震災5年10月11日(あれだけの震災を忘れない為にも、年号を自分なりに震災とし、心に刻んでいたい。)
今年の自然科学分野のノーベル賞は大村智氏(80)が医学・生理学賞、梶田隆章氏(56)が物理学賞に輝き、今世紀に限っていえば、日本の受賞は15人に達した。これは、アメリカに次ぎ世界第2位の実力だ。
今年のノーベル賞は、なぜか、庶民の心まで温かくなった。なぜだろうか、特に大村先生の生き方やお人柄に心を奪われたのは私だけだろうか。生きることの根幹につながるペニシリン以来の大発見である。
こんなにも温かで庶民の味がする受賞があっただろうか、という、素直な感想をいだく。私の心の琴線にもふれる出来事であった。実にさわやかであり、明るい話題だった。
ノーベル賞というと、天の上の出来事だと思っていたが、大村さんの小さい頃からの人様の為にという考えがさりげなく、庶民的な感じがしてよかった。そして、庶民の代表としての受賞が、自分たちと一体感を感じた。
いわゆる庶民感覚であのような大発見をし、アフリカの人たちの大きな命をすくったのだから、すごいと思う。今まで、無名だったのだが、不思議なくらいだ。自分たちの生活に密着した発見が親しみを感じた。それが、美術館や温泉に結びついていたところが、人間の温かみを感じ、庶民の味方の大村さん像ができたようだ。
今後も、あの考えで地道に研鑽を積んで人類の為に精進してほしいと願わずにはいられない。その関係で、犬の寿命も大きく伸びた所も隠れた実績だ。
90年代は受賞者が0だったが、最近の躍進ぶりがすごい。1901年からトータルでは世界第8位となる。アジアでは№1の実力だ。韓国、中国もはるかに及ばない。
考えられることは、生活科から、総合的な学習が新設され、自分探しの旅を援助するという最近の日本の教育の潮流が後押ししているともいえなくもない。しばらくは、この流れでいけば、もっと、受賞者が増えていっても過言ではないと思う。
もっとも、その根幹たる研究は、ずいぶん昔から行われているらしいので、この自分探しの旅を目的とする潮流だけがすべてではないかもしれない。戦後70年の日本の平和がこのような学問を陰で支えていた気もする。今後の流れを注視しつつ、益々国際社会に貢献する日本が問われ続けていくだろう。今後が楽しみである。
他力本願から自力本願にシフトしていく社会は、エネルギーにあふれている社会であることを今後も証明していってほしい。それは、日本が平和であるという大きな前提の中にあることも忘れてはいけない。
最近、こんなことを考えるときがある。想い続けることこそ、発見や、やり遂げることの源泉のような気がする。
例えば、幸せとは何かと、いつも想い続けているとする。そうすると、不思議なことに、人がいやがること、苦痛となることさえ、喜びにつながってくるのだ。生きているそのものが幸せ感につながってくる。
すべてのことを幸せというめがねを通して見ていると、路傍の石でも、何気ない自然の営みでもすべて、自分の幸せ感につながってくるから不思議だ。
転んで膝小僧をすりむいたとしても、それは、何かの縁であり、ありがたいことに思える。日頃からそういう感じ方をしていれば、目にするもの体験するものすべてが、自分の肥やしになる。
「災い転じて福となる」などいい例だ。福にしたいという日頃の想いが福に導いているのだ。
昔、歩いていて、ポストにぶつかった人がいて、このやろうと、いって、ポストを蹴ったため、足をけがした人のお話を思い出した。ぶつかった自分を反省するどころか、非を相手に向け、その報いを受けたお話である。自分の非をとっさに反省すれば、自分が進歩するのに、そのチャンスを逃してしまったかわいそうな人である。
そんな考え方をしていたら、人は永遠に進歩しない。また、毎日を愚痴ばかりこぼしていたら、すべてが愚痴の対象になってしまう。どちらが幸せな生き方だろうか、自明の理であろう。そのような考え方では、天に召されても幸せにならないだろう。
こんな時もあったな!https://www.youtube.com/watch?v=HLpzXc0As_Y&list=RDHLpzXc0As_Y