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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 十一月中旬

2013年11月19日 | 日本古典文学-冬

文和三年十一月十一日、花園院の七年の御仏事に御供養なとありて後、山中より勅書のついてに 法皇御製
思ひやれ跡とふ霜のふりすのみひとりぬれそふ苔の袂を
返し 入道親王覚誉
つらゝゐし袖の涙の其まゝにはや七とせの霜そかさなる
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

しも月の廿よ日、いし山にまいる。ゆきうちふりつゝ、みちのほどさへおかしきに、(略)
(更級日記~バージニア大学HPより)

治承などの比なりしにや、豊の明のころ、上西門院女坊、物見に二車(ぐるま)ばかりにてまゐられたりし、とりどりにみえし中に、小宰相殿といひし人の、びんひたひのかゝりまで、ことに目とまりしを、年ごろ心かけていひける人の、通盛の朝臣にとられて、なげくときゝし、げに思ふもことわりとおぼえしかば、その人のもとへ、
さこそげに君なげくらめ心そめし山のもみぢを人に折られて
かへし
なにかげに人の折りけるもみぢ葉をこゝろうつして思ひそめけん
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

節会果てぬる暁方、有明の月隈なきに、藤壺わたりへ紛れ寄りぬるを、(略)
後涼殿におはしざまにおはすれば、澄みかへりたる有明の影に、霜いと白く見わたされて、袖の上まで冴え凍る心地して、
 慣れ慣れて心も曇る日陰には袖にも霜のかつ凍りつつ
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

おほかたは、さもよしなかりけることよと、かれにもおろかならぬ御心ざしに添へては、いとど思ひ乱れつつ、めづらしう我が御方にうちながめておはする夕つ方、雪霰かき暗し、風も気悪(けあ)しう吹き迷ひて、をちこち人のながめの末も、埋(うづ)もれ果てぬらん、篠屋の軒まづ思ひやられ給へば、さばかり荒れたる空に、御馬にて雪にまどはされつつ、更けゆくほどにおはし着きたるを、待ち取りきこえ給ふ所にも、いかがおろかに思さむ。女君は、とにかくに、いといたうものを思ひ湿(しめ)り、涙がちなる気色なれど、いつもただうちなびきたるさまにて、御答(いら)へなども、おほどかなるものから、あながちに埋(む)もれいたきほどにはあらず。気近うらうたきさまぞ、よろづにすぐれて覚え給ふ。
やうやう風も靜かになりぬれば、端つ方にいざなひ出でて、もろともにながめ出で給ふに、霜月の十日余日の月は、かつ散る雪に、春ならぬ朧に霞わかりつつ、池の面(おもて)も向かひの山も一つに、白妙に見わたされて、軒近き呉竹の、おのれ一人と下折れたるほど、絵にかかまほしう、取り集め艶にをかしう見ゆれば、御簾を少し巻き上げ給ふに、(略)
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

延暦十二年十一月 丁亥(十二日)
大雪が降った。諸司の官人らが雪を掃った。身分に応じて物を下賜した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和四年十一月)十四日、庚申。
卯から辰剋の頃から、雪が降った。初雪の見参簿を取った。後に退出した頃には、大雪であった。申剋の頃、晴気(せいき)が有った。庭に積もったのは、三寸ほどであった。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

十六日(じふろくにち)の晩に、山階まで出奉りて、同(おなじき)十七日(じふしちにち)の暁深く出給へば、会坂山に積る雪、四方の梢も白して、遊子残月に行ける、函谷の関を思出て、是や此延喜第四の御子、会坂の蝉丸、琵琶を弾じ和歌を詠じて嵐の風を凌つつ、住給けん藁屋の跡と心ぼそく打過て、打出浜、粟津原、未夜なれば見分ず。抑昔天智天皇(てんわうの)御宇(ぎよう)、大和国(やまとのくに)飛鳥の岡本の宮より、当国志賀郡に移て、大津宮を造たりと聞にも、此程は皇居の跡ぞかしと思出て、あけぼのの空にも成行ば、勢多唐橋渡る程、湖海遥(はるか)に顕て、彼満誓沙弥が比良山に居て、漕行舟の跡の白波と詠じけんも哀也。野路宿にも懸ぬれば、枯野の草に置る露、日影に解て旅衣、乾間もなく絞りつゝ、篠原の東西を見渡せば、遥(はるか)に長堤あり。北には郷人棲をしめ、南には池水遠く清めり。遥(はるか)の向の岸の汀(みぎは)には、翠り深き十八公、白波の色に移りつゝ、南山の影を浸ねども、青して滉瀁たり。州崎にさわぐ鴛鴦鴎の、葦手を書ける心地して、鏡宿にも著ぬれば、むかし扇の絵合に、老やしぬらんと詠じけんも、此山の事也。去(さる)程(ほど)に師長は武佐寺に著給ふ。峰の嵐夜ふくる程に身に入て、都には引替て、枕に近き鐘の声、暁の空に音信(おとづれ)て、彼遺愛寺の草庵の、ねざめも角やと思知れつゝ、蒲生原をも過給へば、老曽森の杉村に、梢に白く懸る雪、朝立袖に払ひ敢ず、音に聞えし醒井の、暗き岩根に出水、柏原をも過ぬれば、美濃国関山にも懸りつゝ、谷川雪の底に声咽嵐、松の梢に時雨つゝ、日影も見えぬ木の下路、心ぼそくぞ越え給ふ。不破の関屋の板廂、年へにけりと見置つゝ、妹瀬川にも留給ふ。此は霜月廿日に及ぶ事なれば、皆白妙の晴の空、清き河瀬にうつりつゝ、照月波もすみわたり、二千里外古人心、想像旅の哀さ最深し。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

コメント (3)
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