前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

福井豪雨災害、足羽川堤防決壊で福井県の対応の問題を明らかにした国土問題研究会の調査内容とは

2014年06月22日 | Weblog
 福井豪雨の際の国土問題研究会の報告についておたずねをいただきました。
 以下は、日本科学者会議福井支部発行の「福井の科学者」2006年10月号に佐藤県議が書いて掲載されたものです。
当時書いたままを参考に再掲します。・・・・・・


足羽川ダム計画の経緯と背景

旧美山町での足羽川ダム計画は、1966年、昭和42年に予備調査に着手、1983年、昭和58年に実施計画調査着手、1992年、平成4年12月の美山町議会でダム受け入れが表明された。
しかし、200戸を超す移転が必要であることなどから、地元住民を中心とした強力な反対運動が展開され、当時の建設省が平成7年に設置したダム建設事業審議委員会は12回の審議などを経て、1997年、平成9年9月に「ダムは必要だが、美山サイトは大きな犠牲を伴い地元同意を得ることは困難な状況から、水没世帯が極力少なくなるよう事業者は最善の努力をすべき」との答申を答申した。
  1999年、平成11年に代替候補案として、池田町に建設する部子川サイト案(部子川ダム+4流域からの導水)が公表された。 なお、2002年、平成14年に、ダム計画にかかる利水計画について、福井県は工業用水からの、福井市は上水道からの撤退を明らかにした。現在、桝谷ダムにかかる需要がない工業用水や水道料金を高騰させる上水の利水計画が大きな問題となっているが、足羽川ダム計画においては、住民の反対による計画の遅れが幸いしたのである。 平成14年5月に、新河川法にもとづく「九頭竜川流域委員会」が設置され、国・県は「部子川サイトを足羽川ダム計画として提案していく」とし、議論がすすめられたが、巨大ダム計画について議論の一致は得られなかった。
  ところが、2004年、平成16年7月の福井豪雨において、足羽川左岸、福井市春日で堤防から洪水が越水し、堤防が決壊し甚大な被害が生じたことなどもあり、11月の委員会では「福井豪雨規模の洪水にも対応した治水容量でのダム建設についておおむね了解が得られた」という状況になった。
  2006年、平成18年2月に「九頭竜川水系河川整備基本方針」が策定され、3月の県議会では福井市長などからだされた足羽川ダム建設の早期実現をもとめる請願が賛成多数で採択された。反対は、私ただ一人であった。


西川知事がしめした「条件」

5月10日には、国土交通省近畿地方整備局長が西川県知事にダム計画案を説明し、知事は理解をしめした。
この際、知事は「ダムの必要性について広く県民の理解を得るための努力」「早期に事業効果が発揮できるよう事業期間の短縮」「全国的に見てもダム事業は途中で事業費が膨らむようなので、建設費が今後増大しないよう歯止めに努めるよう」の3つの課題をしめした。
 これに対し、藤本局長は「県と一緒にダム計画案の説明を実施していく」「事業期間短縮に努めたい。工期短縮のためには円滑な地元調整が必要であり、この点については県の全面的協力をいただきたい」「地質等の不確定要素もあるがコスト縮減を進めるとともに、我々だけではできない部分もあるが、計画額以上に増加しないよう最善の努力をする」との考え方をしめした。
 このような「条件」は前例のないものであるが、その実効性は疑わしく、国の計画を「丸呑み」したことに変わりはない。実際この後5月28日に、日本共産党が福井豪雨災害と足羽川ダム計画問題で調査依頼した国土問題研究会の足羽川ダム学習会に国が同席してダム計画を説明するよう私が足羽川ダム工事事務所に求めたが、拒否したのである。それだけでなく、国土問題研究会と福井県河川課との「意見交換会」(5月29日)への同席を県河川課が要請したが、これまでも拒否するという異常な国の対応がしめされた。
 今回の足羽川ダム計画をふくむ河川整備計画原案は8月18日の九頭竜川流域委員会で説明、公表された。流域委員会では「おおむね了解」された。8月21日からは、福井市(商工会議所で2回開催)、勝山市、池田町、越前市、坂井市で住民説明会が開催され、その意見をふまえて、河川整備計画案がつくられ、知事などの意見を聞いた後、河川整備計画として策定されることとなっている。
「なぜ旧美山町地域では説明会を開催しないのか」との私の問い合わせに、県は「福井市になりましたから」と答えた。杉本池田町長は今年7月のダム計画受け入れの際、「苦渋の決断」と述べた。池田町民も長い苦悩であったのと同様に、旧美山町の方々も同様ではないだろうか。 住民の反対運動、福井豪雨を経てかたまりつつある今回のダム計画。果たして、計画内容や費用対効果は本当に県民の納得できるものなのか、期待する治水効果が見込めるのか。
なお、足羽川ダム計画の概要については足羽川ダム工事事務所のホームページを参照されたい。



