かーちゃんはつらいよ

施設入所した18歳そうちゃん(自閉症、最重度知的障害、強度行動障害、てんかん)のかーちゃんが書く雑記。

卒業式って何のため?

2024年02月24日 08時40分44秒 | みゆみゆとの生活
そうちゃんの卒業式が近づいてきました。
学校では高等部入学時以来の荒れ模様みたい。
2月はグループホームに入所し生活の変化が大きかったこと、
小学部・中学部での合同卒業式と高等部では内容や流れが違うこと、
この二つが大きな要因かな?と思っている。
そもそも2月末ごろは毎年情緒不安定。たしか。
春先はなんとなく不安なものよね。

自分の高校卒業式を思い出してみた。
って、記憶力なさすぎてあまり覚えてないけど。
体育館で全員が並んで、立ったり座ったりおじぎしたりして。
校長の話、来賓挨拶、来賓紹介。
在校生送辞と卒業生答辞。(これは覚えてない。)
卒業証書は代表がもらったはず。(人が多すぎて見えなかった。)
君が代とZARDの「負けないで」を歌った。(時代がばれる)

卒業式で感動する場面はなくあっさりあっという間に終わり。
教室に帰ってから担任の話とかで少し泣いたけど、まだ判明していなかった進路のことで頭がいっぱいで感傷に浸る余裕はなかった。
これがいいとか悪いとかの話ではない。

いったい卒業式とは何のためにあるのか。
一つは、「式典」として「厳粛な雰囲気での区切り」を、というもの。
私も最近になってようやくわかってきたけど、世の中これはこれで必要なのだろう。
社会も4月5月は「式典」の嵐。入学式、入社式に始まり、あと各団体の「総会」とかいうやつ。
型どおりの流れで立って座っておじぎして、エライ人の話を聞く。
「異議なーし」「議長一任!」も決まった流れ。
それを淡々とこなして実績と伝統をつくることで、そうじゃない年(ちょっと揉めたり)が変革の年となりまた新しい風が吹く。
社会人になる前に「式とはこういうもの」と知り、「厳粛な空気」で背筋を伸ばす、というのもわかる。これも文化なので。

一方で、「卒業式は卒業生が中心」という考え方もある。
例えば「卒業式で歌う歌は卒業生が決める」「思い思いの服装で出席」など、独自性のあるもの。
高校の卒業生は次の進路のことで忙しいので、なかなか生徒企画というのも難しいかもしれないけど。
小学校の卒業式は、かなり学校による独自性が出ている気はする。
保育園・幼稚園に遡るともっと「発表会」に近いかな。

ここからは私個人の考え。
卒業式は式典。ある程度決められた流れの中で進めることに異議はない。
けど同時に「卒業式は卒業生のもの」という考え方も大事。
少なくともお祝いの言葉は、本人たちに向けて、言ってほしい。
挨拶が長かったり難しい言葉のオンパレードだと、重度の知的障害の子ども達は「これはいつ終わるんだ?」と混乱します。(特に来賓の方々、頼みます。このブログを見ているとは思えないけど。)
特別支援学校の授業は、個別性を重視し、視覚支援や見通し支援などあらゆる方法で生徒が特性に応じた学習ができるよう環境設定をしてくれています。
「特別な式典」である卒業式についても、繰り返しの練習や先生方の打ち合わせなど、入念に準備してくれています。

それでもそうちゃんにとって「式典」は高いハードル。
大声は織り込み済み。走り出し、捕獲、途中退場もアリ。
そうちゃんの親、18年目。どんな事態になっても臨機応変に対応するつもりはあります。
そうはいってもウソのように何事もなく座っていられたりする可能性もありますが。
どうなるか全然予測がつかないのがそうちゃん。

最後の制服姿、お友達や先生に囲まれた勇姿。
少しでもそれが見られれば、かーちゃんにとってはとてつもないご褒美だよ。

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私の大好きな木村泰子先生が語る「みんなでつくる卒業式」のリンクを貼っておきます。
お暇な方は読んでみてね。
「みんなの教育技術」