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結婚の条件について

2007年09月11日 | たばこをめぐる見聞記
◎ 昨夜(2002年3月3日)、テレビ朝日の日曜洋画劇場特別企画・稲垣吾郎ドラマ復帰第一作「結婚の条件」を見た。ストーリー的には決して面白いものではなかった。しかし、花嫁役の韓国人俳優がとてもかわいかったこと、さらにはチェジュ島の民家や海岸の景色、民族衣装による結婚式の様子、実際に結婚した家族や、これからしようとしている日韓のカップルへのインタビューなどが紹介され、私は「こんなにも近い国および人々のことを、ほとんど知らない自分」に対して新鮮な驚きを感じた。

◎ そして、JTと韓国たばこ人参公社との共同開発による「シーズンズ」というたばこが、本日から地域限定で発売された。キャッチコピーは、「軽快でスムーズな吸いやすさの中に、しっかりとしたたばこらしい味と煙量感をもつタール値2mg製品」である。1箱20本入りで260円、新しいモノ好きの知人が持っていたので1本吸わせてもらった。正直なところ、あまり美味しいとは思えなかったけれど、名前どおりにワールドカップ日韓共同開催の「季節」が過ぎたら、市場から消え去らないことを祈るのみである。

◎ ところで(2月27日の朝日新聞夕刊1面)、2000年度の厚生労働省の人口動態統計によれば、「国際結婚」が再び急増し、全国平均で22組に1組が国際結婚をしており(結婚件数79万8138中、外国人との結婚は3万6263件)、とくに東京では10組に1組を占めているそうだ。ドラマ「結婚の条件」は舞台が東京であり、上記統計の結果からすれば決して珍しいことではなくなっており、大阪市で12組に1組、さらに地方都市である山形県や山梨県でも14組に1組と、全国平均を大きく上回っているのだ。地方での増加の要因は、あっせん業者を抜きにしては語れず、山形のようにうまく機能している場合はうまく循環していくけれども、そうでない悲惨な事例も数多くみられた。日本人の夫、妻が外国人の組み合わせが8割を占め、それを国籍別でみると中国、フィリピン、韓国・朝鮮の順になっている。

◎ 内部からの国際化の進展について、私は「国際ベビー」の増加によって加速されるだろうと予測していたが、2000年度でも日本で生まれた赤ちゃん120万人のうち、2万2337人に達し、今後とも確実に増えていくことは間違いない。結婚は家と家とのつながりを強め、親戚や知人が増えていくことによって、地域的なつながりが芽生え、人的交流はもちろん、物資や資金の行き来が派生してくるものだ。やがて、文化的な相互理解も生まれるだろうし、平和的に共存していくための素地が形成されることにもなるのだ。これらの静かな動きは、現に都市部における老舗が生き残り、旨いお店が存続し、農村を活性化させており、その現実を積極的に評価すべき時期にあると思うのだ(困っていることなどに対して、支援できることはすべきなのである)。(2002 03/04)

※ その後、「シーズンズ」という日韓共同発売のたばこを目にしないので、季節限定商品と同様に、1年もしないうちに市場から消えたものと思われる。(2007/09/11)
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パートタイマーのサービス対応

2007年09月10日 | ここで一服・水元正介
◎ 先日(2002年4月)、駅構内にあるコンビニでたばこを買おうとしていたら、レジで何やらもめていた。中老のおじさんが、「150円でしょう、どこでもこれは」とリポビタンDを握っている。どうやら、店員がバーコードでの価格チェックではなく、手入力によるミスをしたらしいのだが、それを認めずに「じゃあ、ほかの店で買って下さい」とアッサリしたものである。そのおじさんは、学生アルバイトの店員に従い、リポビタンDを棚に返してコンビニを出ていった。