ダム計画の大本となった天神橋地点での洪水流量:毎秒2400m3/sの検証
他の専門家団体調査より過大な流量

福井豪雨での福井市天神橋地点での洪水流量として国が発表したのは2,400m3/sだが、これは、土木学会や国土問題研究会の調査による2,000~2,300m3/sを上回っている。土木学会は、「洪水のピーク流量は2200~2300 m3/s程度」(土木学会・平成16年7月北陸豪雨災害緊急調査団報告書) 、国土問題研究会は「当時の最大流下流量は2,000~2,200m3/sであったと推定される」(国土問題研究会・足羽川ダム問題調査団による2004年7月福井水害と足羽川ダム計画の問題中間報告書)、としている。まさに、ダム不要論の根拠となるか、現在すすめられようとしているダム計画の過大さを証明する調査報告といえる。

  よって、福井豪雨の洪水流量2400 m3/s。この数値がダム計画推進の根拠ともなっているのであり、この妥当性を、わたしは、県議会質問や国土交通省交渉でこの算出問題をとりあげてきた。 
2005年の6月県議会で質問したが、県の答弁は「国土交通省が発表した2400立方は、浮子を入れて計った天神橋における流量観測、足羽川下流部全体を対象にした水位計算による検証、上流域の降雨量から計算される流量などから総合的に検証し判断されたものである。国土問題研究会の推定した流量は河川の水位計算から求められたものであるが、国土交通省の流量は、流量観測値をもとに多方面から導きだされたものである。よって、妥当なものであり、県として検討しなおす考えはない」との木で鼻をくくったような答弁であった。これは、2004年11月の九頭竜川流域委員会で国が説明した、「川に浮子を投げて観測した流量観測、洪水痕跡による水理解析、観測雨量をもとにした流出解析」を敷衍した答弁である。  

 そこで、その根拠となる資料をしめすよう求めたところ、「2400トンの根拠となる流量観測は国土交通省がおこなったもので、説明はうけたが、県に資料はない。県としてもデータの要求をしている。佐藤議員の資料提供要求については、国土交通省と相談する」との驚くべき土木部長の答弁が返ってきた。私は「張子の部長答弁ではないか」と批判した。 調べるうちに、次のようなことがわかった。

(1)天神橋で2400トンの観測報告書は実在するが、県はこれを国から提供してもらっていない。説明の場で資料は配られたそうだが、回収されてしまった。
   (2)山間地の雨量吸収について、120ミリで飽和、それ以上はすべて流出、と計算している。しかしこれは1960年代に確立された手法のままで、専門家からも批判がある。
  (3)天神橋から浮子を流して観測をしたが、洪水が巻き上げて流れるのでデータの誤差はありうる。だいたい、2360ぐらいとでたのを、2400と切り上げた。県土木部のなかにも、「きちんと計測できなかったのに、2400ときめうちしたのがまずい」との声がある。


流域委員会や県議会への「説明不足」

その後、随分たってから思わぬ展開があった。2006年6月15日、日本共産党の井上哲士参議院議員とともに国土交通省治水課のレクチャーをうけた時のこと。国側は、「流量観測値2,494m3/sは大きめに測定されたと考えられ、H-√Qの関係式から読み取った値からの推定値である2,304m3/sが妥当である」と説明し、天神橋上流左岸で用水路から流出した57m3/sを加えて2,361m3/s、粗度係数を考慮して2,400m3/sとした、というのである。  

