前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

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原発問題住民運動のみなさんとともに、福井県、日本原電、関西電力、原子力機構に申し入れました

2011年05月14日 | Weblog
昨日は、原発問題住民運動福井県連絡会、原発の安全性を求める嶺南連絡会のみなさんとともに、危険な原発推進政策の転換と自然エネルギーの開発・促進を求めて、県と日本原子力発電、日本原子力研究開発機構、関西電力の電力3事業者に申し入れました。

申し入れには、県連絡会の奥出春行、多田初江代表委員、林事務局長、嶺南連絡会の坪田嘉奈弥、遊津喜由代表委員らをはじめ、日本共産党からも私やかねもと書記長、山本貴美子敦賀市議、山川知一郎あわら市議が参加しました。


連絡会側は県内原発の直下や周辺に活断層がある問題も指摘し、高速増殖炉「もんじゅ」と老朽化原発の廃炉、新たな原発建設やプルサーマル運転の中止などを求めました。
県側は岩永幹夫原子力安全対策課長が応対し、「高経年化の影響が今回の(福島原発の)事故にあるか検証するよう国に求めている」などとのべるにとどまり、廃炉や運転中止を求める考えは示しませんでした。また、敦賀増設については、「国の審査が実態として中断している。先がみえない状況だ。高浜のプルサーマルについては、安全な運転を求めていく」などと答えました。

日本原電では敦賀地区本部の大森佳軌・業務・立地部長代理らが応対し、「福島事故は重大な事態。1、2号機については安全運転につとめる。3、4号機増設については、福島事故をうけた新しい知見にもとづくことになり、その状況をまつ」などと答えました。運転開始からすでに40年を経過している敦賀1号機について、「安全管理をしっかりして平成28年まで運転継続する」と、従来と変わらぬ方針を説明。奥出氏らは「活断層が間近にある。40年経過した原発を動かすのは非常識だ」としてただちに運転をとめるよう強く求めました。原子力機構は森将臣広報課長らが、関電は原吉平広報グループ課長らが応対しました。
  

  
関電では、津波によって滅んだといわれる「くるみ浦」も取り上げられました。・・・

関西電力HPより・・・・・・若狭湾にゴツゴツと細く突き出ている常神(つねかみ)半島―その中央を走る尾根の東側は美浜町、西側は若狭町です。若狭町側には、入り江ごとに集落がありますが、険しい断崖が連なる美浜町側には、人家がまったくありません。しかし、ただ一カ所、「くるみ浦」(久留見(くるみ)または久留美(くるび)とも)と呼ばれる場所には、かつて小さな村がありました。
 昭和30年発行の『西田(にしだ)村誌』には、「小川(おがわ)の裏の山を越した海岸を血の浦といい、そこには以前、クルビという村があったが、ある晩、村人が出漁中に大津波が押し寄せ、神社と寺と民家一軒だけを残して全滅した。その一軒の家は後に早瀬(はやせ)へ移住し、今は大阪にいるという。クルビ村がなくなったとき、日向(ひるが)は海、早瀬は山をもらい、小川はご本尊の延命地蔵菩薩(ぼさつ)をもらった(後略)」と記されています。
 くるみ村がいつ滅んだのかは不明ですが、若狭町気山(きやま)の宇波西(うわせ)神社に伝わる戦国時代(大永(たいえい)2年=1522)の文書(もんじょ)には、くるみ浦の名が氏子(うじこ)集落として出てきます。当時は、海運の中継地として栄えていたという説があります。また、江戸時代後期(天保(てんぽう)8年=1837)に、『早瀬浦の共有地である久留見』で、漁の合間に石灰(いしばい)になる石を掘り出したいと願い出た文書があることから、大津波の惨事は、戦国期から江戸後期の間の出来事とみられます。・・・・・・


    若狭にも巨大な地震・津波の「記録」「伝承」があります。
福島原発での耐震性再評価の検討会で研究者の岡村行信・活断層地震研究センター長が「貞観の地震で巨大津波がきている。どうしてまったく触れていないのか」との指摘に、東電の担当者は「歴史地震ということもある。研究的には課題だ」などと取り合わなかった経過もあります。
国会での吉井英勝衆議院議員の指摘も無視してきたこととともに、専門家からの指摘も国や東電は無視してきたのが事実です。そのことも、対策がとられずに今回の大惨事をまねく要因となったことは間違いないでしょう。
    福井県の原発でこのような「過ち」を繰り返さないために、歴史地震・津波についてもきちんと科学的評価の対象とすべきです。