昨日は、小池あきら政策委員長を迎えた街頭演説会、県議会総務教育常任委員会などでした。小沢昭一さんの訃報、ご冥福をお祈りします。
小池さんの演説は時折吹雪くなか、気迫の演説で消費税や原発問題、日本共産党の政策を訴えられました。また、レゲエ歌手のSing J Royさんも応援にかけつけていただきました。ありがとうございました。私は司会をつとめました。寒い、寒い中、聞き入っていただいたみなさん、本当にありがとうございました!
県議会の総務教育常任委員会では、坂井地区の高校再編問題、高校の就職内定者へのビジネス英語講座について、文学館のあり方と県立図書館への影響、教員の新採用研修問題、新幹線ルートと液状化地域の問題や中池見湿地保全との関係、私立高校の就学支援金事務負担について、退職金削減の国の通知の問題、原子力緊急事態支援機関設置について、などを取り上げました。ひきつづきガンバリマス。
★
さて、日本原電敦賀2号機について、真下を走る断層が活断層濃厚、ということで廃炉の可能性がでてきました。
わたしたちは、日本の原発即時ゼロ、の立場ですし、以前から敦賀半島の原発はとくに活断層との関係では問題が多いので、廃炉を求めてきましたので、当然だ、という気持ちです。
学術的な調査で、いっそう日本共産党のこれまでの見解の正しさも証明されてきた、ということでしょう。
以下、報道。
■NHK・・・敦賀原発“活断層”で廃炉の可能性も
福井県の敦賀原子力発電所の断層について、国の原子力規制委員会は、専門家と評価する会議を開き、2号機の真下を走る断層が活断層の可能性があるという判断を示しました。
規制委員会の田中俊一委員長は「今のままでは再稼働の安全審査はできない」と述べ、敦賀原発の2号機は、運転再開できずに、今後廃炉になる可能性が出てきました。
原子力規制委員会の島崎邦彦委員と専門家4人は、敦賀原発で今月1日から2日間行った現地調査を受けて、断層を評価する会議を10日、開きました。
敦賀原発には、国内で唯一、敷地に「浦底断層」と呼ばれる活断層があり、島崎委員らは現地調査で、浦底断層とそこから枝分かれするように延びて2号機の真下を走る「D-1」という断層を中心に、地面を掘って断面を調べるトレンチ調査の現場などで検証しました。
10日の会議では、専門家から浦底断層について「活動的でその影響は計り知れない」という意見や、D-1断層の周辺の地層で見つかった“ずれ”については「D-1とつながっている可能性がある」という意見が出ました。
議論を受けて島崎委員は「専門家4人で大きく食い違う点は見られなかった」としたうえで、「2号機の真下を走るD-1断層が、活断層として活動していて、浦底断層と同時にずれたと考えられる」と述べて、断層が活断層の可能性があるという判断を示しました。
国の指針では、活断層の上に原子炉などの重要な施設の設置を認めていません。
10日の判断について、規制委員会の田中俊一委員長は「今のままでは再稼働の安全審査はできない。規制委員会で意見を聞いて判断したい」と述べました。
10日の専門家との会議を受けて、規制委員会は、近く委員5人で議論することにしていて、規制委員会が正式に判断すれば、敦賀原発2号機は運転再開できずに、今後、廃炉になる可能性が出てきました。
▼“運転再開判断する段階に至っていない”
評価会議のあと、原子力規制委員会の島崎委員らが記者会見し、敦賀原発の運転再開について、「田中委員長の認識と同じで、現状では、そうしたことを判断する段階に至っていないと認識している」と述べました。
また、日本原子力発電が追加の調査を行うとしている方針については、「きょうまでに集まっている情報で1つの判断を下したということだ。今の時点での結論を出した」と述べて、追加調査を待たずに最終的な判断を下す考えを示しました。
島崎委員は「事業者は、基本的に活断層でないことを証明するために調査をしているので、それができないかぎりは、調査を続けなればならないことになる。われわれとは立場が違う」と話し、「今回は、調査が多岐にわたり詳細だった。きちんとしたデータがそろっていれば結論は一致する」と述べました。
▼日本原電が反論“到底受け入れがたい”
