醍醐の舎利会に花のちるをみてよめる 珍海法師母
けふも猶おしみやせまし法の為ちらす花そとおもひなさすは
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
舎利会をこなひ侍けるついてに、蓮を 後京極摂政前太政大臣
此世より蓮の糸にむすほゝれ西に心のひく我身哉
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
(寛弘四年四月)十日、丙子。
明日の天台舎利会について、蔵人頭たち(藤原実成・源頼定)が聞きに来た。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
四月になれば、賀茂の祭とて世騒ぎたるに、又山の座主、山の舎利を女のえ拜(おが)み給はぬ事いといと口惜しとて、舎利会せんとて、舎利はまづくだし奉り給へれば、世中の人びと拜み奉る。祭はてゝ、四月廿日余りに舎利会せさせ給。法興院より祇陀林といふ寺に渡し奉らり給程の有様を日頃いみじうとゝのへのゝしりて、小一条院、入道殿などの御桟敷をはじめ、さるべき殿ばらの御桟敷ども、いといみじく造りのゝしりたり。まづその御桟敷の有様ぞいみじき見物(みもの)なる。その日になりぬれば、三百余人の僧の、梵音・錫杖の音などさまざまいみじくめでたく装束きとゝのへて、御輿二つをさきにたて奉りて、定者左右よりいみじくおかしげにて歩み続きたるに、御輿につきたる物ども、頭には兜(かぶと)といふものをして、いろいろのおどろおどろしういみじき唐錦どもを著(き)て、持ち奉れり。楽人・舞人、えもいはぬ■(くさかんむり+廾)の顔すがた(かをかたち)にて、左右にわかれたる僧達に続きたり。御輿のおはします法興院より祇陀林までの道の程、いみじき宝の植木どもをおほし竝(な)めたるに、空より色々の花降り紛(まが)ひたるに、銀(しろがね)・黄金(こがね)の香炉に、さまざまの香をたきて薫じ合せたる程、えもいはずめでたし。祇陀林におはしまして、御前の庭を、たゞかの極楽浄土の如くにみがき、玉を敷けりと見ゆるに、こゝらの■(くさかんむり+廾)舞人どもに、例の童べのえもいはずさまざま装束たる、舞ひたり。この楽の■(くさかんむり+廾)達の金・銀・瑠璃の笙や、琵琶や、簫(さう)の笛、篳篥など吹き合せたるは、この世の事とゆめに覚えず、たゞ浄土と思なされて、えもいはずあはれに尊くかなし。事ども果てぬる際(きは)に、被(かづけ)物、入道殿御桟敷より、様ざま残りなくせさせ給へるに、山の座主の御心掟(おきて)も、様ざまめでたくいろいろにせさ給へり。(略)
(栄花物語~岩波・日本古典文学大系新装版)