想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

与えられた場所で咲きなさい、咲き続けなさい。

2023年06月09日 | エッセイ
コロナ4年6月9日(ウクライナ、ロシア戦争2年)

 私は高校生の時、 何でこの世に生まれたのかなって よく考えていました。 私には私の良さがある。だから 神様は私をこのように 誕生させたのだ。だから私の人生というのは その自分の良さを見つけることだと自分に言い聞かせてきました。

 今思うとその当時が懐かしいなと思います。 私はそのことをずっと考えて今まで生きてきました。まあ そのようにならなくても その方向に ベクトルを向けることが大切だと考えていました。  

 ベクトルとは物理学で学習した覚えがありますが、いわゆる エネルギーの方向をそこに向けていくわけです。仮にそれが実現できないとしても ベクトルの向きをその方向に向けていけばいいのです。

 ある時、加速度という事も、物理の時間に習ったことがありました。その人の持つ、エネルギーとか勢いというものは、加速度が重要です。同じ現在テストで80点の人がいたとします。ここで、その人を評価するとき、大切なことが加速度という概念です。同じ80点でもその人のエネルギーに注目します。そうです。加速度というエネルギーが上を向いている下を向いているかで分かれるのです。

 特にそれは人を登用するときに一番大切なことではないでしょうか。人とのお付き合いも、そういうポジティブな思考を持った人とお付き合いすることがひいては自分のエネルギーにも大いに関連してきます。

 自分がポジティブに人生を生きようと思えば、周りの環境もそのように持って行くことが得策であります。

 先日、行政主催の健康教室に行きましたら、自己紹介をしてください。と、いう場面がありました。その時、「梅雨について」と、一言、お題が出ました。それを付け加えて紹介してくださいと進行の方からお願いがありました。

 ある人は、「梅雨になるといつもジメジメして洗濯も乾かないから困っています。」また、ある人は「この季節になると、アジサイの花が色とりどりで楽しみです。」と、お答えしていました。

 どちらの考え方が前向きな人生を表現できるかと、言えば、誰でもわかるでしょう。そう、人は想念でどうにでもなるものなのです。同じ境遇にいても、幸せと感じる人と、不幸だと、感じる人がいます。どちらの人生がハッピーかといえば言わずもがなです。

 『置かれた場所で咲きなさい』渡辺和子著の本があります。父親が凶弾に倒れるのを目の当たりにした少女、当時はまだ、わずか9歳の時です。自宅に押し入った青年将校に父を射殺されました。昭和11年に発生した二・二六事件でした。

 数奇な運命ながら、我慢強く温かい母に育てられた少女は、長じて修道女になり、36歳の若さで、修道会から任命され四年制大学の学長になりました。

 どんな苦境にあっても、そこから逃げるのではなく、そこで受けた試練を克服することに心を注ぎ、いまいるその場所が、自分が咲くべき場所ですよと読者に言っています。そうです。どんな場所にいても自分の心を前向きのもつことこそ、AI万能の時代とはいえ人間だけに与えられた神様からの大きなギフトなのです。

 その後、笑顔こぼれるシスターからは信じられませんが、生まれつき笑顔が少なかったそうです。アメリカ人の男性職員から、「渡辺さんは笑顔が素敵だよ」といわれたことから、笑顔が増えました。そうです。加速度がついてきたのです。前向きの加速度が…。

 そして、ただチャームポイントとしての笑顔ではなく、他人への思いやりとしての笑顔、そしてさらには、自分自身の心の戦いとしての笑顔へと、笑顔の質が転換して行きました。

 それは、ほほえむことのできない人への愛の笑顔であると同時に、相手の出方に左右されることなく、私の人生を笑顔で生きるという決意であり、主体性の表れとしての笑顔でした。

 彼女はクリスチャンでもありますが、仏教でも自分という言葉があります。「主体性の表れとしての笑顔」、いい言葉ですね。私も、そうありたいと思います。自分の残りの人生を自分の良さを見つけて表現していくつもりです。

 人生は芸術であり、芸術こそChatGptの時代を生きていく重要なものなのです。人生を芸術だととらえて、残りの人生をプロデュースしていくつもりです。

 それが、新しい時代のAIではできない人間だけができえる尊いことなのです。情操や直観、パッションなど人間そのものの良さを出して生きたいです。



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