国の原子力規制委員会が、敦賀原発2号機の真下を走る断層が活断層の可能性があると判断したことについて、日本原子力発電は、反論のコメントを発表し、「評価会合では、大規模なトレンチ調査などでD-1断層が活断層の可能性はないことを説明した。しかし、きょうの会合ではD-1断層の近くで見つかった地層のズレについて、主に変動地形学的な視点からの可能性だけで審議が進められ、今回のような取りまとめになったことは、到底、受け入れがたい。追加の調査を早急に進め、客観的なデータに基づいて主張を実証していく」としています。
▼敦賀市長“規制委の判断注目したい”
敦賀原発が立地する福井県敦賀市の河瀬一治市長は「科学的根拠に基づいて非常に危険だと判断されれば、40年来、原子力と共に生きてきた敦賀市としては非常に寂しいことだが、やむをえないことだ」と述べました。
そのうえで、河瀬市長は「まだ完全に活断層だと明確な判断がなされたわけではないので、今回の会合に基づいて、近く規制委員会が出す、しっかりとした判断に注目したい」と述べました。
また、福井県の西川知事は「立地地域と県民が理解し、納得できるような調査とすべきで、国として、きょうの見解に対する十分な科学的根拠を示してほしい」というコメントを発表しました。
★
小沢昭一さん死去。うわー、残念です!こんな時代だからこそ、もっともっと語っていただきたかった。ご冥福をお祈りいたします。もうすぐ、岩波書店から「変哲半生記」が出版されますが、ぜひ買いたいと思います。
昨夜は、安倍総理時代に放送された教育基本法改悪をチクリとやったあたりのCDを聞きながら熱燗をかたむけ偲びました。
今朝の日経のコラムにもこうありました。・・・「戦争ってものは、なっちゃてからでは止められません。なりそうな時でも駄目。なりそうな気配が出そうな時にとめないと」。かつてお話しをうかがったさいに、こう力をこめていたのを思い出す。最期までラジオ番組の収録にこだわっていたという小沢さんだ。言い残しておきたいことが、まだまだあっただろう。・・・・・・・
総選挙で、自民や維新が改憲や国防軍、集団的自衛権を声だかに叫んでいる時に、小沢さんのチクリを聞けないのは本当に残念でならないが、私達は9条改憲を許さず、戦争の時代にならないように全力をつくします。
■毎日・・・訃報:小沢昭一さん死去83歳…映画、ラジオ、幅広く活動
ラジオ番組での軽妙な話芸や一人芝居、芸能史研究でも知られた俳優の小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去した。83歳。通夜は14日午後6時、葬儀は15日午前11時、東京都新宿区南元町19の2の千日谷会堂。喪主は妻英子(えいこ)さん。
東京生まれ。早稲田大在学中に俳優座養成所に入所。「幕末太陽伝」「豚と軍艦」などの映画に出演、1966年の「『エロ事師たち』より 人類学入門」(今村昌平監督)で、毎日映画コンクール男優主演賞を受賞した。
82年には井上ひさしらと「しゃぼん玉座」を作り、「国語事件殺人辞典」や「吾輩は漱石である」などの井上作品を上演。一人芝居「唐来参和(とうらいさんな)」は83年から00年まで全国各地で660回演じた。
73年から始まったラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は、風刺の利いた語りが支持を得て、放送回数が1万回を超えた。
40代になって「芸能の原点」の追究を志し、放浪芸を収集。浪花節、万歳(まんざい)、猿回し、ストリップなどの芸能の出自や役割を探求し、レコードや「日本の放浪芸」「放浪芸雑録」などの著作にまとめた。
10年4月から、落語家の春風亭小朝さんと高座を開始。芸談やハーモニカ演奏、歌などを熱演した。
98年に前立腺がんが見つかり治療を続けていたが、12年9月に入院。「小沢昭一的こころ」の出演も見合わせていた。01年勲四等旭日小綬章を受章、07年「小沢昭一的こころ」などの功績で菊池寛賞を受賞した。・・・
小池さんの演説は時折吹雪くなか、気迫の演説で消費税や原発問題、日本共産党の政策を訴えられました。また、レゲエ歌手のSing J Royさんも応援にかけつけていただきました。ありがとうございました。私は司会をつとめました。寒い、寒い中、聞き入っていただいたみなさん、本当にありがとうございました!
