コロナ5年5月26日(ウクライナ、ロシア戦争3年)
私自身もいつしか喜寿を超え、最近は健康についての関心が知らず知らずのうちにますます高くなってきたように思います。そこで今回は新しい医療のあり方について考えてみたいと思います。
過去には「医療については専門家である医師に任せる」のが患者のためであるとされ、任された医師は身を正し、愛情を持って患者の治療に努めることが強調されてきました。いわゆる「医は仁術」とされ、医師の慈愛の気持ちが「医療の倫理」として2000年以上にわたり容認されてきました。
先日も喉をやられ、治りが遅いので、常日頃は自然治癒力を最大限に尊重している私ですが、何かあってもいけないと思い、耳鼻咽喉科にかかりました。
インターネットの予約に始まり、連休明けでもあり、私が予約を取ろうとした時にはもうすでに160名ぐらいの患者さんがいました。あまりにも多い患者さんにびっくりしましたが、それでも予約は無事取れました。
久しぶりの病院通いでした。以前は2人だったはずの先生も、今では3人になっていました。なぜか私はベルトコンベアーに乗って治療を受けているような感覚に襲われました。昔の医療に慣れている私にとっては驚きの事ばかりです。
今の人にとってはそれが当たり前のことなんでしょうけども、病院が忙しすぎです。なぜこんなことになったのかとちょっと考えてしまいました。
医は仁術からいつの間にか、算術になっていたのです。病気が増えれば、医者や製薬会社が儲かる仕組みができてしまっていたのです。健康診断やワクチンなども個人の権利であることも忘れ、企業などの組織に入っていれば、なかば強制的に実施され、必要以上に薬と検査漬けになっています。
血圧130以上は高血圧だという考え方が、日本高血圧学会、高血圧治療ガイドラインで決まり、年齢を考慮せず一律決まってきたのもおかしなものです。そのため、急に高血圧が統計的に増え、薬が大量消費されることになりました。昔の90+年齢の血圧基準からしてもおかしな話です。
検査をすれば、医療機械会社が儲かり、薬を投与すれば、製薬会社が儲かります。そのことが日常茶飯事になり、現代人は当たり前だと思っています。
古来からある、食育の基本である身土不二、一物全体はどうなったのでしょう。今の対処療法的医療には危惧を感じざるを得ません。
もっと診察に時間をかけ、症状の本質に迫る医療がまずもって大切ではないでしょうか。今のお医者さんがかわいそうな気も致します。もっと高邁な考えでお医者さんになった人は嘆いていることでしょう。何のために高額な学資をかけてお医者さんにしたのか、親御さんとしても考えなければいけない問題でしょう。
高血圧や認知症、心因性の病気とされているうつ病や自閉症なども病気扱いのようですが、これは症状であり、今、そういう状態だということです。病気と症状を一緒にしている風潮もおかしいです。
医者に行くと過剰な薬を処方されますが、管理栄養士や療法士、カウンセリングの力も借りて薬以外の運動や栄養、生活習慣の改善で治すことをもっと考えていかないといけないなと思っています。
だいたい、その根本からの治療をすれば、減薬に大きな効果を発揮するでしょう。医食同源や食育という考え方もあります。このことをなぜもっと奨励しないのでしょう。そして、人間が本来持っている自然治癒力も利用すべきです。
医療がますます自然から離れていっている現状を憂えています。これでは、いたちごっこで医療費は益々増大していきます。
インフォームドコンセントという言葉が私の脳裏によぎりましたが、なぜ医師法にもあるこの考え方が広まらないのでしょうか。国民が周知していないのもおかしな話です。医療従事者しか知らない言葉になっているようです。PRをして周知させる努力をしてほしいです。
お医者さん主導でどんどん進んでいき、薬の副作用とか、治療の説明もそこそこに、薬がたくさん投与され、気が付けばお薬手帳はいっぱいです。患者は患者で、ちょっとしたことでもすぐ医者にかかるので、いつも医者は満杯です。
災害の時ばかりでなく、通常の時にも医療のトリアージを進めた方がいいのではと思っています。
こう考えていくと、今後は医療改革がどうしても大きな社会問題となっていくでしょう。いや、していかないと困るでしょう。医療費の増大は際限がないようです。