◎ さて、私はマイルドセブン・スーパーライト2個セットを買った。店員は、たばこのショーケースから1個を取り出し、バーコードで価格をチェックし、「250円です」と言った。「掛ける2」をレジに打ち込んでいないのだ。さすが、そばにいた年輩の女性が「いや、500円です」と、すばやく対応してくれたけれど、パートとして採用後の研修をしていないのかも知れない。

◎ 自宅近くのコンビニでは、往復宅急便など、一般的な様式とはちょっと違うものになると、対応できない場合がある。私は事前に、往復宅急便の用紙を入手しておくけれど、その日は荷物を持ち込み手続きをしようとしたら、往復宅急便と言うと、パート社員の二人は嫌な顔をした。しばらく用紙を探し、「これです」と言うが、明らかに様式が違うと指摘したら、「これ以外にはありません」と切り返してきたので、違うコンビニにしたのである。

◎ その後、コンビニで顔を合わせても、彼らは謝罪をするとか、疑問を解明したなど、というフォローがないのだ。困ったものだ。サービス業において、お客様と直に接する人たちを安価なパートタイマーに依存することは、果たして良いことなのだろうか、と心配になってしまったのである。(2002 02/04)
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新幹線は徐々に風俗化していくのだろうか?

2007年09月09日 | ここで一服・水元正介
 昨日(2002年2月8日)、喫煙席の一番前の座席に座っていたら、目の前の広告に目が行った。東北新幹線では、「トレインマッサージ」というサービスを始めたらしい。なかなか目のつけ所がいい、ではないかと感心してしまった。ただし、10号車で受付してから、9号車のマッサージルームで移動し、上着を脱ぎ、ベッドに横たわるまでに要する時間等を考慮すれば、宇都宮・東京間程度(「なすの」号)であれば、マッサージを受ける時間が不足してしまうので、当面は往復6本の「やまびこ」に限定している。ちなみに、マッサージのサービスをする「やまびこ」は、205号、39号、43号、206号、50号、52号である。

 今やマッサージといえば、隠微で卑猥な響きを持つようになり、風俗産業化の傾向を強めているけれど、まさか新幹線では「ファッション・マッサージ」的なことはしないだろうが、お客によっては「抜き有り?」などと質問してしまうことも想定される。とくに、マッサージ士(師)が「嬢」であったりすると、なおさらである。それは冗談として、新幹線車中において、本格的な「韓国マッサージ」や「アロマテラピー」があっても良いと思う。少なからずニーズはあるだろう。しかし、個人的な意見としては、そんなことよりも東京発・東北新幹線の最終を23時過ぎに1本増やして欲しいのだ。とくに金曜日あたりに増発してくれると、ゆっくりと飲めるのになあ、と思うのだ。(2002 02/09)

※ その後、上記の情報については目にしていないし、私自身が長い区間の新幹線は利用していないので、今もサービスとして続いているのかは定かでない。しかし、JR東日本はこんなサービスをするよりも、JR東海さんのように「一部喫煙車両の存続」や「デッキ部分への喫煙コーナー設置」など、喫煙する乗客のための、たばこの吸える空間を復活して欲しいものだ。(2007/09/09)
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悪者扱いされている「たばこ」の影で

2007年09月08日 | たばこの気持ち
◎ 数年前(1995年以降)から、JR在来線や新幹線の喫煙場所で、美味そうにたばこを吸う女性を見かけることが多くなった。はじめは、「男と同じような感じで一服しているなあ」と感じたけれど、それは多分、彼女たちが従事している「仕事」との関係が大きいのだろうと思うようになってきた。

◎ 世間では、単にストレスと位置づけているが、それだけ女性が多種・多様なプレッシャーを伴う仕事につくようになってきた証左であろう。女性が仕事中の喫煙することは、現在はもちろん、以前から社会的な規制が強く働いていた。移動途中の駅の喫煙場所での一服、昼食時にたばこの吸えるお店をさがし、気安く一服するという限られた場所で、たばこを吸いながら気分転換をはかっている女性たちは多いのだ。