県議会の総務教育常任委員会では、坂井地区の高校再編問題、高校の就職内定者へのビジネス英語講座について、文学館のあり方と県立図書館への影響、教員の新採用研修問題、新幹線ルートと液状化地域の問題や中池見湿地保全との関係、私立高校の就学支援金事務負担について、退職金削減の国の通知の問題、原子力緊急事態支援機関設置について、などを取り上げました。ひきつづきガンバリマス。
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さて、日本原電敦賀2号機について、真下を走る断層が活断層濃厚、ということで廃炉の可能性がでてきました。
わたしたちは、日本の原発即時ゼロ、の立場ですし、以前から敦賀半島の原発はとくに活断層との関係では問題が多いので、廃炉を求めてきましたので、当然だ、という気持ちです。
学術的な調査で、いっそう日本共産党のこれまでの見解の正しさも証明されてきた、ということでしょう。
以下、報道。
■NHK・・・敦賀原発“活断層”で廃炉の可能性も
福井県の敦賀原子力発電所の断層について、国の原子力規制委員会は、専門家と評価する会議を開き、2号機の真下を走る断層が活断層の可能性があるという判断を示しました。
規制委員会の田中俊一委員長は「今のままでは再稼働の安全審査はできない」と述べ、敦賀原発の2号機は、運転再開できずに、今後廃炉になる可能性が出てきました。
原子力規制委員会の島崎邦彦委員と専門家4人は、敦賀原発で今月1日から2日間行った現地調査を受けて、断層を評価する会議を10日、開きました。
敦賀原発には、国内で唯一、敷地に「浦底断層」と呼ばれる活断層があり、島崎委員らは現地調査で、浦底断層とそこから枝分かれするように延びて2号機の真下を走る「D-1」という断層を中心に、地面を掘って断面を調べるトレンチ調査の現場などで検証しました。
10日の会議では、専門家から浦底断層について「活動的でその影響は計り知れない」という意見や、D-1断層の周辺の地層で見つかった“ずれ”については「D-1とつながっている可能性がある」という意見が出ました。
議論を受けて島崎委員は「専門家4人で大きく食い違う点は見られなかった」としたうえで、「2号機の真下を走るD-1断層が、活断層として活動していて、浦底断層と同時にずれたと考えられる」と述べて、断層が活断層の可能性があるという判断を示しました。
国の指針では、活断層の上に原子炉などの重要な施設の設置を認めていません。
10日の判断について、規制委員会の田中俊一委員長は「今のままでは再稼働の安全審査はできない。規制委員会で意見を聞いて判断したい」と述べました。
10日の専門家との会議を受けて、規制委員会は、近く委員5人で議論することにしていて、規制委員会が正式に判断すれば、敦賀原発2号機は運転再開できずに、今後、廃炉になる可能性が出てきました。
▼“運転再開判断する段階に至っていない”
評価会議のあと、原子力規制委員会の島崎委員らが記者会見し、敦賀原発の運転再開について、「田中委員長の認識と同じで、現状では、そうしたことを判断する段階に至っていないと認識している」と述べました。
また、日本原子力発電が追加の調査を行うとしている方針については、「きょうまでに集まっている情報で1つの判断を下したということだ。今の時点での結論を出した」と述べて、追加調査を待たずに最終的な判断を下す考えを示しました。
島崎委員は「事業者は、基本的に活断層でないことを証明するために調査をしているので、それができないかぎりは、調査を続けなればならないことになる。われわれとは立場が違う」と話し、「今回は、調査が多岐にわたり詳細だった。きちんとしたデータがそろっていれば結論は一致する」と述べました。
▼日本原電が反論“到底受け入れがたい”
