想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

ユキノシタの花 柿の葉 山ツツジ

2008年05月21日 | インポート

 今、ユキノシタの花が美しい。白く目立たない花であるが、けなげにこの時期になると咲く。ダイモンジソウという花の原種のようである。ダイモンジソウというと、淡いピンクの花であるが、こちらは純白だ。それにしても、どちらも私は好きである。ダイモンジソウの園芸種はどこかに植えてあったが、種が園芸改良種のためか、自然のユキノシタに比べてちょっと弱いようだ。

 下の盆栽には柿と一緒に植えてある。いわゆるアンサンブルである。音楽で言えば柿と、ユキノシタの二重奏であるといってもよい。そう考えると実に鑑賞の仕方も楽しくなる。
 さて、柿の新緑も又、すばらしい「萌葱色」とでもいうのだろうか。昔は紅葉がいいと想ったが、紅葉の美しさもさることながら、新緑の萌えるような緑に最近は、心を奪われる。紅葉は晩年を意味し、静かなる終焉を想わせるが、新緑はこれからという感を抱かせる。しかも、その緑たるや緑と言ってしまえばそれまでであるが、実に色々な色に富んでいる。色とりどりという言葉はこのためにあるのでは無いかと想うほどである。日本には自然を元に実に色々な色の言い方をしてきている。日本人の感性の源はその辺にあるのかもしれない。
 賀茂真淵の歌にこんなのがあった。私が好んで歌う歌である。「うらうらと、のどけき春の野山から匂い出でてたる山桜花、山桜花ばな」実に春の山の風景をうまく表現していると想う。しかも、情趣まで感じ取っているところに彼の感性を感じる。いや昔の日本人ならそういうものが、生まれながらにして身についていたのだと想う。そのことを想うとますます自然を大切にしなければと想う。私たちは一個人であると共に自然界の一員であるともいえる。

 

 

「幼子を胸に抱きて若菜摘む」菜の花の成長に例えれば、菜の花のつぼみ(若菜)はまさに新緑そのものである。生命そのものであるといってもいい。これからの人生を感じさせる。その先には成長点があるという。植物のその先にはウイルをも寄せ付けない生命力溢れたスポットがあるという、それが成長点だ。

コメント
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