賀茂の臨時の祭。
空のくもり、寒げなるに、雪すこしうち散りて、挿頭の花・青摺などにかかりたる、えもいはずをかし。太刀の鞘の、きはやかに黒う、まだらにて、広う見えたるに、半臂の緒の、瑩したるやうにかかりたる、地摺の袴のなかより、「氷か」と、おどろくばかりなる打ち目など、すべて、いとめでたし。
いま少し多く渡らせまほしきに、使は、かならずよき人ならず。受領などなるは、目もとまらず、憎げなるも、藤の花に隠れたるほどは、をかし。
なほ、過ぎぬるかたを見送るに、陪従の、品おくれたる柳に、挿頭の山吹、わりなく見ゆれど、泥障いと高ううち鳴らして、
「神の社の木綿襷」
と唱ひたるは、いとをかし。
(枕草子~新潮日本古典集成)
十二月五日、臨時祭なり。使は花山院宰相中將、清凉殿に出御なる。麹塵(きくぢん)の御袍(ごはう)、躑躅の御下襲、御簾に殿下御まゐりあり。御(おん)神馬(しんめ)引き立てて、使まゐりて、御幣とれば、御拜(ごはい)ありて入らせ給ひて、御椅子(ごいし)に御(おん)尻かけさせ給ふ。使、舞人ども座につく。中門の下に公卿著きたり。勸杯(けんぱい)三獻果てぬ。かざしの公卿、内大臣、左大將、權大納言、花山院中納言、大炊御門(おほゐのみかどの)中納言、久我中納言、皇后宮權大夫、ざしきに子細ありて、殿上ばかりにて著座なし。洞院(とうのゐんの)宰相中將、左大辨宰相、巳の時に催されて、舞人ども疾くまゐりたれども、儀式とうも久しくて日も暮る。勸杯果てぬれば、内大臣殿、使のかざし藤をとりて、冠(かうぶり)にさゝせ給ふ。つらにまがはぬかざしの色も、おもしろく、世の初にて、公卿の使よろづ映えばえしきにも、雨雪のさはりだになくて、長閑にめでたし。神もめづらしとや受け給ふらむ、と覺えて、
いろふかき雲井の藤をかざしにて神もうけみるつかひなるらむ
かざし果てぬれば、簀子に著座、舞人ども、左右に立ちて行きちがふ青摺(あをずり)の袖口をかし。主殿寮の立明(たちあかし)の光に見えたる、いひつくすべうもなし。笛のおと、和琴の音もをかしう聞ゆ。北陣(きたのぢん)わたさるゝに、長橋のつまに行幸なる。果てぬれば、やがて御拜あり。かくて更けぬるに、やがて還立ちなれば、この度は御引直衣にて出でさせ給ふ。庭火のかげに、舞人の櫻かざして、人長(にんぢゃう)が拍子にあはせたる足蹈(あしぶみ)、和琴の音すごく、やうやう明け行く空の光かきあひて、いひ盡すべうもなく面白し。
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)
りんじのまつり明後日とてすけにはかにまひびとにめされたり。これにつけてぞめづらしきふみある。「いかゞする」などているべきものみなものしたり。試楽の日あるやう「けがらひのいとまなるところなればうちにもえまゐるまじきを、まゐりてみいだしたてんとするをよせ給ふまじかなればいかゞすべからんといとおぼつかなきこと」とあり。むねつぶれて、いまさらになにせんにかとおもふことしげければ「とくさうぞきてかしこへをまゐれ」とていそがしやりたりければまづぞうちなかれける。もろともにたちてまひひとわたりならさせてまゐらせてけり。
まつりの日「いかゞはみざらん」とていでたれば、まくのつらになでふこともなきびりやうげしりくちうちおろしてたてり。くちのかた、すだれのしたよりきよげなるかいねりにむらさきのおりものかさなりたる袖ぞさしいでためる。をんなぐるまなりけりとみるところに、くるまのしりのかたにあたりたる人のいへのかどより六位なるものゝ太刀はきたるふるまひいできてまへのかたにひざまづきてものをいふにおどろきて目をとゞめてみればかれがいできつる。くるまのもとにはあかき人くろき人おしよりてかずもしらぬほどにたてりけり。よく見もていけばみし人々のあまたなりけりと思ふ。れいのとしよりはこととうなりてかんだちめのくるまかいいりてくるものみなかれをみてなるべしそこにとまりておなじところにくちをつどへてたちたり。我が思ふ人にはかにいでたるほどよりは、とも人などもきらきらしうみえたり。かんだちめ手ごとにくだものなどさしいでつゝものいひなどし給へばおもだゝしき心ちす。またふるめかしき人もれいのゆるされぬことにて山ぶきのなかにあるを、うちちりたる中にさしわきてとらへさせてかのうちよりさけなどとりいでたればかはらけさしかけられなどするをみればたゞそのかたとき許やゆく心もありけん。
(蜻蛉日記~岩波文庫)
右大臣恒佐家屏風に、臨時祭かきたる所に つらゆき
あし引の山ゐにすれるころもをは神につかふるしるしとそおもふ
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
文治六年女御入内屏風に、臨時祭かける所をよみはへりける 皇太后宮大夫俊成
月さゆるみたらし川にかけみえて氷にすれる山あゐの袖
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
冬の賀茂のまつりのうた 藤原としゆきの朝臣
ちはや振かもの社のひめこ松よろつ世ふとも色はかはらし
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
貞和元年十一月、臨時祭の行事舞人にて同し社にまうてける時、雪のふりかゝりけれはよめる よみ人しらす
はらはてもかへりたちなむをみ衣神のめくみにかゝる白雪
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