◎ 責任が重く、多忙な業務であればなおさらのことだ。朝日新聞(2002.2.25)の禁煙というコラムに、日本看護協会(会員約42万人)の禁煙に向けたとりくみが紹介されていた。協会は来月15日、全都道府県の担当者を集めて、初のたばこ対策推進会議を開き、「今すぐ(1か月以内)に禁煙したい」という1割強の層を手始めに、禁煙への誘導をはかり、禁煙する人を支えるカウンセリングなどの「禁煙支援プログラム」を立ち上げ、ポスターやチラシで参加を呼びかけるそうだ。

◎ さらに、8月からは職場の「禁煙支援リーダー」を育てる研修制度もスタートさせ、「仕事のハードさも一因ではあるけれど、看護学生時代に吸い始めてそのまま習慣に、というケースが多い。国民の健康を守る専門職としての自覚が必要です。自分たちの職場風土を変えていかなくては」という同協会・小野光子常任理事の決意を記載していた。

◎ たばこは嗜好品であるから、当然にも個人的な相性が大きく、それを一律に統計上の数字として扱うことには問題があり、無理やり禁煙させることによって、効率性や安全性を低下させるような愚行はやめてもらいたい。

◎ 喫煙プログラムのとりくみ以前に、もっと優先順位の高いテーマがあるはずだし、結果的にそれを見えなくさせてしまうことにつながることが心配だ。私の極論ではあるけれど、「たばこは発ガン性が高く、万病のもと、世界で多くの人命を奪っている」というような報道が、一方では、成人に育つ前に飢餓や病気等で死亡する子どもたちを救う対策を遅延させている、とは言えないだろうか。(2002 01/28)
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テレビ放映で見たかった本日の巨人・阪神戦

2007年09月07日 | ここで一服・水元正介
※ 本当は、過去記事の再掲載をするつもりだったが、本日はそれどころの騒ぎではない(過去記事は後掲のとおり)。球史に残るような壮絶な試合だった(ようだ)。残念ながら、日本テレビのプロ野球中継が午後9時前に終了してしまい、ヤフーのプロ野球速報でしかたどれなかったけれど、9対8という一番面白いスコアで阪神タイガースが逆転勝利を飾ったのである。とくに、次のホームランの記録だけを見たら、巨人の圧勝なのだが2ラン1本、ソロ6本で8点という効率の悪さだった。

[ 阪神 ] 桧山 3号 9回ソロ
[ 巨人 ] 高橋由 31号 1回ソロ、李 24号 2回ソロ、ホリンズ 12号 2回ソロ、李 25号 4回ソロ、高橋由 32号 5回2ラン、李 26号 8回ソロ、二岡 18号 8回ソロ

こんな素晴らしく、奇跡的な試合をしてしまう今年の阪神タイガースの優勝確率は100%に近く、おそらく日本シリーズも乗り切って、日本一になるに違いない、と信じたいのである。(2007/09/07)


【17年前の阪神タイガース優勝記念たばこ】

◎ 最近(2002年)、テレビのスポーツニュースを見ていると、阪神タイガースに関するものが多い。例年、春先までと言われているけれど、今年は何か違っているような気がする(多分、ファンとしての思い入れや勘違いかなの知れないけれど…)。長嶋一茂扮するタイガースの覆面投手が活躍する「ミスター・ルーキー」という邦画も公開されるそうだ。NTVの「波瀾万丈」には、元巨人投手であった槇原氏が登場し、「甲子園でのバックスクリーン3連発のシーン」やその裏話(当時の王監督が鬼の形相で、交代を告げられた槇原氏は阪神ベンチに帰るしかないと思ったらしい)がとても面白かった。

