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古典の季節表現 十二月 荷前(のさき)

2013年12月26日 | 日本古典文学-冬

(天長三年十二月)丙午(十四日) 使人(しじん)を分かち遣わして、諸陵に荷前の幣(みてぐら)を奉納した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

正暦三年十二月二十六日、乙酉。
天皇が建礼門に出御され、荷前が奉献された。左右大将(藤原斉時・道兼)は参らなかった。建礼門の前に幄(あく)を立てて、天皇の御在所とした。前に幔(まん)を施した。南東の方角に隔てること数丈に幄を立てて、公卿の座とした。公卿の座の南の末に、諸大夫の座が有った。東に太政官の上官の座が有った。また、東に隔てること三丈に外記と史の座が有った。
御在所の南に班幣の幄が有った。宸儀(一条天皇)は承明門に出御された。兵衛府が左右に陣を引いた。天皇が建礼門を出御される頃、左右近衛府は春華門と脩明門の両門に分かれ、班幣の幄を夾(はさ)んで陣を引いた。近衛府は天皇の御在所の東西に陣を引いた。衛門府は兵衛府の南にいた。今日は靴を着さず、ただ弓箭を帯びた。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和元年十二月)十三日、丙子。
昨日から、雨がまだ降っていた。物忌であったので、土御門第に籠居した。荷前使たちも、昨日から物忌に籠っていた。私は宇治の三所の墓に荷前を奉献した。女方(源倫子)も、また同じように奉った。朝廷の荷前は、今日である。今年は節分が早いことによるものである。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和五年十二月)二十六日、丙申。
朝廷、および我が家の荷前(のさき)を奉献した。公卿の使たちは、多くは障りを申した。四人が兼仕した。夜に入って、内裏から退出した。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

かしこしなのさきの箱をになひもて年にかはらすたつる使は
 右荷前とは先皇の御陵へ年の終に幣帛を奉らせ給ふ也。
(年中行事歌合~群書類従)

十二月十六日、野さきの使のたつ日也。南殿の庭にまん引まはして、たいそうの御屏風などたてゝ、みくらやつかひなどか、雪はかきたれふるに、あらしをしのぎて、つかひつかひいそがしもよほすけしき、いとさむげなり。雪うちはらふもおもしろくて、辨内侍、
風まぜの雪うちはらふ袖さむしのさきのつかひ心しらなん
(弁内侍日記~群書類從)


2 コメント

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Unknown (mono)
2015-12-25 14:54:50
日本後紀と権記を追加しました。
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Unknown (mono)
2019-12-28 21:49:10
御堂関白記を追加しました。
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