賀茂臨時祭をよみ侍ける 法成寺入道前摂政太政大臣
いかなれはかさしの花は春なからをみの衣に霜のをくらん
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
賀茂臨時祭の舞人つとめける時、社頭にて読侍ける 前左兵衛督為成
山あゐの袖の月影さ夜更て霜吹かへす賀茂の河風
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
臨時祭社頭より帰りまいりけるに、かたへの舞人に雪のふりかゝりけるをみてよめる 藤原永光
うちはらふ衣の雪の消かてにみたれてみゆる山あひの袖
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
臨時祭還立の御神楽をよみ侍ける 兵部卿成実
立かへる雲ゐの月もかけそへて庭火うつろふ山あゐの袖
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
十一月加茂臨時祭みる車
ちはやふるかもの河霧きるなかにしるきはすれる衣也けり
(源順集~群書類従14)
賀茂の臨時の祭は、還立の御神楽などにこそ、慰めらるれ。庭燎の煙の細くのぼりたるに、神楽の笛のおもしろく、わななき吹きすまされてのぼるに、歌の声も、いとあはれに、いみじうおもしろし。寒く冴え凍りて、擣ちたる衣もつめたう、扇持ちたる手も、「冷ゆ」ともおぼえず。才の男召して、声引きたる人長の心ちよげさこそ、いみじけれ。
里なる時は、ただ渡るを見るが飽かねば、御社までいきて、見るをりもあり。大いなる木どものもとに、車を立てたれば、松明の煙のたなびきて、火の影に、半臂の緒・衣の艶も、昼よりはこよなうまさりてぞ見ゆる。橋の板を踏み鳴らして、声合はせて舞ふほども、いとをかしきに、水の流るる音・笛の声など合ひたるは、まことに神も「めでたし」と、おぼすらむかし。
(枕草子~新潮日本古典集成)
十一月、賀茂の臨時の祭、清涼殿にて行はる。御禊果てて、庇の御簾の際(きは)に、御倚子につかせ給。蔵人頭、上達部を召せば、長橋のうちの座につく。使以下、滝の戸より参りて庭の座につく。上卿勧盃(けむぱい)ありて、使以下に御酒(みき)賜(た)ぶ。重ね土器(かはらけ)あり。公卿、挿頭(かざし)を取りて使・舞人にさして後、簀子につく。事果てて神垣に引連れし程、庭火のかげもしめりはてぬ。峰の横雲しらみゆく空に、返立の山藍の袖ども、しほれはてて見ゆ。御引直衣・御物具(ものゝぐ)、御倚子におはします御さま、明けゆく光にいとゞしくぞ見えさせ給。雪時どきうち散りて、立ち舞ふ袖もいとゞしほれはててぞ見え侍し。
雪や猶かさねて寒き朝ぼらけ返す雲井の山藍の袖
(竹むきが記~新日本古典文学大系)
この左馬権頭、賀茂の臨時祭の舞人なりけるに、暁、使ひなりける人をうち具して、還立(かへりだち)にまゐりけるに、雪いたく降りて、袖にたまりたりけるを見て、
あをずりの竹にも雪はつもりけり
と言ひたりけるに、使ひなりける人は付けざりければ、秦兼任、人長(にんぢやう)にてうち具してけるが、馬を打ち寄せけしきばみければ、「兼任が付けたるとおぼゆるぞ」と言はれて、「下臈はいかでか」とはばしくいひけるを、なほ責め問はれて、
色はかざしの花にまがひて
と付けたりける、まことに兼久、兼方などが子孫とおぼえて、いとやさしかりけり。
(今物語~講談社学術文庫)
賀茂の臨時の祭歸り立の御神樂土御門内裏にて侍りけるに竹のつぼに雪のふりたりけるを見て
うらがへす小忌の衣と見ゆるかな竹のうら葉にふれるしら雪
(山家和歌集~バージニア大学HPより)
朝倉やかへすがへすぞ恨みつるかざしの花の折知らぬ身を
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)
賀茂臨時祭の使にたちてのあしたに、かさしの花にさして、左大臣の北方のもとにいひつかはしける 兵衛〈参議兼茂女〉
ちはやふるかもの川辺の藤なみはかけてわするゝ時のなき哉
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
藤中将仲忠、臨時の祭の使に出で立つとて、
「夕暮れの頼まるるかな逢ふことを賀茂の社も許さざらめや
神の御慮も見たまへに、今参り来む」と聞こえたまへり。あて宮、「めざましや」などのたまひて、
「榊葉の色変はるまで逢ふことは賀茂の社も許したまはじ
神も同じ心にや」とのたまふ。
(うつほ物語~新編日本古典文学全集)
右大将通房、臨時祭の舞人せられけるに、宇治殿にて拍子合ありけるに、人々まいりあつまりて、舞の師武方に纏頭せられけり。盃酌かさなりて、人皆酔てけり。
播磨守行任朝臣を殿上人の座にめして、酒のませられけるに、おほきなる鉢にて、十盃のみたりけり。「事の外の大飲(たいいん)」とぞ人々いひける。
(續古事談~おうふう)
(長徳四年十一月)三十日。
賀茂臨時祭が行なわれた。(藤原)経通兵衛佐が、宿所において装束を着した。相公(懐平)が指示されたので、垸飯(おうばん)を準備させた。勅によって納言以上を召し遣わしたといっても、皆、障りを申して参らなかった。そこで勅が有って、藤相公に宣命を奏上するよう命じた。先例が有るのである。御禊が終わった。所司が鋪設(ほせつ)を行ない、衝重を据えたのは、通例のとおりであった。祭使以下が座に着した。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)