◎ 今年の阪神タイガースは大幅に戦力が整ってきており、とくにストライクゾーンの見直しによって、昨年以上に投手陣の活躍が期待され、長年続いた貧打も若手の成長と確実性のある片岡選手の加入で厚みが増した。坪井選手、今岡選手などの復調も著しく、選手間のレギュラー争いが激化するなどが重なり、現在のオープン戦の成績がダントツ1位なのであり、例年のような一過性の「戦力」ではないのだ。

◎ というわけで、阪神タイガースが日本一になってから、気の遠くなるような17年が過ぎてしまったけれど、私は今でも優勝記念たばこを1箱だけ保管してある。とっくに吸える状態ではないので、そろそろ作りたての美味しい阪神タイガース優勝記念たばこを口にしてみたいものだ。(2002 03/18)
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相沢会長の「たばこ増税やむなし」の言い分について

2007年09月07日 | たばこ弁護の諸説紹介
◎ 昨日(2001年12月2日)の朝、フジテレビの「報道2001」を見たのだが、相沢自民党税制調査会会長の言い分には多いに違和感があった。自分は、以前1日120本のたばこを吸っていたが、健康上の理由もあって禁煙した。肺がん発生率でも明らかなように、さらには世界的な動向、EU内におけるたばこ税の水準からしても、たばこへの増税は国として許される選択肢である、という趣旨のことを述べていた。

◎ 彼は、政治家特有のつやつやした表情であり、まさに健康に気をつかい、これからもまだまだ活躍しそうな雰囲気であった。「しかし、待てよ?」と、私は次のように思った。

(1)82歳にもなったら、1日にたばこを120本も吸うには無理がある。1日に6箱も吸えるようなサラリーマンはいないぞ。1か月に換算(250円×6箱× 30日)したら、4万5千円ではないか。それだけ、自分の小遣いからたばこ代を負担できたこと事態が、政治家の非常識だろう。

(2)健康上の理由から禁煙したからといって、人にもそれを強要するような主張はいかがなものか。単に年老いてきたから、たばこがまずく感じるようになっただけでしょう。

(3)民間企業ではリストラが横行し、定年(年金支給時期)を迎えられずに、職場を去らざるを得ない人たちがたくさんいるのだ。相沢さん、あなたはそんな人たちの数人分以上の国費支給を受け、それほどの能力がある政治家なのですか。

(4)健康管理にもお金をかけているのでしょうね。ゴルフもうまいのでしょうね。いいものを身につけ、うまいものを食べ、禁煙もして、さぞ長生きすることでしょうが、もう少し、世間の常識で物を言ってもらいたい。あなたが、今の地位にあること自体、後継者を育成してこなかった厳然たる証拠なのですよ。

(5)ハンバーガー2つを昼食代わりしても、たばこを吸っているサラリーマンもいるし、たばこを減らし、あるいは無理に禁煙しながら、ストレスに耐えて仕事をしている人だっているのです。衣服、外食、日常雑貨、さらには住宅までも低価格がすすんでいる中で、たばこと発泡酒だけを狙い撃ちにするのは、まさに政治家の無能をさらけ出すだけだ。たばこと発泡酒の増税によって、いったい誰がどのような得をするのかを冷静に考えてもらいたいものだ。

◎ 私の父は、相沢さんより2歳若い。酒豪であったけれども、7~8年前から酒をやめ、1日1箱のマイルドセブン・スーパーライトを楽しみしているのだ。それなのに…。うーん、今回は久しぶりに、ついつい怒ってしまったようだ。(2001 12/03)
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刻たばこ、葉巻、紙巻きたばこが混在した時代

2007年09月06日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◎ 今回も「荷風随筆集(下)」の中のたばこをとりあげてみたいが(最終章)、煙管とともに刻たばこは長く日本社会や文化に定着していた。それが、明治以降になると、舶来の葉巻や国内外の紙巻きたばこが流通するようになり、結局は紙巻きたばこの隆盛を迎え現在に至っている。

