goo

慶応大学の旧図書館裏にて----

2016年03月28日 | O60→70(オーバー70歳)
▼慶応大学東門を抜け、まっすぐの階段を上り旧図書館手前を左に入ると、春日神社裏側の高台に出ます。
▼そこには、小山内薫さんの銅像があり、手前左に佐藤春夫さんの歌碑、右手前には久保田万太郎さんの記念碑が建っています。
▼久保田万太郎さんの碑の裏に、「三田に学び、永井荷風、小山内薫を師とした」と書かれていました。
▼なお、すぐに退学してしまいましたが、金子光晴さんも慶應義塾に在学していました。
▼3月8日、沈丁花と桜の香りが春風に漂っていました。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

抜き書き帳『永井荷風』(その17)

2016年03月28日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
『濹東綺譚』⑥

【416ページ】
「言文一致でも鴎外先生のものだけは、朗吟する事ができますね。」帚葉翁(そうようおう)は眼鏡をはずし両眼を閉じて、伊沢蘭軒が伝の末節を唱えた。「わたくしは学殖なきを憂うる。常識なきを憂えない。天下は常識に富める人の大きに堪えない

【422ページ】
(帚葉翁)「----この現象には現代固有の特徴があります。それは個人めいめいに、他人よりも自分のほうが優れていると言う事を人にも思わせ、また自分でもそう信じたいと思っている―――その心持です。優越を感じたいと思っている慾望です。明治時代に成長したわたくしにはこの心持がない。あったところで非常にすくないのです。これが大正時代に成長した現代人と、われわれとの違うところですよ。」

[ken]私にとっての「常識」は、小林秀雄さんの説を常に思い描いているのですが、本節にある伊沢蘭軒の「学殖」についても勉強したいですね。また、優越への慾望は根深いですが、本節の比較検証は面白いと考えさせられました。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

スヌーピーミュージアムができる!

2016年03月27日 | たばこの気持ち
▼昨日、田町駅西口から2度目のちいバスに乗りました。鳥居坂下で下車し、急勾配の坂を上り、右手に東洋英和女学院、左手後方に六本木ヒルズを見ながら、目的の麻布区民センターに向かいました。
▼そしたら、変わった建物の工事中のエリアがあって、掲示板には「スヌーピーミュージアム」とありました。また、新たなアミューズメントエリアができるのですね。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

抜き書き帳『永井荷風』(その16)

2016年03月27日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
『濹東綺譚』⑤

【398ページ】
翁は坐中の談話がたまたまその地の事に及べば、まず傍人より万年筆を借り、バットの箱の中身を抜き出し、その裏面に市中より迷宮に至る道路の地図を描き、ついで路地の出入口を記し、その分かれて那辺(なへん)に至りまた那辺に合するかを説明すること、掌(たなごころ)を指すがごとくであった。

【404ページ】
わたくしはちょうどその夕、銀座通を歩いていたので、この事(5.15事件)を報道する号外の中では読売新聞のものが最も早く、朝日新聞がこれについだことを目撃した。時候がよく、日曜日に当たっていたので、その夕銀座通はおびただしい人出であったが電信柱に貼付けられた号外を見ても群集はなんら特別の表情をその面上に現さぬばかりか、一語のこれについて談話をするものもなく、ただ露店の商人が休みもなく兵器の玩具に螺旋(ぜんまい)をかけ、水出しのピストルを乱射しているばかりであった。

[ken]たばこのパッケージにメモ書きをするのは、私もやっていました。しかし、最近はパッケージが光沢処理されたり、注意文言表示やニコチン・タール値が印字されたりしたことによって、白地のスペースも少なく、ボールペンでは書きにくくなりました。
それから5.15事件当日の記述は、歴史的資料としても貴重ですね。大事件なのに、群集の反応は「我関せず」の様子であったことがわかりました。そして、2.26事件を経て一気に軍国主義が進んで行くことになります。身近に召集令状が届く頃には、後戻りできない事態を招きました。平成28年の今、時代は当時とかなり似てきた着がするのは、私の取り越し苦労でしょうか。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ゴールデンバットが30円だった頃!

