想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

我が町の祭り

2014年10月15日 | 日記

  毎年、10月の体育の日の前の2日間を地域の祭りとして盛大におこなっている。私も三役の一員として参加した。役員ともなると終日屋台についていなくてはならず、体力仕事だ。その前には神社の木枝の伐採、その後の慰労会と伝統ある祭りであるので、大変だった。大きな事故もなく無事終わることができてほっとしている。
 今日も、先日伐採したお宮さんの木の処理があり午前中はその仕事でいっぱいだ。

※下の文字をクリックしてください。動画が再生されます。

秋祭り1(動画) 

秋祭り2(動画) 

秋祭り3(動画)

我が町の祭り

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あと少しで川が危ない! 急ぎ足で走り去った台風18号

2014年10月08日 | 日記

 自治会長から、後、1.2Mで堤防の上に水が来ると言うことで、私に電話があった。行ったところ、これ以上雨が降れば堤防を越えるか川の決壊もあり危ないところだった。幸い雨がやんできたので水位が減ってよかった。副会長の役でもあり、これはいかんと思い見に行ったところびっくり、とにかく現場第一主義でやることが一番だと痛感した。 

地域をパトロールした所、雨もあがり、鴨が3羽いたのを見つけた。川をすいすい気持ちよさそうに泳いでいた。野生の生き物はたくましいなと感じた。もともと、人工物を持たない野鳥は自然災害も意に介さないようだ。文明という鎧をかぶった人間の弱さを痛感した。

見上げたところ、今まで見たこともないよな雲が空を覆っていた。


  前から気になっていた、幼保園を見に行ったところ、周りは水浸しで川のようになっていた。聞いたところ、朝方来た園児が6名ほどいるとのこと、このまま大雨が続いていれば、道路を通って帰宅は困難になるとのこと。えらいところに園を立てたものだと思った。そういえば、ここに新設が決まった当時、両側を川で挟まれた当地は水害が心配だから反対という声が多くあったことを思い出した。幸い、大雨もやみ大事に至らなくてよかった。
 災害は想定外のときに起こるので気をつけないと…。

夕刻にはもう西の空は夕焼けに染まって台風一過であった。今後も19号が接近していると聞く、今回は速度が速かったので、雨の量も限られていて助かった。次回も警戒が必要だ。

 若い頃習ったマルクスも都市をよく観察して研究したというようなエピソード聞いたことを思い出した。実際に現場主義でよく観察することの大切さを痛感した。
 地域を回り、今回はどこが災害に弱いかを写真にたくさん取り、いい資料収集ができた。こんな、機会はあまりないのでしっかり情報収集の大切さを今回大いに感じた。



 

 

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気づきの連続 フジバカマの群生

2014年10月05日 | 日記

 震災4年10月5日(東北大震災から)

 園芸店ではよくフジバカマを見ましたが、自然のままのフジバカマを見たのは初めての経験です。種がどこから飛んできたのか、この辺で見るのは珍しいのではないかと思います。私のイメージですとそこにアサギマダラきて密を吸っているのですが、、今回はいませんでした。他の蝶もいなくてちょっと寂しかったのですが、ハナモグリが一匹きて潜っていました。ハナモグリは我が家ではよくニラの花にきていました。

 小学校の生活科ではよく気づきということをいいます。こうしてブログをつけていると、色々な気づきがこの年になってもあります。人生は気づきの連続だなとつくずく思います。いつも、感性をとぎすましていないと、その気づきも気づかずにどこかに飛んでいってしまうものだなと思います。気づきは楽しいし生きる意欲へとつながります。この先、どんな気づきが現れるか楽しみです。

 

フジバカマの群生

人は毎朝生まれ変わる

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サツマイモが鈴なり

2014年10月04日 | 日記

 震災4年10月4日

 畑に行って、サツマイモの収穫をしました。サツマイモが鈴なりになっていました。砂地ですので、毎年、たくさん取れます。保存がきくといいのですが、早く食べないと腐りやすいのが難点です。毎年よそにお裾分けです。
 

 この、芋の肌色がみずみずしさを醸しだし何ともいえないいい色になっています。

サツマイモが鈴なり

人は毎朝生まれ変わる

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秋ですね、でも、日中は真夏!