◎ 前々回に引用したけれども、折檻といえば西洋では鞭(ムチ)に代表され、日本では煙管(キセル)であったことなどは、決して忘れてはいけないことだろうし、まさに文化の違いを説明するには最適な事例だと思う。以下の引用は、長煙管で灰吹きの筒を叩くの音が消えていく、葉巻が上流・中産階級と共に表れてくる、手軽な紙巻きたばこは足早に進もうとする時代を予見していることなどが、巧みな荷風氏の文体に織り込まれており、今読んでも新鮮この上ないのだ。

(156ページ)
当時(明治16、7年)ロッチが見た日本の風景と生活にして今はすでに湮滅(いんめつ)して跡を留めざるものも少なくない。ロッチの著作はわたしが幼年のころに見覚えた過去の時代の懐かしき記念である。長煙管で灰吹きの筒を叩く音、団扇で蚊を追う響き、木の橋をわたる下駄の音、これらの物音はわれわれが子供の時日々耳にきき馴れたもので、そして今は永遠に返り来ることなく、日本の国土から消え去ってしまったものである。

(178ページ)
われは舶来の葡萄酒と葉巻のはなはだ高価なるを知ると共に、蓄音機のワグネルと写真版のゴオガンのみにては、到底西洋の新芸術を論ずる事能わざるに心付きぬ。

(228ページ)
更に近所の煙草屋で内々にきいて見れば、宇都宮とやら高崎とやらにて半玉に出ていたりしが、その後のわけは知らず去年帰ってきたこの土地から出たとの事。

(232ページ)
お力を呼ばれたるは中肉の背恰好すらりっとして洗ひ髪の大嶋田に新わらのさわやかさ、頸元(えりもと)ばかりの白粉も栄なく見ゆる天然の色白をこれみよがしに乳のあたりまで胸くつろげて、煙草すぱすぱ長煙管に立て膝の無作法さも咎める人のなきことよけれ。

(262ページ)
その間、抽斗(ひきだし)の草稿は一枚二枚と剥ぎ裂かれて、煙管のヤニを拭う紙縒(こより)になったり、ランプの油壺やホヤを拭う反古紙になったりして、百枚ほどの草稿は今すでに幾枚をも余さなくなった。(270ページ)築地本願寺畔の僑居に稿を起こしたわたしの長編小説はかくのごとくして、ついに煙管のヤニを拭う反古となるより外、何の用もなさぬものとなった。

(273ページ)
(余が父は)役所より帰宅の後は洋服の上衣を脱ぎ海老茶色のスモーキングヂャケットに着換へ、英国風の大きなるパイプをくわえて読書してをられた。

(276ページ)
しかるに我が国当世のさまを見るに、新聞記者の輩(やから)は例の立ち襟の白服にて人の家に来たり口に煙草をくわえ肱を張ってパタパタ扇子を使ふが、中には胸のボタンをはずし肌着のメリヤスのシャツを見せながら平然として話し込むものも珍しからず。(2001 12/18)
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パイレート、煙草盆、岩谷天狗など

2007年09月06日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
※ 前回に引き続き、「荷風随筆集(下)」の中のたばこ(その2)であるが、煙草屋は街の情報センターであったし、灰皿は煙草盆という日本的なセット形式で身近にあった。銀座通りの記述は、煙草店で働く女店員たちの歓声が聞こえてくるようだし、森鴎外、広津柳浪、福地桜痴にはたばこが似合っていた。
今も昔も文筆業などのクリエーターにとって、たばこは仕事の区切りに欠かせないツールであるようだ。以下の抜粋をとくとお読みいただけば、たばこは健康問題のみで語ってはならないことがわかっていただける、と私は考えているのだ。

(62ページ)
口にくわえた巻煙草のパイレートに火をつけることも忘れていたが、ややあって、「お願いだからもうもうすこし貸してくれ。」
「この次、きっと入れ合わせをするよ。」とわたしともども(質屋に)嘆願した。……
万源の向側なる芸者新道の曲がり角に煙草屋がある。主人は近辺の差配で金も貸しているという。わたしの家をよく知っているから、5円や拾円貸さないことはあるまい。

