前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

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越之国 震災復興  33ヶ所観音霊場

2010年01月28日 | Weblog
福井市宮ノ下千寿会が作成した「越之国 震災復興  33ヶ所観音霊場」という冊子をいただいた。
冊子発行の経過を中垣会長が書いています。

「福井大震災より60年の節目の年に当たるので、当時の震災犠牲者の慰霊と復興を願っての33観音が安置されたときくが、この観音様を訪ねて、今改めて世に広く知らせることは、震災を忘れないためにも大いに意義があるのではないか」との意見からはじまったという。

編集委員長の久津見守雄氏は「この際判明した事は、10ヶ所の札所で、期日の違いはあっても厳粛に慰霊祭を行っておりましたがあとの大多数の地区では、観音様の存在すら知らず、まして慰霊祭は行っていない有様」「願はくは、各地域の霊場の見直しと慰霊祭の執行が行われますことを心から念じお願い申し上げ度く存じます」と書いています。1地区の老人会がご苦労を重ね、このような広域の調査をされて、成果をまとめられたことに敬意を表したいと思います。

観音名列をみると、あわら市、坂井市、永平寺町、福井市の各地に。私の近所でも、花月の福井大仏西山光照寺、足羽の瑞源寺、つくもの安穏寺、堀ノ宮の西藤島観音堂などにあり、このあたりも被害が大きかったのか、と胸がいたみます。実家のある旧坂井町にも上新庄の尊照寺にあります。実家も地震で潰れたことは、よく聞かされてきました。

ただ、昭和30年代に廃寺となった福井市牧ノ島の龍善寺にあった観音は不明だという。現在は、春山小学校のグランドとなり、福井震災記念碑が残されています。

ところで、これらの観音のいわれは、福井大空襲で焼け野原となったところに、東別院前の空き地に慈母観音像を建立したが、大震災で観音堂が焼けてしまった。ところが、中の観音様は損傷がなかった。そこで、大震災犠牲者の地域に観音の33分身を祀ることとなり、33札所が開かれた、と説明されています。

 大空襲と大震災に見舞われた先人たちが歯をくいしばって復興させた福井市。フェニックスといわれるゆえんです。
ふたたび戦火に見舞われないよう憲法9条を守りいかしていくこと。震災はいつくるとも限らず、そのために学校耐震などの予算を削る政治ではなく、住民の命と安全にこそ政治の光をあてるべきです。

そうしてこそ、観音にすがった人々の願いにこたえることになるのではないか、と冊子を読みながら考えました。