パソコンは難しい計算も瞬時にこなしてしまう。しかし、パソコン自身は生きている実感があるだろうか。多分、ノーと言うだろう。計算はするのだが、その面ではすばらしいが人間は違う。悩み、考え、計算し、論理的にものを考えつつも、なお、迷う。仏教で言う業を背負っているのだ。
人間は人間たるゆえんはその業そのものにあるのだ。どんな、難しい計算が出来たとしても、それを感じる感性がなければ、人間たることはできないのだ。機械が虹を見て、きれいだな。これをみていると何となく落ち着くな、とか、思うだろうか。多分ノーだろう。
感情を持ち人間と同じようなものを作ろうと考えることは、人間の本来持っている自然治癒力をないがしろにするウイルスの効かない微生物を増やすことに似ている。病原菌があるから、病気になる理論と同じ考えだと思う。病気は病が半分気が半分とかく。
病原菌があるから病気になると西洋医学では解く。本当は自然治癒力が弱まっているから病気になるのである。いわゆる気が弱っているのである。まず、自然治癒力が弱まって来ているかどうかを問うべきである。
そこをないがしろにしている人が最近とみに増えて来ている。そのことに、気づかないのだ。風邪をひくと薬をすぐ飲む。その前に一歩下がってどうして、風邪をひいたかを反省することが大切だ。ウイルスのせいでなく、体が疲れて弱っていたのである。自然治癒力が衰えていたのである。そのため、通常では風邪にならないのに、風邪にかかってしまった。病気が悪化したので、薬を飲む。そのうちにその薬の副作用か本来の病気なのかの原因が分からなくなる。外国では日本人のようにすぐ、医者にかからないらしい、薬で治ったと思っている人がいるが、たいがいは薬を飲まなくても、直る時期にきていたのだ。結局、製薬会社は儲かったが、本人は薬漬けの生活になる危険がある。
やはり、基本は薬は自動車がぬかるみでタイヤがスリップして動かないときにその車を後ろから押すようなものである。自分で必死に前に進もうとするエンジンの力を一時的に援助することだと考えるとよい。現代人は薬の力で直ったと他力的に考えてしまうが、実のところは自分の力で最後は直ったのだ。その辺が薬を使うか、薬に使われるかの分かれ目のような気がする。最近はどうも、薬に使われる人が多くなったように思う。薬はよくよく考えて使う必要がある。医療もそのように使えば効果があるが、その辺を心得ていて医者にかからないと大変なことになる。
基本的に直すのは医者ではなくて、自分なのである。
野菜を育てていても、最近の野菜に旬がなくなっているのが気になる。旬のものが一番栄養価がたかいのだ。それでいて、旬にものを食べ作れば費用はかからない。自然の恵みをいただいているからだ。恵みをいただくという思いをもてるのは人間しかできない。そういう思いをもって、旬のものを作るように心がけている。今は、サツマイモとオクラが次から次へとできている。