同三年四月十二日、飛香舎にて藤花宴ありけり。右大臣・左衛門督・左兵衛督候給。和歌糸竹の興などはてゝ、女御、御おくり物ありけり。先皇の勤子内親王にたまひける筝譜三巻、貞保親王のもちゐたりける笛・螺鈿筝などをぞたてまつり給ける。件(くだんの)筝、奇香あるよし、李部王記し給たるとかや。いかなるにほひにてか侍けむ。ゆかしき事也。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)
大斎院と申は、村上の御門の御女也。其時小野宮右大臣、大納言にて、まつりの上卿にて、本院に参て、客殿上殿につかんとせられけるを、「申べき事あり。まづ是へ」と仰せられければ、御前へ参られたるに、御簾のうちに茵(しとね)しきて、女房つたへ仰られける、「中宮より色々の扇をたまはせたりつる。つかひ少将雅通也。女房とゞめつれ共、ひきはなちてにげぬ。ねたき事なり。いかゞすべき。この事いひあはせんとてなん」と仰られければ、大将申されける、「明日の形見下にて参たらんとき、今日の禄を給ふべきなり。中宮よりの御桧扇とりいでゝ、みせたまひけり。女房取つたふ」とて、御簾にかほをかくして、身はあらはにいでゝなんありける。そのふるまひたよりありて、艶に見えけり。
かへさの日、雅通ものみんとて、知足院の辺にありける所へ、斎院のさむらひ、御ふみ、禄をもちてきて、車になげいれて、馬をはせてかへりにけり。興ある事になん、時の人申ける。少将用意なきよし、人々いひけり。
(「續古事談」おうふう)
うちのわかみやの御五十日。四月十よ日。その日のありさまいふにかたなし。一ほんのみやにようごどのゝにようばううちいだしわたしたり。日くれかゝるほどに。うへわたらせ給御ともに。かんたちめてんじやう人あまたさふらひ給。もとよりこの御かたにさふらひ給人びと。まちむかへまいらせおりさはぐほどもいとめでたし。うへの御ありさまさかりにものものしくおはします。廿七八ばかりにぞならせ給ふ。にようばうなでしこにこきうちたるををしいでわたしたり。この御とききぬのかずすくなく。くれなゐをきせさせ給はす。御前物かんたちめとりつゞきてまいり給。(略)
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)
承元二年四月十三日壬子。天晴。時属清和。世楽静謐。
太上天皇機務の余閑に前大相国郁芳里第に臨幸し給ひて、蹴鞠の宴あり。盖是
(略)御服一具二重。をり物の御狩衣直衣。〈地白。竹桐のおりえだをあをき紫の糸にてをる。〉うす色の御さしぬき。もえぎの御うちぎ。すゞしの御単。おなじき御おほくち。御おび。御扇。ふせむれうの あか色の三重褁に。いろしろがねの鞠一丸をく。〈金をもてこれをぬりふすべ。まりをうつす。〉にしきの御したうづ一そく。〈紫地のにしき一反にてこれをつくる。〉ぬひめに伏ぐみあり。上わかかえでの うち枝に付て。是をあひそふ。以下の座おなじく ついがさねをすふ。公卿二本。殿上人一本。(略)
からあやのまり。〈山ぶき三白四。をのをのつくり花の枝につく。〉にしきのしたうづ。〈をのをの一反にて是をつくる。〉北面の衆行景のれう上におなじ。但あをはかまをもちゆ。(略)
此間。上中下の輩。皆悉く恩賜の装束を着してまりの庭にあひのぞむ。左馬権頭忠綱 まりを持てすゝみ出で 木の下にをく。次にあげ鞠のことあり。まづ下八人あげ鞠家綱。
(略)
次に又忠綱上料の御鞠〈燻。〉を持参す。宗長朝臣是をあぐ。二足の後御所に進上。于時清風ゆるく扇て。微雨まゝそゝぐ。数重の白妙ちりをやめ。一枝の紅梅梢にのこる。(略)
(承元御鞠記~群書類従19)
(承元二年四月)十三日。天陰る。微雨、時に灑ぐ。夜に入り甚雨。青侍等見物する者云ふ、日来風聞す。院御鞠の間、勝事と。今日大炊御門(大相国亭)に於て行はると云々。南庭に新屋を造りて御所となす。其の東に公卿の屋、殿上人の屋、北面・西面に至りて各々其の屋有り。風流過差、口の宣ぶる所にあらず。皆、金銀錦繍にあらざるは莫(な)し。鞠足の輩、給はる物、皆是れ金銀なり。按察召しに依りて参入す(成通卿の子息の古老に依り、其の座に接す)、言語の及ぶ所にあらず。入興の輩、定めて委しく注するか。又尋ね問ふべし。午始に御幸と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(安貞元年四月)十四日。朝天晴る。終夜風。昨今、蝉の声を聞く。
十五日。天晴れ、風吹く。明月片雲なし。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(嘉禄二年四月)廿日。天晴る。午後に急雨、即ち休む。(略)未の時許りに、雨後郭公の初声(但し十余声に及び、頗る無念)。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
十三日 乙酉。若君南庭ニ出御シタマヒ、手鞠ノ御会有リ。又駿河三郎光村、筑後九郎知氏、伊賀左衛門太郎宗義、佐佐木八郎信朝競馬ニ騎ル、其ノ後各又相撲ノ勝負ヲ決スト〈云云〉。島津三郎兵衛忠義行事タリ)
(吾妻鏡【貞応二年四月十三日】条~国文学研究資料館HPより)
十七日。辛卯。霽。将軍家并ニ御台所武州ノ御亭ニ入御。彼ノ東ノ壷ノ卯ノ花瞿麦等ノ花盛ナリ。仍テ御連歌有リ。相模ノ三郎入道真昭、式部大夫〈政〉、式部大夫親行、大夫判官基綱、都筑ノ九郎経景等召シニ応ジテ参上ス。親行秀句ヲ献ズルヤノ間、直ニ御剣ヲ賜フ。暁更ニ及ンデ還御。六位ノ八人松明ヲ取ル。
(吾妻鏡【天福元年四月十七日】条~国文学研究資料館HPより)