挽回を図りたいところだろう。そのため、東部・南部では却って戦闘が激化するかも知れない。
かかる状況において、米・英政府が、プーチン大統領の側近がウクライナ侵攻の実情を大統領に伝えるのを恐れている(そのため都合のいい情報しか上がっておらず、プーチン氏は真実を知らされていない可能性がある)と主張し牽制したのに対し、ロシア大統領府は否定しているが、今の狂気じみたプーチン氏のもとでは大いにあり得る話のように思われる。その意味で、米英が、極秘を解除して情報公開するのは、プーチン政権の偽情報対策であるとともに、プーチン氏本人に(側近による情報の壁を越えて)実情を認識させ、停戦協議を誤らせないためでもあるのだろう。
こうして、ウクライナの想定外の奮闘は、NATO諸国から対戦車ミサイル(ジャベリン)や携帯式防空ミサイル(スティンガー)やドローンといった装備品が提供されるだけでなく、米・英から情報(公開されるものだけでなく、ウクライナ政府のみに伝えられるものも含めて)が提供されるのも、強力な支援になっていることだろう(さらにゼレンスキー大統領の暗殺を阻止し、あるいはウクライナ軍に対して武器使用や狙撃や破壊工作などの訓練を施すなど、米・英の特殊部隊の暗躍も伝えらえる)。
戦争のあり方は随分変わったものだと思う。私たちが目にする戦争は、ウクライナとロシアとの直接の対峙のほかに、価値を巡る(すなわち力による現状変更を許さず、武力侵攻するロシアに得をさせない)西側とロシアとの間接的な(西側からの経済や情報による)攻防という、二重構造になっている。そこでは既に日本は他人事ではなく、当事者の一人だ。
(*1)https://agora-web.jp/archives/2055685.html
(*2)https://www.huffingtonpost.jp/entry/ukraine-russia_jp_6243c3fae4b0e44de9bab752