2016年03月27日 | たばこの気持ち
先日、私がFacebookに投稿した「その後、ゴールデンバットは値上がりし、現在は210円、それも今年の4月からは50円も大幅な値上げとなります。オルカさん、ちょっとかわいそうだね」という記事に、宮崎県日南市在住の友人からコメントがあり、次のようなやり取りをしました。

友人「我らの学生時代バットは30円だったよね。斉藤さん(現在、新潟県上越市在住)が吸っていましたねえ。」

俺「バットも30円でしたか。山手線、都営バスの初乗り運賃、立ち食いのかけそばも30円でした。懐かしいですね。」

友人「池袋でよく食べました。バットは新宿サブナードで買えたわあ。オイル・ショックの前までは、東京も住みやすかったねえ。」

俺「そうだよね~っ。俺はしなかったけどサブナードのお掃除バイト、それから俺もやった立ち食いの『そば扇』のバイトかな、究極の新宿だったよね~。」
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

金子光晴さんの力技について

2016年03月26日 | O60→70(オーバー70歳)
▼金子光晴さんの紀行文は、折り重なる修飾語が読む者のイメージをかき立てます。
▼幼い頃より漢籍に親しみ、絵画の腕前もたしかな「詩人」といえばそれまででしょうが、こんな真似はできないとお手上げになるほど、圧倒的な表現力で、試しに音読してみたら、その心地よさに感動を覚えました。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

抜き書き帳『永井荷風』(その15)

2016年03月26日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
『濹東綺譚』④

【364ページ】
朦朧(もうろう)円タクの運転手と同じようなこの風をしていれば、道の上と云わず電車の中といわずどこでも好きな処へ痰唾(たんつば)を吐けるし、煙草の吸殻、マッチの燃残り、紙屑、バナナの皮も捨てられる。

【379ページ】
----、お雪は別につまらないという風さえもせず、思出したように、むしゃむしゃ食べたり、煙草をのんだりしている。

【383ページ】
お雪は窓から立ち、茶の間に来て煙草に火をつけながら、思出したように、
「あなた。あした早く来てくれない。」と云った。
「早くって、夕方か。」

[ken]名を成した文豪としての堅苦しさ、行儀良さを払いのけ、「円タクの運転手」みたいな身なりを好んだ荷風さんの面目躍如たる文章です。時は流れ、今となっては街であれほど見かけた痰唾(たんつば)は消え、煙草の吸殻は「ポイ捨て禁止」の条例化によって急減し、マッチは日常生活から消えかかっています。
紙屑は変わらず見かけますが、路上に捨てられたバナナの皮は滅多に見なくなりました。ポイ捨ての自由はあると言えばあるのでしょうが、自らが「街の美化ボランティア活動」に参加して以降、ずいぶんと前から「路上や排水溝、植え込みなどに捨てるなら持ち帰る」ようになりました。
荷風さんの会話文はたまらなくいいですね。遊技、芸妓さんたちの様子を描く筆先には、荷風さんの優しさが滲んでおり、彼女たちが永井荷風さんの文化勲章受章を喜び、盛大なお祝いを催したことが伝説となっています。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

抜き書き帳『永井荷風』(その14)〈英訳付〉

2016年03月25日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
『濹東綺譚』③

【353ページ】
「もう十年わかけれァ--------。」わたくしは茶ぶ台の前に座って巻煙草に火をつけた。
「あなた。一体いくつなの。」

【360ページ】
わたくしは今、お雪さんが初めて逢った日の事を詠嘆的な調子で言出したのに対して、答うべき言葉を見つけかね、煙草の烟(けむり)の中にせめて顔だけでもかくしたい気がしてまたもや巻煙草を取出した。

【362ページ】
靴は穿(は)かず、古下駄も踵の方が台まで摺りへっているのを捜して穿く事。煙草は必ずバットに限る事、エトセトラエトセトラである。

[ken]小道具として以上に、荷風さんの煙草の使い方は絶品だと驚かされます。たばこの煙で、自分の表情をさとられまいとする心理が痛いほど分かります。そして、歩くに限ったことではないですが、履物は足になじんだものがいいですね。そういえば、太宰治さんも口付きたばこが流行してきた軟弱な風潮に激怒、口付きたばこを罵倒するとともに両切りたばこを絶賛し、本節と同じように「煙草はバットに限る」と書いていました。

"Bokuto Kitan" ③

[Page 353]
"It's been ten years --------." I sat down in front of the tea table and lit a cigarette.
"You. How old are you?"

[360 pages]
I was just talking about the day I first met Mr. O-Yuki in a lamentatory tone, but I couldn't find the words to reply, so I wrote at least my face in the smoke. I felt like I wanted to, so I took out the cigarette again.

[Page 362]
Do not wear shoes, and look for old clogs where the heel is rubbed down to the base. Cigarettes must be limited to bats, et cetera et cetera.

