
コロナ6年2月16日(ウクライナ、ロシア戦争4年)
「ケ・セラ・セラ」、なるようになるさ。
「任運騰騰(にんぬんとうとう)」、運に任せて騰がるが如し。
ひとつはスペイン語、もうひとつは禅の言葉。どちらも未来を案じすぎず、今を生きることを示している。
けれど、言葉の響きを感じると、それぞれの文化の違いが浮かび上がってくるようだ。「ケ・セラ・セラ」はどこか明るく軽やかで、陽の光が降り注ぐ温暖な土地の風を感じさせる。一方、「任運騰騰」は、静寂の中に響く鐘の音のように、どこか重みのある言葉だ。
人生はなるようにしかならない。そう思えたとき、人は肩の力を抜き、とらわれない心を持てるのかもしれない。
「とらわれない心」。これを、わがままと呼ぶ人もいる。けれど、我が心のままに生きることこそが、本当の自由なのではないだろうか。
高齢になって、つくづくそう思う。先のことを気に病んでも仕方がない。自然の摂理に委ね、流れのままに生きる。それが一番いいのだ。
確実にエイジングは進んでいる。けれど、それを嘆いてもはじまらない。どうなるかは天に任せ、今日一日を精一杯楽しむ。そうすれば、残された時間もまた、充実したものになるのではないだろうか。
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