  なんと、流域委員会や県議会では浮子を流して流量観測したとかの「科学的」説明はされたが、「このぐらいの水位なら、これぐらいが流れている」と観る流観値を採用したことについての説明、答弁はなかった。
 洪水流量は小さすぎてはもちろんいけないが、大きすぎてもいけないーーー今回のダム計画を推進するにふさわしい値をだすための操作か、と疑がえる。7月24日の国土交通省治水課との交渉で、「県民を欺くもの」と批判したが、言下に否定。しかし、「説明不足はあった」とは認めたのである。とんでもない「説明不足」だ。


なぜ堤防は決壊したのか
国土問題研究会への調査依頼

巨大なダム計画推進の背中をおしたのはいうまでもなく福井市中心部での堤防決壊である。当時の酒井福井市長などは、災害直後の時期からなりふりかまわず「ダム建設」を国に陳情した。 わたしは、当時端的にいって2つの重大な問題がこのままでは隠蔽されてしまうと考えた。ひとつは、破堤という河川管理者としてもっとも避けなければならない事態を招いた県の河川管理の責任。もうひとつは、「水防倉庫の鍵が掛けられていて、左岸の水防は放置された」と被災直後に地元の方々が日本共産党福井豪雨災害国会調査団に怒りを語ったように福井市の水防活動のずさんさである。しかし、災害直後は、あえて行政批判は手控え、被災者救援活動に全力を尽くした。

 救援活動が一段落したなかで、日本共産党の穀田衆議院議員室の紹介で京都を拠点に活動されている国土問題研究会に福井豪雨と足羽川ダム計画の問題で調査依頼をおこなったのである。もちろん、先述した2つの問題意識はあったものの、科学的な調査によりダムの絶対必要性がしめされれば、私たちのこれまでの「足羽川ダムは不要」との主張の変更もおこなう、という気持ちだった。


県の河川管理責任を厳しく指摘

国土問題研究会の調査報告は、県の河川管理の責任を鋭くえぐって驚かされた。 同報告では4点を指摘しているのでかいつまんで引用、紹介する。

出水期間中も放置された工事用矢板福井鉄道橋梁と河川内に残された仮設矢板

一般的には6月15日から10月15日までは出水期として河川内の工事は避けている。出水期間中の工事施工について国土交通省の河川局長通達(平成15年6月18日付)があり,その期間中の工事は極力避けること,何らかの理由で工事を続行するなら,流通阻害の危険性に見合う対策を講じる必要性があることが示されている。
  幸橋には工事用矢板が6枚,壁状に設置されていた。 これは新設の幸橋の河川中央に設置予定の橋脚工事のための締切矢板と考えられる。 この矢板が出水期間中に放置されたままの状態であった。特にこの場所は足羽川が60度の角度で左に曲がるところで、 矢板の存在が流通阻害を起こすのは明らかである。にもかかわらず矢板が出水期間中も放置されたままになっていた。 この矢板の存在が足羽川の水位のせき上げに影響を与えることは容易に予想できることである。にもかかわらず, 河川管理者である福井県が矢板の放置を容認していたことになるわけで, 県の対応に大きな問題があったと言わざるを得ない。


福井鉄道の仮設橋梁

橋梁の橋脚の存在は流通阻害を招きやすく、「河川管理施設等構造令」で橋脚の幅や形、橋脚間の径間長について細かく技術基準が示されている(構造令62,63条)。  
  この仮設橋梁で注目されるのは橋脚間の径間長である。川幅120mに7本の橋脚があり,径間数は8で、径間長は15mになる。仮設であっても出水期間中も設置された状態が続くものであるなら、当然「河川管理施設等構造令」を踏まえたものにしなければならない。それによれば [基準径間長(単位m)L=20+0.005Q (Qは計画洪水流量  構造令63条)] が示されている。そもそも20mを下回る径間長は想定されていないと言える。この点でも仮設橋梁に対して河川管理の視点からチェックされたとは考えられない。
  特に幸橋の工事では工事用矢板があり,旧橋の橋脚が残り, 新設橋梁の橋脚があり、その上福井鉄道の仮設橋の橋脚があったのであり,安易な対応は許されなかったはずある。


迂回路の設置河川内に造られた仮設道路

福井駅周辺の整備工事に伴う渋滞対策として足羽川右岸高水敷に迂回道路が設置されていた。 幸橋の上流地点からJR橋の上流までの区間の道路で,その両端は河川断面に食い込む形で盛土がされている。 出水期間中も含め河川断面が盛土によって侵されることになるわけで、河川管理上は許可にならないものである。 この工事を認めるにあたって何らかの流通阻害に対する対策が講じられたのだろうか。 そのような対応がなされていないのであれば,安易な対応と言わざるを得ない。