[ken] More than just a prop, Kafu's use of cigarettes is amazing. I can painfully understand the psychology of not being able to see your facial expressions in cigarette smoke. And, although it's not limited to walking, it's good to wear footwear that fits your feet. Come to think of it, Mr. Osamu Dazai was enraged at the weak trend of smoking with a mouthpiece, and while cursing the cigarette with a mouthpiece, he praised the double-cut tobacco, and wrote, as in this section, "Limited to cigarettes with a bat".




goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

続『その後のオルカ』〈英訳付〉

2016年03月25日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
▼今回の放送は、渋谷を引き払い、久しぶりに「ふるさとの北見」へ向かうオルカさんのドキュメントでした。
▼札幌ではさっぱりだった生業は、旭川で予想外の歓迎を受け、一晩で22,270円もの投げ銭を得ました。しかし、故郷佐呂間の手前の北見市内では、心ない若いグループに因縁をつけられ、警察署で「謝罪文」を書き釈放されました。
▼翌日、前年に父と離婚した母と再会し、初めて母に旭川で得た投げ銭のうちから、10,000円のお小遣いを渡しました。お母さんはとても感激していましたが、オルカは旅を止めようとせず北へ向かいました。
▼しかし、水虫が悪化したことにより、不安が増して「とにかく落ち着きたい」との想いから、札幌に戻りホームレス支援の施設に入居しました。初めは稼ぎの半分を収める約束でしたが、途中からお酒へと消えていきました。それを見かねた施設の責任者から、「俺は飲めればいいんだ、では困る。これでは、あなたのためにもならない」と、苦言があったこともあり、またホームレスに戻りました。
▼それから10年たち、オルカさんは3年前から札幌でワンルームのアパートに住んでいました。お母さんも亡くなっていましたが、オルカさんは合わせる顔がない、とお葬式はおろか線香もあげていませんでした。

This time's broadcast was a documentary about Mr. Orca, who left Shibuya and headed to "Furusato no Kitami" after a long absence.
His business, which had been light in Sapporo, received an unexpected welcome in Asahikawa, where he earned 22,270 yen in one night. However, in Kitami City, just before his hometown of Saroma, he was linked to a group of heartless young people, and he was released after writing an apology letter at the police station.
The next day, I reunited with his mother, who had divorced his father the previous year, and for the first time, I gave her mother 10,000 yen from the tip I got in Asahikawa.
His mother was very impressed, but Mr. Orca did not stop his journey and headed north.
However, as his athlete's foot worsened, his anxiety increased and he wanted to calm down, so he returned to Sapporo and entered a homeless support facility.
At first, he promised to put half of his earnings in the facility, but halfway through, it disappeared into alcohol.
The person in charge of the facility, who couldn't bear to see that, complained, "It's okay if I just drink. This won't help you."
Ten years later, Mr. Orca has been living in a one-room apartment in Sapporo for three years.
His mother had also passed away, but Mr. Orca didn't give him any incense, let alone a funeral, because he didn't have a face to meet.
▼約10年に及んだ取材を終えるにあって、オルカさんはいい表情をしていました。そして、現在も毎晩の合成酒を欠かさず、生業を続けています。フジテレビのこの番組は、いくら視聴率が良くないといっても、絶対に残って欲しい番組だと思います。

Mr. Orca had a good look at the end of the interview that lasted about 10 years.
And he continues to do his job today, drinking synthetic sake every night.
This program (The Non-Fiction) on Fuji TV is a program that I definitely want to stay, even if it doesn't have a good audience rating.





goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

四季折々の花を楽しむこと

2016年03月24日 | ここで一服・水元正介
▼本日のお昼休み、旧芝離宮恩賜庭園の年間パスポート(600円。1回大人150円)を作成し、さっそく入園してきました。喫煙所も2か所あるので、花見の一服、森林浴の一服もできます。
▼喫煙所も2か所あるので、花見の一服、森林浴の一服もできます。花と名前を一致させるため、たとえばヒュウガミズキ、ボケ、ムラサキシラン、サンシュユ、ユスラウメ、ハエトリナデシコ(ムシトリナデシコ)、ロベリア、松葉菊、オダマキソウ、ノウゼンカズラ、美人草、ゼニアオイ、グビジンソウ(ヒナゲシ)、蝦夷菊、ワスレナグサ、グロキシニア(イワタバコ科の常緑または宿根多年草。和名はオオイワギリソウ。鉢植えなど園芸植物として、温室栽培される)など、繰り返し通って四季折々の花を楽しみたいと思います。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )