想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

スイカズラの花の咲く頃、自己肯定感とは?

2022年05月18日 | エッセイ
コロナ3年5月17日(ウクライナ侵攻元年)
 スイカズラの花の咲く季節になりました。かすかな甘い香りがとても心地よく感じます。
 野山を散策してますと、今、あちこちにこの花が見られて豊かな自然に囲まれている幸せを感じます。
 自然はなぜこうも懐が深いのでしょう。観ていると何故か自己が消え失せ自然の一員になってしまいます。いつのまにか自我がどこかに消えてしまっています。
 まさに自然の一員になった喜びの瞬間です。こうして人は自然の中に埋没していきます。そして、永遠の生命を得るのです。
 私は墓碑に感謝と畏敬の念を刻むと決めました。こうして、いつか、永遠の生命の世界に旅立ちます。
 オギャーと生まれ、訳あって、この世に誕生した自らの分け前である自分も百年有余の生を全うしたのち、やがて、その生はいつしか誰でも平等にその生を消滅させる時期を迎えます。
 しかし、そこに宿った心は永遠です。宇宙というとてつもなく広い空間で永遠に存在します。形も質量もなくただ心という意識というか魂だけがあるのです。
 だから、どれだけいても混み合うこともありません。全てが満たされたそれはそれは浄土の世界です。幸せに満たされた世界です。天国といっても良いでしょう。
 人の住む世界では時は流れ、諸行は無常となり形あるものはいつしか無を迎えます。
 しかし、浄土の世界はこの時の流れから解放され永遠に続く世界です。永遠に続くのですから、時の流れはあったとしても、無きに等しいのです。永遠にどこまでも続いてゆくのですから。
 私はこれを宇宙の生命と呼んでいます。宇宙の生命から数えればたかが人生百年なんて、ほんの一瞬です。また、だから、その一瞬がまた尊いのです。
 宇宙の生命により誰もがこの世に生を受け生かされているのです。この生かされている訳を見つけるのが人生なんです。それが自らの分け前である自分なんです。
 この大いなる意志が神であり、だから、みんな神の子です。その裏に畏敬があるのです。大いなる意志のもと、小なる意志である自分が存じているのです。
 だから、誰もが尊いのです。だから誰にも自尊心があるのです。それが自己肯定感に繋がっていくのです。
 私にとって人生とは、その大いなる意志を見つける過程そのものなんです。







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なぜ、私の心は他人になれないの?

2022年05月05日 | エッセイ
 今、なぜ、自分の心は他人になれないのかと想っています。永遠の課題です。だから、自分は自らの分け前なのかな。やがて、鬼籍に入ることになる自分は永遠の自分だろうな。どごまでいっても…。
 他人がとって変わることのできない、唯一世界で一つの素敵なもの、それが自分であり、だから、その命を慈しみ懸命に生きて来た。
 そんな事をふと、想い出している今の私がここにいます。
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後期高齢者に突入しました//これからは健康寿命こそ大切

2022年05月03日 | エッセイ
コロナ3年5月1日(ウクライナ元年)
 ついに私も4月3日に75歳を迎えてしまい、後期高齢者として、最終段階の世代に入ってしまいました。元来私は年齢や性別などはあまり意識しないで生きて来たつもりですが、この年代だけはついに来たかという感じで重く受け止めています。
 というのも、年齢を忘れて過ごしていましたが、体力の衰えは日増しにわが身に降りかかって来ています。いやが上にも75歳というこの年を考えてしまいます。
 さて、私が注目している「健康寿命」ですが、厚生労働省が、3年ごとに全国のおよそ20万世帯を抽出して調査し、推計値を公表しています。それによりますと、健康寿命は、おととしの時点で、女性が75.38歳、男性が72.68歳で、前回3年前に比べて、女性が0.59歳、男性が0.54歳延びました。(2021年12月時点)
 という事は、私としては一応健康寿命は超えて来ているようです。大事はことは、これからの健康寿命がどれほどあるかという事です。ちょっと、調べてみましたら、75歳の健康余命は82.96歳で寿命は87.41歳のようです。という事は今のままで順調にゆけば83歳ごろまでは健康で行けることになります。これからの生活の参考にしていきたいです。
 前から、この健康寿命統計の必要性を強く感じていましたが、やっと、最近厚労省もやっと重い腰を上げて来たようです。今後はこの流れが日本各地に広がってゆくといいと想っています。
 でも、まあ心だけは肉体と違い物質ではないので、気の持ちようで、衰えないのではという意識を持ってこれからも進んでいきたいと想っています。所業は無常であり、時の流れは万人に平等だなと想います。これには誰も逆らうことはできません。
 まあ、これからは平均寿命でなく、健康寿命を語る時代になりました。大いに議論しこの運動を続けていきましょう。
 

 
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