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抜き書き帳『永井荷風』(その13)

2016年03月24日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
『濹東綺譚』②

【312~313ページ】
大分その辺を歩いた後、わたくしは郵便箱の立っている路地口の煙草屋で、煙草を買い、五円札の剰銭(つり)を待っていた時である。

【319ページ】
----わたくしの目にはどうやら明治年間の娼妓に見えた。女は衣紋を直しながらわたくしの側に座り、茶ぶ台の上からバットを取り、
「縁起だからご祝儀だけつけて下さいね。」と火をつけた一本を差出す。

【338ページ】
昭和4年の4月「文藝春秋」という雑誌は、世に「生存させておいてはならない」人間としてわたくしを攻撃した。

[ken]抜き書きの2つは煙草の出てくるシーンですが、昨今、「街角のたばこ屋さん」「たばこ屋のおばちゃん」は少なくなっています。自動販売機での売り上げに任せるお店が増え、その後「taspo」カードの導入によって、たばこを買う場所がコンビニエンスストアにシフトしたことにより、たばこ販売店、なかでも小さなたばこ屋さんは閉店が続いているようです。なお、バットは一番安いたばこ「ゴールデンバット」(210円)として、現在もお店に並んでいます。この4月から「旧3旧品の価格改定」が実施されますので、「ゴールデンバット」は50円値上げされ260円になります。
 それにしても、菊池寛さんが創刊された「文藝春秋」たるものが、永井荷風さんを「世に『生存させておいてはならない』人間」として攻撃した、という事実は初めて知りました。その経緯については、荷風氏は「僕等がカッフェーに出入することの漸く頻繁となるや、都下の新聞紙と雑誌とは筆を揃えて僕の行動を非難し始めた。僕の記憶する所では、新聞紙には、二六、国民、毎夕、中央、東京日日の諸紙毒筆を振うこと最甚しく、雑誌にはササメキと呼ぶもの、及び文芸春秋と称するもの抔などがあった。是等都下の新聞紙及び雑誌類の僕に対する攻撃の文によって、僕はいい年をしながらカッフェーに出入し給仕女に戯れて得々としているという事にされてしまった。」と書いています。
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歩け、歩けの昼休み!

2016年03月24日 | O60→70(オーバー70歳)
▼先日(2016.3.4)のお昼休みは、満開の桜の木の下でお弁当を広げ、学食のソフトクリームを手に、西門を左に折れ桜田通りへ出てから、横断歩道を渡って直進しました。
▼途中の道祖神、荻生徂徠のお墓にお参りし、魚卵坂下を上りながら、三味線づくり発祥の碑、魚藍観音の写真を撮って、交差点前を左折しキリスト教会前から聖坂の通りに出ました。
▼そして、三田台公園、亀塚公園を通り過ぎ、住友不動産三田ツインビル西館への裏道へ向かいました。
▼専用のエレベーターで一階に下りて、まっすぐ進みキリスト教徒受難の碑(元和キリシタン遺跡)で低頭し、左手に咲き始めたヒカンザクラを見ながら、第一京浜に出て職場に戻りました。
▼というわけで、その日もよく歩きました。
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ちっちゃないなり寿司!〈英訳付〉

2016年03月23日 | 気ままな横浜ライフ
▼昨日、今日は炊事当番なので、どうしようかいろいろと考えました。冷蔵庫の食材、今日買い足すべき物とかです。昨夜は、ササミ、厚揚げ、車麩、油揚げの煮物と野菜炒めにしました。

▼ Yesterday, I was on cooking duty today, so I thought a lot about what to do. The ingredients in the fridge, what I should buy today. Last night, I made fried chicken, thick fried tofu, fu and deep-fried tofu and fried vegetables.
▼味の染みた油揚げの角を歯で食いちぎり、ハムスター用のいなり寿司もどきを工作してみました。ハローキティの小皿に載せて、スマホで撮りました。その後、ハムスターは喜んで食べてくれました。今日は何にしようかな?

▼ I bit off a corner of the seasoned fried tofu with my teeth and crafted an inari sushi-like dish for my hamster. I put it on a small Hello Kitty plate and took pictures with my phone. The hamster then happily ate it. What shall I make today?