JRの隣接橋梁

旧JR橋は桁下高の基準(計画高水位に余裕高を加えた高さの確保)についても,径間長の基準(7径間で径間長約17m)についても満足しておらず,架け替えは当然必要であるが,旧橋と新橋は近接というより隣接しており,旧橋の撤去までは2橋が並んで存在することになる。そういう点では新設橋梁の橋脚の位置は旧橋の橋脚の位置を踏まえたものにすべきであるが、そのようになっていない。  たしかに,既設の橋等の改築又は撤去が5年以内に行われることが予定されている場合,近接橋の基準を適用しないことが記述されているが(河川法施行規則29条),たとえそうであっても,既設の橋のことを考慮しなくてもよいということではない。5年以内の既設橋の改築、撤去の場合においても近接橋の橋脚と既設橋の橋脚の距離(流心方向と直角方向)は可動堰の可動部の径間長の特例以上にする(構造令39条)ことが求められている。当該ケースでは12.5m以上ということになるがこの値も満足していない。


このように分析したうえで、同報告は、「幸橋の工事,仮設迂回路,JR橋について見てきたが,河川管理者である福井県が,河川工作物の設置許可にあたって一番考慮しなければならない災害防止,流通阻害の防止という視点で,工事工程,工事内容を十分把握した上で許可をしたとは考えられない。足羽川の破堤をきっかけにしてダム設置の必要性が福井県当局から語られるようになってきているようであるが,適切な河川管理をしていれば,堤防からの越水は起こらず,破堤を起こさなくて済んだ可能性がある」と指摘している。ここまで県の河川管理責任に踏み込んだ分析は他に無い。


工事用矢板の影響分析をしていなかった県

わたしは、2005年6月議会で、幸橋工事の矢板の河川内への放置が洪水せきあげに影響した問題をとりあげた。 県の答弁は、「足羽川洪水災害調査対策検討会においては、洪水の痕跡をもとに水位を計算したところ、幸橋の橋脚および工事用矢板などによるせき上げは、約40数センチメートルと推定されており、工事用矢板による水位のせき上げが、数十センチメートルもあったとは考えにくい」。しかし、ひきつづく質問に、「矢板は計算に含めていない。阻害比率は130メートル幅のうち、矢板幅は1.4パーセント程度にすぎない。よって、橋脚主体に計算している。越水量を考慮しても再現水位と一致する」と答弁した。  いろいろ答弁したが、県が設置した足羽川洪水災害調査対策検討会では工事用矢板の影響の計算はおこなっていなかったことを告白したのである。県はその後の幸橋工事では工法を変更した。


足羽川ダム計画のいくつかの問題点
ダムがあっても水害は防げなかった


ところで、もし福井豪雨時にその当時計画されていたダムが完成していれば水害は防げたのだろうか。
  国土問題研究会調査団の宇民正前和歌山大学教授(河川工学)は、「2004年福井豪雨災害当時のダム計画に基づいてダムが完成していたとしても水害は防げなかった。2004年福井豪雨災害当時のダム計画では洪水調節容量は710万m3ときわめて小さく,しかもそのときの豪雨はダム流域に集中していたので,ダムは満杯になり、その時点で洪水調節は放棄されていたと思われる。とくに実際の降雨の時間分布を見ると、後半に強い雨が降っているので、肝心の洪水ピーク時には効果を発揮しなかったであろう。国交省は,流域委員会に提出されたシミュレーションに基づき,もしダムが完成していたら水害発生を防げたかのように言っているようであるが,そこで前提としているダムは新計画のダムである。このダムは,2004年洪水後にその洪水に対応することを前提として計画されたものであるから,このダムが完成しておれば2004年洪水を調節できたことは当然である。ちなみにこの計画では,貯水容量は1370万m3で,2004年水害時のダム計画のそれのほぼ2倍となっている。」と述べている。