(67ページ)
突然耳元近く女の声がしたので、その方を見ると、長命寺の門前にある掛茶屋のおかみさんが軒下の床几に置いた煙草盆などを片づけているのである。土間があって、家の内の座敷にはもうランプがついている。

(81ページ)
一幕二幕演じをはりてやがて再び幕となりし時、わが傍らにありける某子突然わが袖をひき隣れる桟敷に葉巻くゆらせし髭ある人を指してあれこそ森(鴎外)先生なれ、いで紹介すべしとて、わが驚きうろたえるを構わずわれを引き行きぬ。われ森先生の謦咳(けいがい)に接せしはこの時をもって始めとす。

(83ページ)
日比谷には公園いまだ成らず銀座通りには鉄道馬車の往復(ゆきき)せし頃、尾張町の四つ角今ライオン珈琲店ある辺りには朝野新聞中央新聞毎日新聞などありけり。やまと新聞社は銀座1丁目の横町いま見る建物なりしかば、表通り岩谷天狗の煙草店に雇われたる妙齢の女店員いつもこの横町に集まりて緋の蹴出しあらわにして、しきりに自転車の稽古するさま折々目の保養となりしも、すでに過ぎし世のこととぞ知る。

(90ページ)
(広津柳浪先生に弟子入り志願したとき)…どうも今の人(実は先生の兄)が柳浪先生らしき気がしてならぬ故そっと建仁寺垣の破れ目より庭越しに内の様子をうかがえば、残暑なほ去りやらぬ9月の夕暮れとて障子みな明け放ちし、座敷の縁先、かの髭ある人は煙草盆引き寄せ、悠々として煙草のみつつ夕風さそふ庭打ち眺めつ。

(96ページ)
福地桜痴先生は風呂より上がりし所と見えて平袖中型牡丹の浴衣に縮緬(ちりめん)の兵児帯を前にて結び大なる革蒲団の上に座し銀のべの煙管にて煙草のみてをられけり。

(98ページ)
着到の太鼓打ち込みてより1日の興業済むまでは厳冬も羽織を着ず部屋にても巻煙草を遠慮し、作者部屋ね座元もしくは来客の方々身ゆれば丁寧に茶を汲みて出しその草履を揃えまた立て作者出頭の折りはその羽織をたたみ食事の給仕をなし終始つき添い働くなり。

(137ページ)
『矢筈草』いよいよこれより本題に入らざるべからざる所となりぬ。しかるに作者にわかに惑うて思案投首煙管くわえて腕こまねくなり。(2001 12/13)
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「荷風随筆集(下)」の中のたばこ

2007年09月06日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
※ 岩波文庫「荷風随筆集(下)」は、同書の上巻に比べて圧倒的にたばこ(葉巻)に関する記述が多い。そこで、何度かに分けて紹介していきたいが、抜き書きをしながら痛感することは、永井荷風さんの文章に潜む「品格」であった。

(11ページ)
少なくとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。しかし彼らはこの寒さと薄暗きにも恨むことなく反抗することなく、手錠をはめられ版木を取り壊すお上の御成敗を甘受していたのだと思うと、時代の思想はいつになっても、昔に代わらぬ今の世の中、先生は形ばかり西洋模倣の倶楽部やカフェーの暖炉のほとりに葉巻をくゆらし、新時代の人々と舶来の火酒(ウィスキー)を傾けつつ、恐れ多くも天下の御政事を云々したとて何になろう。われわれ日本の芸術家の先天的に定められた運命は、やはりこうした置炬燵の肱枕(ひじまくら)より外はないような心持になるのである。

