先日、内閣不信任案否決された。その件に関して、TVでは政治家が色々とコメントしている。果たしてだれがやっても今の民主主義社会では同じなのか。政治家の資質としてどんな人が適任だろうか。少し、考えてみた。
①情に流されず、確かな理念を持ち、中途でぶれず、最後までやり抜く。
②自分の理念や政策をわかりやすく国民にプレゼンする能力。
さしあたり、以上の二つが思い浮かんだ。
理念無き実行は先が見えず、実行無き理念は絵に描いた餅となる。確かで高邁な理念を持ち、それを現実化させることが良き政治家の道であろう。
しかし、民主主義の世の中であっては、どんな高邁な理念でも国民に分かるように説明する大衆化する能力が無かったらそれは、実現不可能だ。その、高邁性と半ば、二律背反となる大衆性を兼ね備えた政治家が日本の世界では必要ではないだろうか。
果たして、そのような人物が日本で輩出されるだろうか。そこが課題である。
大衆に迎合し正しい理念を失い、失脚する政治家。大衆をないがしろにし、高邁な理論のみ掲げ大衆から見放されていった政治家。とにかく、今、日本に求められている人物はその両面を兼ね備えた人物だろう。
適度なカリスマを持ち、広く分かりやすく、国民に語りかけ、正しい理念に向かっていける人こそが今求められている。
独断と偏見と権謀術数を張り巡らせる。はったりで事を解決しようとさせる。そんな、政治家ではだめだ。
むつかしい所は①②の両面を追求すればするほど、そのジレンマに悩むだろう。その二率背反をいかに昇華することのできる人物の登場を願うしかない。
1000年に一度の災害が東北大震災なら1000年に一度の政治家がこの時期出てきてもおかしくない。これは、はかない夢なのか。