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高速グリーンのパッティング練習場!

2016年03月23日 | ここで一服・水元正介
▼横浜旭ファミリーゴルフには、無料のパッティング練習場があります。人工芝ではありますが、きちんと整備された高速グリーンは、待ち時間を有効に過ごせるので、とても重宝しています。とくに、グリーン上の微妙な傾斜に立ち、スタンスを確認しながら、肩や腕の力を抜き、狙ったラインに打ち出す練習が、とても楽しめます。
▼ゴルフって、パターの占める割合が大きいので、まめに練習すべきなのでしょうが、なかなか地味なので軽視されがちですね。もちろん、1階~3階まで喫煙室も設置され、たばこ好きの来場者にはありがたい限りです。
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抜き書き帳『永井荷風』(その12)〈英訳付〉

2016年03月23日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
『濹東綺譚』(昭和11年11月)①

【294ページ】
堀もつき橋もなくなると、人通りも共に途絶えてしまう。この辺で夜も割合おそくまで灯りをつけている家は古本屋と煙草を売る荒物屋ぐらいのものであろう。

【301ページ】
もし名前をきかれたら、自作の小説中にある女の名を言おうと思ったが、巡査は何も云わず、外套や背広のかくしを上から押さえ、
「これは何だ。」
「パイプに眼鏡。」

【304ページ】
「もう用はありませんか。」
「ない。」
「ご苦労さまでした。」
わたくしは巻煙草も金口のウエストミンスターにマッチの火をつけ、薫(かおり)だけでもかいでおけと云わぬばかり、烟(けむり)を交番の中へ吹き散らして足のおもむくまま言問橋の方へ歩いて行った。

[ken]301~304ページは、警察官から職務質問されている様子が描かれています。警察とたばことのつながりで言えば、私が19歳のとき、千葉県市川市の同級生を訪ね道がわからなかったので、駅前の交番に立ち寄ったあげく、胸ポケットのまだ2本ぐらいしか吸っていないハイライトをゴミ箱に捨てさせられたことがあります。「道順はわかりましたか。ところで君は絶対に未成年ですよね。今回、調書は取りませんし、親御さんにも連絡しませんが、ここのごみ箱へ捨てていきなさい。」と厳命されました。
「いや、私は二十歳を過ぎています。親の仕送りで買った物だから、捨てるのも嫌です。」「ならば身分証明書を見せなさい。」などの押し問答はありましたが、結局、警察官の言うとおりにハイライトの箱をギュッと押しつぶし、交番のごみ箱に捨ててきたのです。しゃくにさわる苦い記憶で、職務質問をされた後、交番内にたばこの煙を吹き散らした永井荷風さんの気持ちが理解できました。

(November, 1936) (1) "Bokutou Kitan" (November, 1936) (1)

[Page 294]
When the moat and the Tsuki-bashi bridge are gone, the street will be closed to pedestrians.
The only houses in this area that keep their lights on until late at night are secondhand bookstores and smoke shops.

[page 301]
If I was asked my name, I would have told him the name of the woman in my novel, but the policeman said nothing.
What's this?
"Pipe and glasses."

Pipe and glasses.
"Have you no more business here?"
No.
Thank you.
I lit a match for a gold-plated Westminster cigarette and, as if to say, "Just take a whiff of the smoke".

[In pages 301-304 of this report, a police officer is questioned about his duties.]

In terms of the connection between the police and cigarettes, when I was 19 years old, I visited a classmate in Ichikawa City, Chiba Prefecture, and did not know the way, so I stopped by the police box in front of the station to ask for directions.
I stopped at the police station in front of the station to ask for directions, but because I was underage, he made me throw away a hi-lite in my breast pocket, which I had only smoked about two cigarettes, into the trash.

I was told, "Did you get the directions? By the way, you are definitely underage, aren't you?
We won't take your statement this time, and we won't contact your parents, but just throw it in the trash here". 
He gave me strict orders.

"No, I am over 20 years old. I bought it with my parents' money, so I don't want to throw it away." 
Then show me your ID card. In the end, I did as the policeman told me, crushed the box of hi-lite and threw it in the trash at the police station.