国の原子力規制委員会が、敦賀原発2号機の真下を走る断層が活断層の可能性があると判断したことについて、日本原子力発電は、反論のコメントを発表し、「評価会合では、大規模なトレンチ調査などでD-1断層が活断層の可能性はないことを説明した。しかし、きょうの会合ではD-1断層の近くで見つかった地層のズレについて、主に変動地形学的な視点からの可能性だけで審議が進められ、今回のような取りまとめになったことは、到底、受け入れがたい。追加の調査を早急に進め、客観的なデータに基づいて主張を実証していく」としています。
▼敦賀市長“規制委の判断注目したい”
敦賀原発が立地する福井県敦賀市の河瀬一治市長は「科学的根拠に基づいて非常に危険だと判断されれば、40年来、原子力と共に生きてきた敦賀市としては非常に寂しいことだが、やむをえないことだ」と述べました。
そのうえで、河瀬市長は「まだ完全に活断層だと明確な判断がなされたわけではないので、今回の会合に基づいて、近く規制委員会が出す、しっかりとした判断に注目したい」と述べました。
また、福井県の西川知事は「立地地域と県民が理解し、納得できるような調査とすべきで、国として、きょうの見解に対する十分な科学的根拠を示してほしい」というコメントを発表しました。
★
小沢昭一さん死去。うわー、残念です!こんな時代だからこそ、もっともっと語っていただきたかった。ご冥福をお祈りいたします。もうすぐ、岩波書店から「変哲半生記」が出版されますが、ぜひ買いたいと思います。
昨夜は、安倍総理時代に放送された教育基本法改悪をチクリとやったあたりのCDを聞きながら熱燗をかたむけ偲びました。
今朝の日経のコラムにもこうありました。・・・「戦争ってものは、なっちゃてからでは止められません。なりそうな時でも駄目。なりそうな気配が出そうな時にとめないと」。かつてお話しをうかがったさいに、こう力をこめていたのを思い出す。最期までラジオ番組の収録にこだわっていたという小沢さんだ。言い残しておきたいことが、まだまだあっただろう。・・・・・・・
総選挙で、自民や維新が改憲や国防軍、集団的自衛権を声だかに叫んでいる時に、小沢さんのチクリを聞けないのは本当に残念でならないが、私達は9条改憲を許さず、戦争の時代にならないように全力をつくします。
■毎日・・・訃報:小沢昭一さん死去83歳…映画、ラジオ、幅広く活動
ラジオ番組での軽妙な話芸や一人芝居、芸能史研究でも知られた俳優の小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去した。83歳。通夜は14日午後6時、葬儀は15日午前11時、東京都新宿区南元町19の2の千日谷会堂。喪主は妻英子(えいこ)さん。
東京生まれ。早稲田大在学中に俳優座養成所に入所。「幕末太陽伝」「豚と軍艦」などの映画に出演、1966年の「『エロ事師たち』より 人類学入門」(今村昌平監督)で、毎日映画コンクール男優主演賞を受賞した。
82年には井上ひさしらと「しゃぼん玉座」を作り、「国語事件殺人辞典」や「吾輩は漱石である」などの井上作品を上演。一人芝居「唐来参和(とうらいさんな)」は83年から00年まで全国各地で660回演じた。
73年から始まったラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は、風刺の利いた語りが支持を得て、放送回数が1万回を超えた。
40代になって「芸能の原点」の追究を志し、放浪芸を収集。浪花節、万歳(まんざい)、猿回し、ストリップなどの芸能の出自や役割を探求し、レコードや「日本の放浪芸」「放浪芸雑録」などの著作にまとめた。
10年4月から、落語家の春風亭小朝さんと高座を開始。芸談やハーモニカ演奏、歌などを熱演した。
98年に前立腺がんが見つかり治療を続けていたが、12年9月に入院。「小沢昭一的こころ」の出演も見合わせていた。01年勲四等旭日小綬章を受章、07年「小沢昭一的こころ」などの功績で菊池寛賞を受賞した。・・・