まづ僧坊におりゐてみいだしたればまへにませゆひわたしてまだなにともしらぬ草どもしげきなかにぼうたん草どもいとなさけなげにて花ちりはてゝたてるをみるにも散るがうへはときといふことをかへしおぼえつゝいとかなし。
(蜻蛉日記~岩波文庫)
(長保五年六月)二日、庚申。
(略)今夜、御庚申待が行なわれた。(源)道済が序を献上した。(藤原)広業が題を出した。「瑶琴(ようきん)は治世の音」と。探韻を行なった。この題で、御書所も同じく作文会を行なった。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)
(寛弘七年六月)七日、甲寅。
土御門第の文殿(ふどの)の人々が、作文を行なった。題は、「青松は、古い苔を衣とする」であった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
六月大
一日 己丑 大姫公ノ御方ノ山ノ際ノ前栽ニ於テ、 田ヲ殖エラル。美女等之ヲ殖ユ。皆唱歌ス。又壮士ノ中ニ能芸有ルノ輩ヲ召シ出サレ笛鼓ノ曲ヲ事トスト〈云云〉。
(吾妻鏡【文治四年六月一日】条~国文学研究資料館HPより)
六月小
一日 甲申。晴 御所ニ旬ノ御鞠ナリ。一条ノ侍従定氏奉行トシテ、人人ヲ催ス。将軍家、〈御狩衣、直衣〉立タシメ御フ。土御門ノ中納言〈布衣〉刑部卿〈同ク上鞠一足〉 前ノ讃岐ノ守忠時朝臣〈同ジ〉二条ノ少将雅有朝臣〈同ジ〉小野寺新左衛門ノ尉 〈布衣〉計ヘ申ス三百
(以下略)
(吾妻鏡【正嘉元年六月一日】条~国文学研究資料館HPより)
六月大
一日 丁酉 疾風、暴雨、洪水。河辺ノ人屋ハ、大底流失シ、山崩レ、人多ク磐石ノ為ニ、圧サレテ死ス。
(吾妻鏡【文応元年六月一日】条~国文学研究資料館HPより)
(嘉禄元年六月)二日(辛卯)。天晴る。右武衛の家、所労の人有るの由伝へ聞く。(略)右幕下音信の次で、氷を送らる。下官本より炎暑に堪へず。氷を愛すること懇切なり。伝へ聞かるるか。昔、禁裏に暑月参ずる時、常に別して削氷を賜はる。今往事を思ひ、更に旧恩を感ず。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(嘉禄二年六月)二日。遅明に雨止む。未の時許りに大雨沃ぐが如し。又止む。昏に臨みて又雷電。河水溢るるの由を聞く。鷹司の末に出でて之を見る。是より先、水已に落つと云々。中島幷に岸の草等皆顕はる。指したる事無し。但し、下の辺りに於ては往還せずと云々。侲子狂言に云ふ、霖雨は是れ廃后の涙と云々。夕後に雷電猛烈。大雨沃ぐが如し。匪直なる事か。戌終許りに雷声止む。雨、終夜降る。
三日。遅明に大雨、飛礫の如し。路頭門庭、皆河の如し。辰巳の時許りに大雨殊に甚だし。諸水流れ溢る。蓬門の庭上、偏へに池の如し。草樹皆菰蒲の如し。午の時、雨僅に止むと雖も、水更に晞(かわ)かず。今夜又降る。定めて寝所に及ぶか。此の地、低湿にして水門なし。此の時に逢ひ、尤も計を失ふか。酉の時に及びて夕陽晴る。而も、東南猶雲暗し。夜深く又雨降る。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(元久元年六月)十日。天晴る。暁に帰洛す。近日、夜々の冷気、季秋初冬の如し。昼猶、常に綿衣を着す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)