It was a bitter memory that made me understand how Kafu Nagai felt when he blew cigarette smoke all over the police box after he was questioned.




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『その後のオルカ』を録画で見ました!〈英訳付〉

2016年03月22日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
▼2月28日のフジテレビ『ザ・ノンフィクション』は「その後のオルカ」でした。北見生まれのオルカは、目の障害がひどく自衛隊の受験にも失敗、そのあとも就業困難のため、二十歳から札幌を皮切りに全国を放浪し、渋谷の代々木公園で暮らすホームレスです。
▼放送では取材スタート時の振り返りがあり、当時、オルカの日常は渋谷路上でのパントマイム、上がりは一日平均1000円、まずは当時一つ130円のゴールデンバットを二箱、530円の紙パック合成酒(1升)、サバの味噌缶を肴に夜明けまで飲むのが至福の時でした。

On February 28, Fuji Television's "The Nonfiction" was "Orca Afterward.
Born in Kitami, Japan, Orca failed the Self-Defense Forces examination due to a severe eye disorder, and after that, due to difficulties in employment, he wandered around the country starting from Sapporo at the age of 20, living in Yoyogi Park in Shibuya, Tokyo, as a homeless person.

At the time, Orca's daily routine consisted of pantomime on the streets of Shibuya, with an average income of 1,000 yen per day. He enjoyed drinking until dawn with two boxes of Golden Bats, which cost 130 yen each at the time, a 530 yen bottle of synthetic sake, and canned mackerel miso.
▼その後、ゴールデンバットは値上がりし、現在は210円、それも今年の4月からは50円も大幅な値上げとなります。オルカさん、ちょっとかわいそうだね、今回の放送は、渋谷を引き払い、久しぶりに「ふるさとの北見」へ向かうオルカさんのドキュメントでした。

Since then, the price of Golden Bat has gone up, and is now 210 yen, and that too will be raised by a whopping 50 yen starting this April. Orca-san, I feel a little sorry for you. This broadcast was a document of Orca-san, who is pulling out of Shibuya and heading to "hometown Kitami" for the first time in a long time.
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抜き書き帳『永井荷風』(その11)

2016年03月22日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
『日和下駄』⑤

【277ページ】
近頃日和下駄を曳摺(ひきず)って散歩する中(うち)、私の目についた崖は芝二本榎なる高野山の裏手または伊皿子台から海を見るあたり一帯の崖である。二本榎高野山の向側なる上行寺は、其角の墓ある故に人の知る処である。

【280ページ】
芝伊皿子台上の汐見坂も、天然の地形と距離とのよろしきがために品川の御台場依然として昔の名所絵に見る通り道行く人の鼻先に浮かべる有様、これに因ってこれを観れば古来江戸名所に教えられる地点ことごとく名ばかりの名所でない事を証するに足りる。

[ken]本節の「高野山」は慶応大学東門と隣接したお寺で、昨年、地元の反対を押し切り「納骨堂」を建設しました。伊皿子台上の汐見坂には今も道標が建って、以前は海を眺める名所であったと記されています。たしかに高台ではあるのですが、今は海が見えず、私にとっては泉岳寺までの散歩コースの途中地点です。
これからの時節、陽が長くなるので永井荷風さんの歩いた坂、眺め見た崖の景色などを追想しながら、お昼休みと帰路の回り道を楽しみたいと思っています。「陽が長くなる」といえば、永井荷風さんの文章は句読点が極端に少なく、「読みやすいように、なるべく句読点を打つ」ことに心がけていた自分にとって、初めはとても読みづらく違和感を持ちましたが、あくまでも自分のつたない思い込みに過ぎないと納得しました。
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去年は栃木県民、今年は横浜市民!

