昨日は県議会で理事者からの説明を聞いたり、相談対応。午後は、1か月後にせまった永平寺町議選でたたかう金元直栄町議の応援でごいっしょに宣伝行動。幸枝夫人(かねもと書記長)も同行し、てくてくチラシ配布しながら町民の声をつかんできます。永平寺町議選は越前市議選と同じ7月13日投票でたたかわれます。
金元町議はベテラン議員ですが、偉ぶるところがなく、町民の草の根の声をよく聞きひとつひとつ実現してがんばっています。新町長の提案にも金元議員の主張がかなり盛り込まれているとか、注目です。
高校、大学生への独自の奨学金制度で、町へ帰ってきて就職したら返還免除?という大胆な政策もあるとか。
ぜひ、実現してほしい。
福井県も「3000人進学して500人しか返ってこない」と嘆くだけではなく、こういう政策こそ県庁が主導していただきたいものです。
嘆く前に、政策で魅力を!
農作業中のご夫婦とも対話。
なんと7反を「れんげ田」で無農薬で。学校給食にだしている、とのこと。
TPP前提の農業集団化では、このようなこども思いのコメづくりは淘汰されてしまうのではないか、と心配です。
その農地集約のための交付金なども県は20億円以上見込んでいるのに、国は3億余りしか予算化していないとか。
県は国にきちんと予算化すべき、と要請のようですが、強制的な集団化ではうまくいかないし、先祖伝来の土地を取り上げられることになりかねない県民からは不安も広がるのではないでしょうか。
農業委員会の公選制をやめる方向といい、安倍暴走政治は、数千年の営々とした取り組みのうえにある瑞穂の国の根幹を壊そうとしているのです。
まさに「ばち当たり」です。
県では、ハーモニーホールギャラリーでの美術展の使用が認めらず、福井新聞や朝日新聞などでも取り上げられた問題で県の担当課から事情を聞きました。
県からは「このようなケースは初だが、この主催者の前回の展示の2週間に6通の意見があり、うち2件がこの主催者の展示に不快感をあらわすものだった。今回の内容も確認したところ、おなじ傾向の作品展示があるとのことで、癒しの場にふさわしくないと、管理者である事業団が判断したもの。県も事業団の判断は妥当と考えている」などという説明でした。
私からは「県の施設であり、事業団の判断でマスコミでも問題視される対応がおこったということは、一般県民の理解も得られない対応ではないか。そもそも音楽、芸術を「癒し」、という側面からしかみないのは偏っているのではないか。県としては芸術に関して極端なエログロのものは別として制限するのはいかがなものか。ましてや原爆や原発事故関係のものは一定の事実を認識してもらうことが要素ともなるのでは」と指摘しました。
これまでも、アオッサでの「9条の書」の撤去問題や、県民ホールでの「原爆パネル展」展示引き伸ばしなど、むしろ国民県民にひろく知らせなければならない美術、写真の展示まで「抑圧的な」対応がとられてきています。
原爆被災の悲劇や福島原発事故のありのままの真実の展示を「抑圧」するのではなく、むしろ積極的に取り組むことこそ県行政には求められているのではないでしょうか。
金元町議はベテラン議員ですが、偉ぶるところがなく、町民の草の根の声をよく聞きひとつひとつ実現してがんばっています。新町長の提案にも金元議員の主張がかなり盛り込まれているとか、注目です。
高校、大学生への独自の奨学金制度で、町へ帰ってきて就職したら返還免除?という大胆な政策もあるとか。
ぜひ、実現してほしい。
福井県も「3000人進学して500人しか返ってこない」と嘆くだけではなく、こういう政策こそ県庁が主導していただきたいものです。
嘆く前に、政策で魅力を!
農作業中のご夫婦とも対話。
なんと7反を「れんげ田」で無農薬で。学校給食にだしている、とのこと。
TPP前提の農業集団化では、このようなこども思いのコメづくりは淘汰されてしまうのではないか、と心配です。
その農地集約のための交付金なども県は20億円以上見込んでいるのに、国は3億余りしか予算化していないとか。
県は国にきちんと予算化すべき、と要請のようですが、強制的な集団化ではうまくいかないし、先祖伝来の土地を取り上げられることになりかねない県民からは不安も広がるのではないでしょうか。
農業委員会の公選制をやめる方向といい、安倍暴走政治は、数千年の営々とした取り組みのうえにある瑞穂の国の根幹を壊そうとしているのです。
まさに「ばち当たり」です。
県では、ハーモニーホールギャラリーでの美術展の使用が認めらず、福井新聞や朝日新聞などでも取り上げられた問題で県の担当課から事情を聞きました。
県からは「このようなケースは初だが、この主催者の前回の展示の2週間に6通の意見があり、うち2件がこの主催者の展示に不快感をあらわすものだった。今回の内容も確認したところ、おなじ傾向の作品展示があるとのことで、癒しの場にふさわしくないと、管理者である事業団が判断したもの。県も事業団の判断は妥当と考えている」などという説明でした。
私からは「県の施設であり、事業団の判断でマスコミでも問題視される対応がおこったということは、一般県民の理解も得られない対応ではないか。そもそも音楽、芸術を「癒し」、という側面からしかみないのは偏っているのではないか。県としては芸術に関して極端なエログロのものは別として制限するのはいかがなものか。ましてや原爆や原発事故関係のものは一定の事実を認識してもらうことが要素ともなるのでは」と指摘しました。
これまでも、アオッサでの「9条の書」の撤去問題や、県民ホールでの「原爆パネル展」展示引き伸ばしなど、むしろ国民県民にひろく知らせなければならない美術、写真の展示まで「抑圧的な」対応がとられてきています。
原爆被災の悲劇や福島原発事故のありのままの真実の展示を「抑圧」するのではなく、むしろ積極的に取り組むことこそ県行政には求められているのではないでしょうか。