(12ページ)
江戸音曲の江戸音曲たる所以は時勢のために見る影もなく踏みにじられて行く所にある。時勢と共に進歩して行く事の出来ない所にある。しかもひと思いに潔く殺され滅されてしまうのではなく、新時代の色々な野心家の汚らしい手にいじくり廻されて、さんざん慰まれ辱められた挙げ句、なぶり殺しにされてしまう痛ましい運命。それから生じる無限の哀傷が、すなわち江戸音曲の真生命である。少なくてもそれは20世紀の今日洋服を着て葉巻を吸いながら聞くわれわれの心に響くべき三味線の呟(つぶや)きである。

(13ページ)
追っ手に捕まって元の曲輪(くるわ)へ送り戻されれば、煙管(キセル)の折檻に、またしも毎夜の憂きつとめ。

(19~20ページ)
先生はのそのそ置炬燵から次の間へ這い出して有り合う長煙管で2、3服煙草を吸いつつ、余念もなくお妾の化粧する様子を眺めた。

(21ページ)
下町の女の立ち居振る舞いには、あえて化粧の時の姿に限らない。春雨の格子戸に渋蛇の目開きかける様子といい、長火鉢の向こうに長煙管取り上げる手付きといい、物思う夕まぐれ襟に埋めるおとがいといい、さてはただ風に吹かれる鬢の毛の一筋、そら解け帯の端にさえ、いうばかりなき風情が生ずる。

(26ページ)
長火鉢の傍にしょんぼりと座って汚れた壁の上にその影を映させつつ、物静かに男の着物を縫っている時、あるいはまた夜の寝床にまず男を寝かした後、その身は静かに男の羽織着物をたたんで角帯をその上に載せ、枕頭(まくらもと)の煙草盆の火をしらべ、行燈(あんどん)の燈心を少しく引込め、引き廻した屏風の端を引き直してから、初めて片膝を蒲団の上に載せるように枕頭に座って、まず一服した後の煙管を男に出してやる……そういう時々先生はお妾に対して口には出さない無限の哀傷と感謝を覚えるのである。

(34ページ)
公衆のために設けられた料理屋の座敷に上がっては、掛け物と称する絵画と置物と称する彫刻品を置いた床の間に、泥だらけの外套を投げ出し、掃き清めたる小庭に巻煙草の吸殻を捨て、畳の上に焼け焦がしをなし、火鉢の灰にタンをはくなぞ、一挙一動いささかも居室、家具、食器、庭園等の美術に対して、尊敬の意も愛惜の念も何もない。(2001 12/12)
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シンガポールの医療制度について

2007年09月05日 | たばこをめぐる見聞記
◎ どうやらシンガポールの医療制度は、日本などに比べて数段すぐれているものらしい。リー・クワンユー元首相が、欧米諸国の健康保険制度を勉強し、破綻の要因を「自己責任の希薄化」と断定した上で、シンガポールの「セイブセーフ」と呼ばれる積立制度を導入したという。
私が驚いたのは8割を占める公立病院の健全な経営であり、それと共存する私立病院の高度・高級医療の充実ぶりであった。国として、国民(患者)への説明もすこぶる合理的であり、親の積立が余れば子に引継ぎ、なくなれば子や親戚が負担する。それも無理な場合に限って、患者の医療費を国が負担するという仕組みであり、簡潔なおかつ説得力がある。

◎ 高度・高級医療を担う私立病院のターゲットは、けっして国内だけではなく、近隣諸国の富裕層が数多く訪れる。ホテルなみの受付を設け、そこでは患者を「お客様」と呼んでいる。公立病院の料金は、患者の負担能力や意向によって、A~Cにクラス分けされている。Aクラスを選択すれば、医療費は全額個人負担であるが、自分が診てもらいたい医師を選択できる。
医療制度については大変参考になったけれど、たばこに関しては「ちょっと待ってよ!」と感じたのである。喫煙教育はもちろん、喫煙場所の規制を徹底させた結果、現在の喫煙者率は15%に減少したというけれど、この点については余り学びたくないと思うのだ。(Tuesday.25.September.2001)
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