  では、今回計画のダムなら万全なのだろうか。 宇民前和歌山大学教授は「穴あきダムを想定し,しかも洪水流量をほとんど全量カットする洪水調節方式を採っているようであり,これには疑問を感じる。このような調節方式は,福井豪雨災害時の出水のように洪水流量のピークが極端に高く,しかも洪水時間の短い洪水の場合には有効であるが,前線性のだらだらと続く雨の場合は,洪水初期の下流にとって無害の流量をため込んで満杯となってしまい,その後流量が大きくなった段階では調節できずにそのまま放流せざるを得なくなるので,通常は採用しない洪水調節方式である。」と疑問をしめしている。


導水トンネルの問題

わたしは、議会で導水トンネルを掘ってダムに水を集めるという今回の足羽川ダムについて、「福井豪雨のように大量の土砂、流木が発生し、トンネルが閉塞したら、期待の治水効果はでない。このようなダムに頼ることは、逆に下流の福井市民に危険だ」と指摘してきた。わたしの指摘もあったからか、国は、水海川から部子川のダムへの導水トンネルを1条から2条に増やして、1本が閉塞しても機能が果たせるようにする計画を発表した。危機管理を強化した、というのだ。 しかし、これにはごまかしがある。危機管理というなら、同じ時期に供用されなければ意味がない。ところが、1条目の完成が20~30年後で、2条目の完成はいつになるかわからない「将来計画」なのである。 この本当の狙いは、池田町の地元対策だろう。つまり、80年に1度の洪水に対応する九頭竜川水系河川整備計画では水没地域が分断され、移転補償からはずれる家が生まれる。そこで、150年に1度の洪水に対応する九頭竜川水系河川整備基本方針対応のダムとすれば関係集落の分断無く、すべてが移転補償の対象となるのである。
  福井豪雨対応のダムだけを考えれば620億円程度の事業費が、150年に1度の洪水対応ということで1450億円にもなる。 このような「治水効果も疑問」かつ「巨額の税金投入」のダム計画が本当に県民の幸せにつながるとは考えられない。「下流地域の安全のためなら」と公共事業に「協力」する池田の方々の気持ちにもそぐわない計画ではないだろか。


今後検討すべき課題

最後に、いくつか考えていることを書いておきたい。
治水と水防は一体である。福井豪雨の時も、堤防にブルーシートを張って堤防を守った地域もあった。堤防決壊地点の「水防倉庫に鍵がかけられ、住民が水防活動ができなかった」のとは大違いである。
  国土問題研究会の調査にあるように、県の河川管理がしっかりしていれば堤防は決壊しなかった可能性が高い。また、堤防決壊がピーク時を過ぎてからだったことも考えると、ブルーシートをはって堤防を守るなどの水防がおこなわれていれば、 決壊を防げたかもしれない。治水と水防、両輪の計画整備が必要だ。

国も県も財政難である。国は国民への負担増をおこない、住民税や国保税があがって悲鳴があがっている。
消費税増税も検討中だ。しかし、公共事業の見直しはすすんでいない。県内でも、新幹線と在来線の第三セクター化、高規格道路建設、地下駐車場や再開発事業、今津・上中新線建設計画、国際港湾、巨大公園、そして各地のダム。総事業費は1~2兆円ぐらいになるのではないか。
  なにがいいたいか。1450億円のダムよりも、「早く、安く」堤防強化や遊水地設置などで治水安全度を高めることこそ必要ではないか。子孫につけまわしをする「わが亡きあとに洪水よ来たれ」式の公共事業は見直すべき。
  県管理区間の河川事業だけでも、向こう20~30年間で2000億円ぐらいの事業規模だという。足羽川ダムの県負担30パーセントがかかってくれば、身近な治水事業にも影響がでかねない。この点で、異常な足羽川ダム計画の見直しは県民的な課題ともいえる。

なぜ「より早く」治水安全度を高めることなく、堤防決壊にいたったか。 わたしはたとえば、2003年12月議会でも「ダムをつくっても30年ちかくかかるぐらいなら、もっと現実的な治水対策をきちんとやって、洪水被害を抑えるべきだということを重ねて要望しておく」と指摘した。

