想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

日本のコロナ対策、私権と公権のはざまで、政治はどう決断するのか?

2020年04月26日 | エッセイ

コロナ元年4月26日

 諸外国に比べて日本のコロナ対策が気になります。というのも、韓国、アメリカ、中国、イギリスなどの諸外国に比べると、実に緩やかな方法をとっているからです。オーバーシュートをなくし、医療崩壊を起こさないということはいいのですが、警戒宣言を出し自粛を要請しても、強制力がないので、なかなか効果的にいってません。外に出歩く人の数が希望の80%減にならないのです。頼みは国民の自律心の高さに頼るしかないのです。お金を配ることで実行を促すこともある程度は必要でしょうが、これにも限界があります。

 今までのやり方を継続していたら、いつ、終息に向かうのか、最近少し、心配になってきました。ある日突然、オーバーシュートが起こるかもしれません。それからでは、手がつけられなくなるのです。諸外国の様に、一時は大変かもしれませんが、強権的にやらないと、だらだらち、同じことを繰り返す危険がどこかに残っているのです。蛇の生殺しにならないかと心配になるのです。有事の際は、ある程度の民主は押さえても強権的にやらないとだめなんです。

 日本は民主国家ですから、各人の権利を最大限尊重することはいいことなの、ですが、その前提には各人が公共の福祉のことも考えることのできる広い道徳性を持っていることが大切です。現実はややもすると、経済優先の生活が身についていて道徳性よりも経済性が優先の世の中になっているようです。こういう時こそ、道徳国家日本でありたいものです。その前提がないと自粛には無理があります。

 自由とは放縦の自由ではないはずです。各人がやりたいことをやり、天に唾すればそれは必ずや各人の身にそれが降りかかってくるのです。愚かな人の行動の唾がまじめにやっている人にもかかって来たらやりきれません。法改正を即刻にしてまで、速度を持って実行して欲しいです。いつまで、この生殺しの状態が続くのでしょうか、そろそろ国民も我慢できなくなってきているのではないでしょうか。最大限の私権を尊重した上での公権力の発動を考えないと大変なことになります。

 ですから、日本のような民主国家がこのような自粛を要請するには各人の自律ができていないと駄目なんです。これはもう、義務教育までに育っていないといけないのです。しかし、何度言っても守れない人が一定数存在します。今回の有事では、そのためにほころびが出てしまいます。ここでは、自粛ばかりでなくもう一歩踏み込んだ法改正で公権力を強化する必要があります。我儘を許さない法規制がどうしても必要です。そうしないと、正しいことをしている民衆にも被害が及びます。民主主義はその前提の上に成り立っているのです。

 もし、自粛を要請しても守れない人がいる限り、一定の強制力を国に持たせて、罰則や個人を束縛するしかないのです。現行の法制度の中でも最大限私権を制限するしかないのです。今は有事です。こういう時は、ある程度私権を抑えてもやむを得ないのではないでしょうか。しかし、これは慎重にして大胆に、そして、速度を持ってこそ、実効性があります。速度が必要なんです。

 その為には、カリスマ性のある指導者が今は必要なときではないかと思います。清廉潔白であり、判断力、決断力があり、実行力の富む政治家の出現が国家を救うのです。優しいだけではだめなんです。ぶれないで、遠くを見つめて、決断できる人物が必要です。そんな政治家こそ、この混迷な民主主義の時代には必要です。

 今は、世界の有事であり、個人を言っている場合ではありません。個人対コロナではなく、国民対、人類対コロナと大きなとらえ方をしていかないといけないのです。

 

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