2016年03月21日 | O60→70(オーバー70歳)
▼先月の2月11日は、29回目の入籍記念日でした。建国記念日なら絶対忘れないたろうと、神奈川県川崎市宮前区役所で手続きをしました。ちなみに、結婚式は翌月の3月5日、会場はすでにないですが都内の葵会館でしたね。
▼4年間、鷺沼の社宅で暮らしてから栃木県で23年、去年の春、神奈川県横浜市に越してきました。いろいろあった年月の流れも、今となっては「夢の如し」ですね。
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抜き書き帳『永井荷風』(その10)

2016年03月21日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
『日和下駄』④

【252~253ページ】
私達二人は三田通に沿う外囲いの溝の縁に立止まって----私達はやむをえず閑地の一角に恩賜財団済生会とやら云う札を下げた門口を見付けて、用事あり気にそこから構内(かまえうち)へ這入ってみた。

【270ページ】
「暑い時はこれに限る。一番涼しい。」と云いながら先生(森鴎外)は女中の持運ぶ(もちはこぶ)銀の皿を私の方に押し出して葉巻をすすめられた。先生は陸軍省の医務局長室で私に対談せられる時にもきまって葉巻をすすめられる。もし先生の生涯にいささかたりとも贅沢らしい事があるとすれば、それは葉巻だけであろう。

[ken]昨年末、突然襲った右わき腹の激痛に耐えられなくなり、タクシーで向かった先が芝の済生会東京中央病院でした。済生会は1911(明治44)年に「生活に困窮して医療を受けられない人々にも救いの手を差しのべるように」との明治天皇のお言葉(済生勅語)によって創設されています。2011(平成23)年5月30日には、創立記念日が明治神宮会館で天皇皇后両陛下ご臨席のもと、100周年記念式典が挙行されています。『日和下駄』が刊行されたのは大正4年4月ですから、すでに病院として開院していたのか、それとも開院準備をしていた時期であろうと推測されます。
 また、森鴎外さんの葉巻好きは知っていましたが、こうして永井荷風さんが書くと目前に情景が見えてくるようです。それにしても、「事を始めるのに理由はいらない」と言いますが、「暑い時はこれ(葉巻)に限る。一番涼しい。」とする森鴎外さんの言葉には驚きました。
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抜き書き帳『永井荷風』(その9)

2016年03月20日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
『日和下駄』③

【217ページ】
日本寺院の建築は山に河に村に都に、いかなる処においても、必ずその周囲の風景と樹木と、また空の色と調和して、ここに特色ある日本固有の風景美を組織している。

【223~224ページ】
----水は江戸時代より継続して今日においても東京の美観を保つ最も貴重なる要素となっている。陸路運輸の便を欠いていた江戸時代にあっては、天然の河流たる隅田川とこれに通ずる幾筋の運河とは、云うまでもなく江戸商業の生命であったが、それと共に都会の住民に対しては春秋四季の娯楽を与え、時に不朽の価値ある詩歌絵画をつくらしめた。

【234~235ページ】
麻布の古川は芝山内の裏手近くその名も赤羽川と名付けられるようになると、山内の樹木と五重塔の聳ゆる麓を巡って舟楫(しゅうしゅう)の便を与うるのみか、紅葉の頃は四条派の絵にあるような景色を見せる。王子の音無川も三河島の野を潤したその末は山谷堀となって同じく船を泛(う)かべる。

[ken]私は、東京大学の総長にもなられた蓮実重彦さんの著書の中に「風景は組織する」という言葉が見つけ、ずっと忘れられずに記憶していました。本節で、「----日本固有の風景美を組織している。」を目にしたとき、「なるほど蓮実さんはこの文章を参考にしたに違いない」と、自分勝手に納得した次第です。それほど、自分には「風景」と「組織」がまったく結びつかない言葉だったのです。
また、現在の東京には江戸時代の主たる流通経路であった運河の跡が数多く残っています。私の大好きな芝浦運河もその一つです。高度成長時代には、黒く油が浮かび異臭を放っていた東京の河川も、工業廃水・生活廃水・雨水の区分排水が実施され、水は透明度を増しすっかりきれいになりました。さらに川岸の美化工事や超高層マンションの建設ラッシュによって、野鳥が飛び交い、人びとが憩い集う川として復活をとげています。
ちなみに、本節に登場する古川は、私が月に2度ほど仕事で訪れる浜松町の金杉橋南を流れています。桜が散れば花びらが川面もピンクに染め、今でも船宿の老舗が営業を続け川岸には屋形船が浮んでいます。毎年、王子の音無川には飛鳥山の桜の時期に訪れます。今年も終業後に夜桜見物へ出かけようと楽しみにしています。
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