  福井豪雨直前の6月議会では、「現在大切なポイントは、第一に、治水安全度をより早く確実に高めるのはダムの建設なのか、それ以外の手法なのか。第二に、県も福井市も利水計画から撤退して、事実上多目的ダムでなくなっている足羽川ダム計画は、どのように変更されるのかということではないかと思います。もちろん、莫大な工事費用とその負担問題、環境破壊の問題、池田町の地元の問題などなど数え上げれば問題が多々あるわけですが、政治が判断する上で整理しなければならないのは、大きくは二つだと思います。まず、治水安全度ですが、従前、150年に一度の確率で起こるであろう洪水に備えるということで巨大ダムが計画されました。しかし、流域委員会の議論では、国土交通省もこの水系だけ突出して治水安全度を高めるわけにはいかない、150分の1ではなく30分の1だということになっています。そうなりますと、ダムの建設に20年、30年かかるわけですから、住民にとっては、確率論の話としては、その間に洪水が来てしまうではないか、もっと早く安全度を高めてくれとなるのは当然であります。では、ダムに頼らずに治水安全度を高めることができるのか。2月議会の土木常任委員会でお尋ねしたところ、河川課長は、現在は10分の1強の安全度ぐらいしかないが、河道掘削、日野川の河床勾配、そういった河床掘削をすることによって30分の1ぐらいのレベルまではできると明確に答弁されたわけであります。なんだ、ダムなしでできるではありませんか。県として、流域委員会と国に対して、ダム建設によらない対策で直ちに治水安全度を高めることこそ、より確実に住民の命と安全を守ることになるんだということを強く訴えるべきではありませんか。」と指摘していた。

 結局、ダム+河道改修のセット論での議論が、「ダムで処理する流量が決まらないと河川改修もできない」、と必要な河川改修を遅らせ、住民に甚大な被害をもたらしたのである。

 ところで、現在行われている足羽川での河川改修事業によって福井豪雨規模の洪水でも安全に流れる河川となることはもっと知られて良い。県議会での私の質問に当時の福田土木部長は、「今回の福井豪雨と全く同じことが起こったときに激特事業があれば、破堤とかそういうことは起こらないということである。」と明快に答弁した。つまり、福井豪雨規模に備える、ということであれば、ダムは不要なのである。このやりとりにある自民党議員(当時)は、「部長が引っかけられた」とくやしがったが、事実をみようとしない議員の態度こそ問題だろう。

国、県はさまざまな行政情報の提供と県民への説明を積極的におこなうべきだ。福井豪雨後に県が設置した委員会も非公開でおこなわれたし、わたしたちが計画した足羽川ダム問題学習会への講師派遣を国は拒否した。住民といっしょに治水について考えよう、住民からの提案や意見を政策に活かそう、との姿勢が欠落している。  
  その結果が、県の河川管理の責任問題も明確にならないし、「ダムありき」で情報がどんどん流されて、途中の九頭竜川流域委員会でも厳しい批判がだされたけれどもとんでもない巨大ダム計画に落ち着く、という顛末になろうとしている。
 今後、「穴あきダム」の問題や環境問題、導水される河川が中小洪水までカットされて下流環境が悪化する問題など課題は多い。  
  ひきつづき、県民の皆さんとともに、足羽川ダム計画の問題点の追及、真の治水対策の向上と住民の安全の確保めざして頑張りたい。

国土問題研究会報告会、各地の災害などでの最新の研究報告。福井豪雨でも衝撃的調査報告結果でした。

2014年06月22日 | Weblog
 昨日は、国土問題研究会の最近の調査研究報告会に参加しました。
同会は、まもなく10年を迎える福井豪雨災害に際して、京都大学や和歌山大学の専門家らが現地調査と研究をおこない、当時福井市内で公開報告会を開催しました。
 ・美山町で計画されていた足羽川ダムが完成していても福井豪雨には対応し切れなかった
 ・福井市内での堤防決壊は、出水期にもかかわらず河川内での大規模な工事をおこない、またいくつかの橋梁の桁下が堤防の上端より低くなり洪水のせきあげを誘発することで堤防決壊につながった可能性が高い、など人災の側面がある。
 ・池田町に予定されている足羽川ダムは上流に移った分、洪水調節機能が「はずれる」可能性も大きく、頼るのは問題。穴あきダムは環境に優しくない。