2014年10月02日 | 日記

震災4年10月2日 

 朝夕、めっきり、涼しくなりました。朝のウォーキングの足取りもさわやかです。今日も、朝6時に起床し一回りです。堤を歩いていますと、遠くに南アルプスの山々がみえます。なぜか、ここ、二、三日もやがかっかったみたいになっていて、よく見えないのです。
 私は山がきれいに見えるときは、もう、うきうきで、外にドライブです。先日は、秋葉山の方へ行ってきました。
 でも、最近感ずることがあります。それは、秋なのに、日中の日差しが妙に強烈です。青い空を覆っていた、シェードが取れたみたいに日光が皮膚に直接当たる感覚があります。昔の日差しはこんなんじゃなかった。秋ともなればもっと優しく注いでくれたような記憶があります。

 車にUV加工のガラスがはめてありますが、その、UVが効かなくなっている感覚です。
 あれほど、ぎらぎらと照りつけていた太陽も、雲が空を覆うようになると、急に涼しさが増してきます。その関係で一日の寒暖の差も大きくなっているのだろうと思います。1日いや、年間のギャップが益々大きくなっているように感じます。それは、私だけでしょうか。そうは思えません。天空のオゾン層が薄くなってきているのではないでしょうか。客観的なデータがないので、はっきり言えませんが、肌の感覚がセンサーだとすれば、地球に降り注ぐ、日光の量がオゾン層が減ってきて、昔より確実に増えているのだろうと推測されます。

 年間を考えますと5月半ば~9月が夏で、10月~12月半ばが秋で12月後半~2月が冬で3月~5月半ば春でと、こんな感覚になっているのではないでしょうか。益々、春夏が短くなり、夏と冬が交互に訪れているような気さえします。日本の四季はいったいどこへ行ってしまうのだろうと思います。想定内に収まらないことが益々増えて行くのではないでしょうか。

 先日、歩いていて、こんなことを考えました。年々の温暖化が押し寄せているのですが、人間は外気が暑ければ、クーラーをつけ、しのげるのですが、そこを飛び回っているカラスはクーラーはないのに、全然数が減っていないな、なぜなんだろう、カラスだって昔より夏は暑すぎて過ごしにくくなっているのに、と、考えてしまいました。もし、カラスにも熱中症があれば、歩いていて、ばたばたと倒れているカラスを発見するのでしょうけれど、そんな風には見えません。カラスは人間より適応力があるのでしょうか。それも、自然の中で生活しているから、体がそうなっていいるのでしょうか。

 自然というものは本来はバランス感覚が働き、行き過ぎを修正するものなのですが、その機能がうまく働くなっているような気がします。そもそも、人間も生物の一員だと考えれば、その生物のみが肥大化しすぎているような時代ではないでしょうか。地球上至る所に人間があふれている状態です。どんな、生物でも増えすぎれば、その揺り戻しで、減るような力が働きます。その辺の調節弁が働くのです。自然界からこの辺への警告が異常気象になって現れているような気がしてなりません。もっとも、自然には異常も正常もありません。すべて、それは自然現象だからです。

 最近やっと、健康寿命ということが言われるようになってきました。遅すぎた感があります。さんざん、平均寿命を上げるといって、医療費の増大、GDPの増大をいってきましたが、人間、単に生きているのでなく、どう、生きたかが大切であって年数ではないはずです。どう生き、どう社会に還元されたか、孫の世代にもどう影響をあたえたか。など、計る物差しがおかしな時代がだんだん是正されつつあります。より、健康寿命、幸せ感が重要視される世界がもうすぐ、見えてきています。

 地球も、もう、これ以上、経済優先の生活をやめ、自然と共生して生きてゆくという道を選択しないと、孫の世代に深刻な影響を与えるような気がしてなりません。基本的人権は個人を尊ぶ戦後の思想でしょうが、人権とて周りの安定した環境や長い間の祖先の影響もあり、成り立つわけですので、その辺を考えないと将来に大きな禍根を残すでしょう。

 自然はずとるべきと書きますが、このまま、経済優先の生活が続いて行きますと、人類に取って由々しき問題になるのは自明の理となりましょう。人間は万物の霊長だと言われますが、他の生き物と共に人間も存在しているのです。人間おごるなかれです。そのことを忘れずにいたいです。

人は毎朝生まれ変わる

 

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