前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

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安藤巌元衆議院議員のこと

2010年03月16日 | Weblog
   昨日は、朝は山田かずおさんとの街頭宣伝、日中は諸会合、夜は地域訪問でした。ある酒店では「選挙終わった後も街頭であいさつされていましたね。応援してますよ」、電気屋さんでは「がんばってください」と3000円の募金をいただきました。ありがとうございます。


さて、日本共産党の愛知県の参議院選挙区予定候補のもとむらさんがHPで、先般亡くなった安藤巌元衆議院議員について書いています。

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・ ・・・・・3月13日、「世直し弁護士」で元衆議院議員の安藤いわおさんを偲ぶ会に参加させていただきました。
 
 安藤いわおさんは、1923年生まれで、八高入学後、学徒動員で大曽根の三菱航空機に狩り出され、空襲にもあいました。
 京都大学法学部に入り、学内の民主化や授業料値上げ反対の運動など取り組み、卒業後、中部日本新聞社(現 中日新聞)に入社。そこでも働く人たちの権利を守る労働運動に取り組みました。しかし、レッドパージによって職場を追放されたのです。言論弾圧・不当解雇は許せないとたたかいの先頭にたちました。そこで、自由法曹団の弁護士の先生方と会い、弁護士になることをすすめられました。1950年8月には、中部日本新聞社と直接交渉して「円満退職」を勝ち取りました。司法試験に何度か挑戦し1961年、弁護士開業。東海地区では初めての民衆のための良心的民主的な法律センターが誕生しました。労働事件をはじめ四日市公害裁判、名古屋新幹線公害裁判などの弁護団としても活躍しました。四日市公害裁判では勝訴しましたが、「四日市の空は変わっていない。先生に国政の舞台へ出てもらわねば」と公害患者の方に言われ、国政に挑戦することを決意。

 1976年、衆議院議員として初当選し、4期にわたって活躍しました。議員生活を終えた後も、人権を守るために名古屋南部法律事務所所長、日本国民救援会愛知県本部会長として奮闘しました。多くの仲間の皆さんに惜しまれながら、2009年11月11日、84歳で亡くなられました。・・・・・・・・・

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    わたしは、安藤さんが当選した翌年に名古屋の中京大学に入学した。
    党の演説会などでは必ず、6区の安藤さんと1区の田中美智子さんの元気いっぱいの国政報告を聞くのが楽しみで演説会にはよく参加していたものだ。
 演説会にお誘いする中で、少なくない学生が民青同盟や日本共産党に加わり社会進歩の事業の担い手となった。

安藤さんは民青同盟の大会にもよく挨拶にこられて、「未来は青年のものである」と訴えられたのを思い出す。ご冥福をお祈りしたい。きたる参院選で日本共産党が勝って、安藤さんの愛知の「後輩」である かわえ明美さんを国政におくりだし、働いていただくために頑張りたい。



   かわえ明美さんが3月21日に志位和夫委員長とともに訴えます。
ぜひおいでください。3月21日午後2時開会(1時半開場)、福井市文化会館大ホール(福井大仏前)です。