   ・・・・・などと衝撃的な報告をまとめ、当時のマスコミでも大きく報道されました。

  あらためて、当時の研究成果を謙虚に学ぶことが必要ではないでしょうか。

  さて、昨日の報告会では頻発する各地の災害や東日本大震災などについての報告がつづき、活発な討論がおこなわれました。
宇治川堤防の安全性について紺谷吉弘氏の報告、流水型ダムの河川環境影響予測について清野真人氏の報告、日本の河川環境再生事業の概要と改修事例紹介、を中川学氏が報告、道路事業の費用便益について中村徳三氏の報告、陸前高田の震災復興の実態について上野鉄男氏の報告など盛りだくさんの報告がつづきました。
 福井地裁の大飯原発差し止め判決も注目されました。







 
            ★

  西川知事は代表質問の答弁に答えて、8月31日に高浜原発事故を想定した30キロ圏の訓練をおこなうことを発表しました。
 これまでの訓練では、住民避難などの実効性についても疑問がだされており、そういう点もふくめた訓練内容の向上が求められます。


■NHK・・・高浜原発で事故想定訓練実施へ

  関西電力・高浜原子力発電所で、事故が起きたという想定で原発から半径30キロの範囲を対象に、住民の避難などを実施する県の防災訓練が、今年8月、初めて実施されることになりました。
これは、県議会の代表質問で西川知事が明らかにしたものです。
それによりますと、県は今年8月31日、高浜町にある関西電力・高浜原発で事故が起きたという想定で、原発から半径30キロの範囲を対象に、住民の避難などを伴う訓練を実施するということです。
東京電力・福島第一原発事故を教訓に、実際に住民が参加する防災訓練を、原発から30キロの範囲で行うのは、県内では初めてです。
対象となる地域には高浜町、おおい町、小浜市の全域、若狭町の一部に住む、約5万5000人が含まれ、県は、自衛隊や海上保安庁とも協力し、訓練を行う計画です。
一方、隣接する京都府には高浜原発から半径30キロの範囲に県内の2倍余りの約12万8000人が住んでいることから、今後、県は京都府との連携も検討したいとしています。
高浜原発3・4号機をめぐっては現在、国の原子力規制委員会が再稼働の前提となる安全審査を行っており、鹿児島県にある川内原発に次いで2番目に審査が進む見通しです。
06月20日 19時00分

■福井・・・ 高浜原発事故想定し8月防災訓練 30キロ圏の住民避難を検証
(2014年6月20日午後6時15分)

  西川一誠福井県知事は20日、関西電力高浜原発(同県高浜町)での重大事故を想定した県原子力防災総合訓練を8月31日に行うと表明した。東京電力福島第1原発事故を踏まえ、原発事故時の災害対策の重点地域を原発からおおむね30キロ圏に拡大した県原子力防災計画の改定を基に、30キロ圏住民が参加する初めての広域避難訓練となる。
 同日の県議会代表質問で、吉田伊三郎議員(自民党県政会)が訓練の実施時期や場所をただしたのに対し答えた。

 知事は「自衛隊や海上保安庁などの実動部隊と協議し、ヘリや船舶などさまざまな手段を活用した訓練を行いたい」と述べた。住民避難時に放射性物質による汚染具合を検査するスクリーニングや除染の実施方法、病院の入院患者ら災害時要配慮者の避難先への搬送体制などを重点的に検証する考えを示した。

 高浜原発から30キロ圏の人口は、県内が高浜、おおい、小浜3市町全域と若狭町の一部で計5万5千人。県外は舞鶴市や福知山市など京都府内7市町の計12万8千人に上る。

 事故時に30キロ圏住民が県外などに逃げる避難先や広域避難ルートを定めた県広域避難計画要綱では、県内4市町の県外避難先は兵庫県となっており、県内避難先は高浜、おおい町が敦賀市、小浜市が鯖江と越前市、若狭町が越前町に避難することになっている。

 県は訓練の事故想定などを県内4市町や関係機関と検討し、30キロ圏内のどの範囲を対象に住民避難訓練を行うかや避難ルート選定など詳細な内容を詰めていく考え。

 ただ、同要綱では避難ルート途中に設置するスクリーニングの実施場所がまだ定まっていない。県の川上修司危機対策監は「スクリーニング場所は(福井県など関係4府県が参加する)国のワーキンググループで検討しており、訓練までに決まるよう調整している」と強調。

 また、30キロ圏に入る京都府にも訓練の実施を伝えたことを明らかにし「京都とは連携していかなければならない。訓練に参加するのか、府の考えを聞き協議していきたい」と述べた。