前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

福井からの救援物資を福島県に届けました。原発事故で苦しむ南相馬市や飯舘村も視察しました。

2011年05月19日 | Weblog
    昨日は朝、福島県相馬市にはいりました。
津波被害の視察を宇野南越地区委員長らとおこないましたが・・・本当に津波の威力の凄まじさに息をのみます。

地元の漁協の女性のみなさんが「後片付け」をおこなっています。声をかけると、「遠くからありがとうございます。原発はもう要りません」と強く話されました。

洋服店のおばあちゃんは、仮店舗をたてて営業を開始。「となりは3人、そのむこうは1人が死んだ。津波に油断があった」と話されました。

被災地では、相双民主商工会会長の紺野重秋さんともお会いしました。自動車関係だそうですが、ご自分も原発から20キロ圏内で営業できなくなった、と。本当に胸がいたみます。

地元の元議員の方も、「この辺では津波てんでんこ、という言葉はなかった。チリ地震の時もこの辺はなんともなかった」と。あらためて、防災対策の難しさも痛感させられました。



     受け入れしていただいた、地元でスーパーを営む中島孝さんや、地元の女性のみなさんと福井から届けた支援物資を仕分け場所となっているお宅に搬入。女性の皆さんがつぎつぎ集まってきててきぱきと作業をされます。


  南相馬市や飯舘村も視察。飯舘村は風光明媚なすばらしいところです。しかし、放射線が高い、ということで計画的避難が指示され、その準備で大変な状況です。村から離れなくてはならない・・・・。田んぼも放置されたまま。農作業をする人も、外で遊ぶ子どももみかけません。かつて写真で見たチェルノブイリちかくの村のことを思い出しました。村役場の方に状況をお聞きし、村内をみてまわります。「言葉もありません。仕事も減り大変です」「戻ってこれるのでしょうか」「もう家族で移るしかないだろう」・・・村のみなさんの置かれた苦境に、こちらもお見舞いの言葉を言うのがやっとでした。


   夜は、原発から22キロの南相馬市の共産党の支援センターで宿泊。こくた衆議院議員秘書の木戸さんが出迎えてくれました。原発増設反対に取り組む鹿児島県の井上勝博・薩摩川内市議らといっしょです。この周辺も住民の半分以上がまちをでていかれた、とお聞きしました。 

  広大な被災地。地震、津波、原発災害に苦しむ方々。さらなる国や、国民の支援が本当に必要だと実感しました。